]である。
□詩人は現実よりも現実的である。
□現実にもぐりこんで、そして現実を通り抜けるとき詩がある。
現実を咀嚼し消化し摂取して現実の詩が生れるのである。
□現実そのものは詩ではない。
詩は現実の現実[#「現実の現実」に傍点]でなければならない。
[#ここで字下げ終わり]
一月廿九日[#「一月廿九日」に二重傍線] 曇――晴。
一切放下着、身辺を整理せよ、むしろ心内を清算せよ。
どこかで牛が鳴く、いつまでも長う鳴く、乳房が恋ひしいのか、異性が欲しいのか、――私も何だか泣きたくなる!
午後、中井君だしぬけに来訪。
その間の事情を知つてゐる樹明君も来訪。
ちりで飲む、話がはづんだ、――ルンペン、ポエム、人間、性慾、自然。……
――私は憂欝になる、身心不調だ、――冷酒をあほつて、下らないことをしやべつてごまかす。――
[#ここから3字下げ]
どこまでゆく遠山の雪ひかる
[#ここで字下げ終わり]
中井君が私の旧作を覚えてゐて、放浪の哀愁を語る、二人とも心地よく睡つた。
一月三十日[#「一月三十日」に二重傍線] 晴。
朝日を部屋いつぱいみなぎらせと[#「せと」に「マヽ」の注記]
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