て二丁借りてくる(酒屋へは寄れなかつた)。
豆腐の味、――淡如水如飯。
夜、心臓がしめつけられるやうに苦しくなつたので、いそいで句帖と日記とを書きつけたが何事もなかつた。
いつも覚悟は持つてゐるけれど、かういふ場合の、孤独な老人はみじめなものだらう!
昨夜は宵からあんなによく睡れたのに、今夜はいつまでも睡れない、うつら/\してゐるうちに、いつとなくみじか夜は明けてしまつた。……
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俳句は――自由律俳句はやさしくてそしてむつかしい。
門を入るは易く、堂に上るは難く、そして室に入るはいよ/\ます/\難し。
句はむつかしい、特に旅の句はむつかしい、と句稿を整理しながら、今更のやうに考へたことである。
時代は移る、人間は動きつゞけてゐる、句に時代の匂ひ、色、響があらば[#「あらば」に「マヽ」の注記]、それはその時代の句ではない。
貫き流るゝもの[#「貫き流るゝもの」に白三角傍点]、――それは何か、問題はこゝによこたはる。
○その花が何といふ名であるかは作者には問題ではない、作者は花そのもの[#「花そのもの」に傍点]を感じるのである、しかし、その感動[#「感動」に傍点]を俳句として表現するときには、それが何の花であるかをいはなければならない(特殊な場合[#「特殊な場合」に傍点]をのぞいて)、こゝに季感の意義[#「季感の意義」に傍点]が[#「季感の意義[#「季感の意義」に傍点]が」は底本では「季感の意義が[#「感の意義が」に傍点]」]あると思ふ。
○都会人にビルデイングがあるやうに田園人には藁塚がある、しかし、煎茶よりもコーヒーに心をひかれるのが、近代的人情[#「近代的人情」に傍点]であらう。
○俳句ほど作者を離れない文芸はあるまい(短歌も同様に)、一句一句に作者の顔[#「作者の顔」に傍点]が刻みこまれてある、その顔が解らなければその句はほんたう解[#「解」に「マヽ」の注記]らないのである。
○把握即表現[#「把握即表現」に傍点]である、把握が正しく確かであれば表現はおのづからにして成る、さういふ句がホントウの句である。
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 六月八日[#「六月八日」に二重傍線] 雨。

降つた降つた、降る降る。
武二君へ手紙を書く、層雲経営について。
ありがたし、多々君の手紙、ほんたうにありがたかつた、君の温情が私の身心にしみとほつた。
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