蝶がとぶ、とんぼがからむ、蜂がなく、虫がなく、木の葉がちる、小鳥がちらつく、――私の沈んだ情熱[#「私の沈んだ情熱」に傍点]がそこらいちめんにひろがつてゆく。――
雑魚のうまさ[#「雑魚のうまさ」に傍点]、雑草のうつくしいやうに。
よい酒よい飯をいたゞいた。
柿落葉の風情。
昨日も今日もたゞつつましく。
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(六日)
・おのれにこもる木の実うれてくる
・木の葉ひかる雲が秋になりきつた
・ゆふ闇はたへがたうして蕎麦の花
・明日のあてはない松虫鈴虫
・ゆふ焼のうつくしくおもふことなく
・秋の夜の鐘のいつまでも鳴る
・陽だまりを虫がころげる
・青空のした播いて芽生えた
・たゞに鳴きしきる虫の一ぴき
[#ここで字下げ終わり]
十月七日[#「十月七日」に二重傍線] 曇、――晴。
早起して身辺整理。
寒くなつた、冬物の用意をしなければならなくなつた。
ほうれん草を播く、大根がもう芽生えてゐる、生れるもの、伸びるもののすがたはうれしい。
午後、四日ぶりに街へ、石油買うて、一杯ひつかけて、雑魚をさげて戻る。
暮方近くNさん来庵、職を持たない人の不安と弛緩とがよく解る。
夜は婦人公論[#「婦人公論」に傍点]を読む、二・二六事件[#「二・二六事件」に傍点]の記録が胸深く徹えた、そこには頭の下る純真があつたのだ。
今夜も不眠だ、呪ふべき私自身をあはれむ。
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(七日)
・くもりおもたい木魚をたたく
・草刈るや草の実だらけ
・落葉するする柿の赤うなる
・ぶらぶら熟柿の夕焼
・ばさりと落ちて死ぬる虫
・更けるほどに月の木の葉のふりしきる
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
□よい酒を飲めるやうになる自信はないけれど、よい句は出来ないこともあるまいといふ自惚は持つてゐる。
□自分の句について考へる――
私は私をうたふ、自然をうたふ。
人間性[#「人間性」に傍点]をうたひ、自然の調和[#「自然の調和」に傍点]をうたふ。
人間に眼醒めしめ、自然を味はせたいのである。
□人間としての樹明[#「樹明」に傍点]について考へる――
彼は文芸を解し、酒を解してゐる、それだけで幸福であり、不幸でもある。
□幸福と不幸とは垣一重である。
神と悪魔とは裏表だ。
地獄の底が極楽。
[#ここで字下げ終わり]
十月八日[#「十月八日」に二重傍線] 晴――曇。
朝寒、火鉢がこひしくなつた、朝月もつめたさうだ、まともに朝日があたたかく、百舌鳥の声が澄んできた。
自己省察、その一つとして、――こんどの旅は下らないものであつたが、よい句は出来なかつたけれど、句境の打開[#「句境の打開」に傍点]はあると思ふ、生れて出たからには、生きてゐるかぎりは、私も私としての仕事をしなければならない、よい句[#「よい句」に傍点]、ほんたうの句[#「ほんたうの句」に傍点]、山頭火の句[#「山頭火の句」に傍点]を作り出さなければならないと思ふ、私は近来、創作的昂奮[#「創作的昂奮」に傍点]を感じてゐる、私にもまだこれだけの芸術的情熱[#「芸術的情熱」に傍点]があるとは私自身も知らなかつた、――私は幸にして辛うじて、春の泥沼[#「春の泥沼」に傍点]から秋の山裾[#「秋の山裾」に傍点]へ這ひあがることができたのである。
シロがやつてきてうろ/\してゐる、彼もまた不幸な犬だ、鈍にして怯なること私に似てゐる。
午後、ともすれば滅入りこむ気分をひきたてて、秋晴三里の郊外を歩いて山口へ出かける、椹野川風景も悪くない、葦がよい、花も葉も、――いろ/\買物をして、湯田で一浴して帰つた、机上のノートに書き残して置いや[#「いや」に「マヽ」の注記]うに、間違なく暮れる前に!
帰ると直ぐ水を汲む、米を磨ぐ、お菜を煮る、いやはや独り者は忙しいことだ。
ゆつくりと晩飯、おいしいな、ちよいと一杯ほしいな。
留守中誰も来なかつたらしい。
ほんたうに好い季節だ、もつたいないほどの秋日和だ。
意識が冴えて剃刀のやうだ、そして睡れない、この矛盾が私を苦悩せしめる、ホンモノでないからだ。
古雑誌を読む、芥川龍之介の自殺について小穴隆一が書いてゐる、考へさせられる問題だ、古くして新らしい問題だ、それは人間そのものの問題[#「人間そのものの問題」に傍点]だ。
今日の幸福[#「今日の幸福」に傍点]は千人風呂にはいつて、そして一杯ひつかけたことであつた、うれしくもあり、さびしくもあつた。
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今日の買物――
一金六銭 揚豆腐二つ 一金六銭 野菜種子
一金弐銭 葱一束 一金三十銭 番茶半斤
一金九銭 味噌百目 一金五銭 古雑誌一冊
外に
一金五銭 入浴料
一金弐十銭 酒二杯
一金十銭 バス代(湯田まで歩いて
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