ねあがつてたゞよふリズム[#「はねあがつてたゞよふリズム」に傍点]であると思ふ。
 (井師は、短歌をながれてとほるリズム[#「短歌をながれてとほるリズム」に傍点]、俳句をあとにかへるリズム[#「あとにかへるリズム」に傍点]と説いてゐる。)
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 四月四日[#「四月四日」に二重傍線] 雨、花が散つて葉が繁る雨だ。

身辺整理、しづかに読書。
雨の音は私の神経をやはらげやすめてくれる、雨を聴いてゐると、何かしんみりしたものが身ぬちをめぐつてひろがる。……
死をおもふ日だ[#「死をおもふ日だ」に傍点]、疲労と休息とを求める日だ。
夕方、どてらでゴム靴をはいて、まるで山賊のやうないでたちで駅のポストまで出かけた。
酒三合、飯三杯、おいしくいたゞいて寝る。
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   ぐうたら手記
□現代の俳句は生活感情[#「生活感情」に傍点]、社会感情[#「社会感情」に傍点]を表現しなければならないことは勿論だが、それは意識的[#「意識的」に傍点]に作為的[#「作為的」に傍点]に成し遂げらるべきものではない、俳句が単に生活の断片的記録[#「生活の断片的記録」に傍点]になつたり、煩瑣な事件の報告[#「事件の報告」に傍点]に過ぎなかつたりする源因はそこにある、思想を思想のままに、観念を観念として現はすならば、それは説明[#「説明」に傍点]であり叙述である、俳句は現象――自然現象でも人事現象でも――を通して思想なり観念なりを描き写さなければならないのである、自然人事の現象を刹那的に摂取した感動が俳句的律動として表現されなければならないのである、この境地を説いて、私は自然を通して私をうたふ[#「私は自然を通して私をうたふ」に傍点]、といふのである。
□感覚[#「感覚」に傍点]なくして芸術――少くとも俳句は生れない。
□俳人が道学的[#「道学的」に傍点]になつた時が月並的[#「月並的」に傍点]になつた時である。
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 四月五日[#「四月五日」に二重傍線] 晴、初めて蛇を見る。

ありがたいたよりいろ/\、ありがたし。
さびしいけれどおちついた日、久しぶりの入浴。
午後、樹明来、Oさんも来庵、つゞいて敬坊来、二升ほど飲んでほろ/\とろ/\、それから出かけてぼろ/\どろ/\、わかれ/\になつて、私だけはI旅館をたゝきお
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