うてこだはらないのがよろしい。
釣は逃避行の上々なるものだ[#「釣は逃避行の上々なるものだ」に傍点]、魚は釣れなくとも句は釣れる、句も釣れないでよい、一竿の風月は天地悠久の生々如々である[#「一竿の風月は天地悠久の生々如々である」に傍点]、空、水、風、太陽、草木、そして土石、虫魚、……人間もその間に在つて無我無心となるのである。
私は釣をはじめやうと思ふ、行乞と魚釣と句作との三昧境[#「行乞と魚釣と句作との三昧境」に傍点]に没入したいと思ふ。
しかし今日はその第一日の小手調べであつた、樹明君は魚を釣り私は句を釣つた、同時に米も釣つたのである。
山羊髯[#「山羊髯」に傍点]! その髯を私は立てはじめたのである、再生記念[#「再生記念」に傍点]、節酒記念[#「節酒記念」に傍点]、純真生活記念[#「純真生活記念」に傍点]として。
八月十日[#「八月十日」に傍点]を転機として、いよいよ節酒を実行する機縁が熟した(絶対禁酒は、私のやうなものには、生理的にも不可能である)、今度こそは酒に於ける私を私自身で清算することが出来るのである。
今が私には死に時かも知れない[#「今が私には死に時かも知れない」に傍点]、私は長生したくもないが、急いで死にたくもない、生きられるだけは生きて[#「生きられるだけは生きて」に傍点]、死ぬるときには死ぬる[#「死ぬるときには死ぬる」に傍点]、――それがよいではないか。
アルコール中毒、そして狭心症、どうもこれが私の死病らしい、脳溢血でころり徃生したいのが私の念願であるが、それを強要するのは我儘だ、あまり贅沢は申さぬものである。
颱風一過[#「颱風一過」に傍点]、万物寂然として存在す[#「万物寂然として存在す」に傍点]、それが今の私の心境である。
卒倒が私のデカダンを払ひのけてくれた、まことに卒倒菩薩[#「卒倒菩薩」に傍点]である。
ひとりはよろし、ひとりはさびし。
油虫よ、お前を憎んで殺さずにゐない私の得手勝手はあさましい、私はお前に対して恥ぢる。
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 風ふく枝の、なんとせかせか蝉のなく
 朝風の軒へのそりと蟇か
・朝風の野の花を活けて北朗の壺の水いろ
 すゞしく鉄鉢をさゝげつつ午前六時のサイレン
・あるきたいだけあるいて頭陀袋ふくれた夕月
・草のそよげば何となく人を待つて
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