人間[#「よき人間」に傍点]となる常道はない。
先日からずゐぶん手紙を書いた、そのどれにも次の章句を書き添へることは忘れなかつた――
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余生いくばく、私は全身全心を句作にぶちこみ[#「全身全心を句作にぶちこみ」に傍点]ませう。
[#ここで字下げ終わり]
これこそ私の本音である。
十七日ぶりに入浴、あゝ風呂はありがたい、それは保健と享楽[#「保健と享楽」に傍点]とを兼ねて、そして安くて手軽である。
純真に生きる[#「純真に生きる」に傍点]――さうするより外に私が生きてゆく道はなくなつた[#「さうするより外に私が生きてゆく道はなくなつた」に傍点]、――この一念を信受奉行せよ[#「この一念を信受奉行せよ」に傍点]。
からだがよろ/\する、しかしこゝろはしつかりしてゐるぞ、油虫め、おまへなんぞに神経を衰弱させられてたまるか、たゝき殺した、踏みつぶした。
また不眠症におそはれたやうだ、ねむくなるまで読んだり考へたりする、……明け方ちかくなつて、ちよつとまどろんだ。
× × ×
不眠症は罰である[#「不眠症は罰である」に傍点]、私はいつもその罰に悩まされてゐる、十六日の夜は三日ぶりにぐつすりと寝て、生きてゐることのよろこび[#「生きてゐることのよろこび」に傍点]を感じた、よき食慾[#「よき食慾」に傍点]はめぐまれてゐる私であるが、よき睡眠[#「よき睡眠」に傍点]は奪はれてゐる、生活に無理があるからだ、その無理をのぞかなければならない。
行乞は一種の労働だ[#「行乞は一種の労働だ」に傍点]、殊に私のやうな乞食坊主には堪へがたい苦悩だ、しかしそれは反省[#「反省」に傍点]と努力[#「努力」に傍点]とをもたらす、私は行乞しないでゐると、いつとなく知らず識らずの間に安易と放恣とに堕在する、肉体労働は虚無に傾き頽廃に陥る身心を建て直してくれる、――この意味に於て、私は再び行乞生活に立ちかへらうと決心したのである。
十七日は朝早くから嘉川行乞に出かけるつもりだつた(もうその日の米もなくなつてゐた)、そこへ学校の給仕さんが樹明君の手紙を持つて来た、――今日は托鉢なさるとのことでしたが、米は私が供養しますから、午後、川尻へいつしよに鮒釣に行きませう、――といふのである、そこで私は鉄鉢を魚籠《ビク》に持ちかへた、人生は時に応じ境に随
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