傍線] さんざ降つて晴れ、いやな風がふく。
起きるとそのまゝ帰庵。
ありがたし、緑平老。
今日は敬治君来庵の日、樹明君も来庵の筈、で、魚買ひに豆腐買ひに街まで。
樹明君午後来庵、敬治君不来、二人で一杯やる、私が飲めないので気の毒だつた。
六日ぶりに、やつと冷飯がなくなつた。
夜は読書。
くづれつつある肉体[#「くづれつつある肉体」に傍点]をいたはる。
心! 心とは。――
[#ここから2字下げ]
・ふと眼がさめて枯草の鳴るはしぐれてゐるか
・考へるともなく考へてゐたしぐれてゐた
藪はしぐれる郵便受函が新らしい
雨がぬくすぎる師走のかみなり
・山から夜風がごうときて窓をうつ年の暮
[#ここで字下げ終わり]
十二月卅日[#「十二月卅日」に二重傍線] 晴、冬らしくて気持がよい。
朝は餅雑炊、めづらしくおいしくてたくさん食べた、ちと食べすぎたやうだ。
煤払、床の間、仏壇、机上、食卓をきれいにする。
昼食は饅頭三つ、香煎一杯。
山へ行つて、松と裏白とを採つてきて、松飾をこしらえる、うらじろ[#「うらじろ」に傍点]、しめかざり[#「しめかざり」に傍点]といふものはよろしいかな。
六日ぶりに御飯を炊く、二合、今明日中はこれで十分。
暮れる前に、やうやくにして敬治君来庵。
お土産は鶏肉と酒(砂糖までも気をつけてありがたい)。
豆腐は昨日の残りがあり、ほうれん草は畑からぬいてきて、何と御馳走が出来たことだ、――ゆつくり飲んだ、よい酒だつた、うまい酒だつた、近来にない楽しい会談だつた、来る筈の樹明君が来てくれなかつたのは惜しかつた。
九時過ぎて敬治君は帰つていつた、私はあたゝかい寝床にはいつた、ぬくさがとう/\雨となつた、この二三日来また、どうもよくねむれない。……
十二月卅一日[#「十二月卅一日」に二重傍線] 雨。
昭和九年、一九三四年、私の五十三才の歳もいよ/\今日限りである。……
まことにおだやかな年の暮なるかな。
六時のサイレンと共に起きて、あれやこれやと一人の節季。
食慾がだん/\出てくるやうだ、うれしい。
Slowly and Steadily. 何事もこれでなければならない。
午前、樹明君来庵、餅と輪飾とを持つてきてくれる、一本つける、私は飲めないから、彼の飲みつぷりを観てゐるだけ、すまないと思ふ。……
病めば嗜好もかはつてくる、好きなものが嫌になつたり、嫌なものが好きになつたり。
樹明君から古いゴムの長靴を貰つて、それを穿いて、ぼとり/\と街へ出かける、端書と石油と、そして年越そばを買うて戻る。
午後、敬治君来庵、餅を貰ふ、餅ほどうまいものはないと思ふ、日本人と餅[#「日本人と餅」に傍点]!
二人で一杯やつて、炬燵でしめやかに話す、かはればかはる二人であつた。
後からまた来ます、帰つて子供の世話をして来ませう、ゆつくりこゝで年を送り年を迎へませうといつて敬治君は帰つていつたが、それきり来なかつた、私はひとりしづかに読書しつつ除夜の鐘の鳴るのを待つた。……
私は期待しない、明日よりも今日である、昨日よりも今日である、今の今[#「今の今」に傍点]、これのこれが一切だ[#「これのこれが一切だ」に傍点]。
□今日、或る店でハガキ二十枚買つたら、息子が間違つて二十一枚くれた、当然その一枚は返した、そして私は愉快だつた、それは――
小さな善を行つたといふよろこびでもある、受取つてはならないものを返したといふ快さでもある、しかし――
私は偶然を願望しない[#「私は偶然を願望しない」に傍点](幸も不幸も)、人生には偶然らしいものがありがちだけれど、私は偶然を受取らない、人間の生活は当然に向つて進展しつつある[#「人間の生活は当然に向つて進展しつつある」に傍点]、あらねばならない[#「あらねばならない」に傍点]、必然を受納する[#「必然を受納する」に傍点]、しなければならない[#「しなければならない」に傍点]。
除夜の鐘が鳴りだした、私は焼香念誦した、あゝありがたい年越ではある。
[#天から2字下げ]・昭和九年もこれぎりのカレンダー一枚
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『最後の晩餐』
[#天から3字下げ]一家没落時代の父を想ひ祖母を想ふ。
底本:「山頭火全集 第六巻」春陽堂書店
1987(昭和62)年1月25日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※複数行にかかる中括弧には、けい線素片をあてました。
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2009年7月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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