よい。
今日は風が吹いた、風は禁物だ、ルンペンのからだへ吹きつける風のさびしさよ。
飲んで食べてから、入雲洞も出かけてゆく、奥さんが手伝してゐる近所の婚礼へ、――私はまづ留守番といつた体、ほろ酔で漫読、よろしうございます。
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・みちはうねつてのぼつてゆく春の山
・これでも住める橋下の小屋の火が燃える
・放送塔を目じるしにたづねあてた風のなか
・さてどちらへ行かう風のふく
・招かれない客でお留守でラヂオは浪花節
・さんざ濡れてきた旅の法衣をしぼる
   若松病院
・病人かろ/″\とヱレ※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84][#「※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]」に「マヽ」の注記]ーターがはこんでいつた
   戸畑から若松へ、入雲洞君に
・あんたとわたしをつないで雨ふる渡船
 宿直室も灯されて裸体像などが
・待たされてゐる水音の暮れてゆく
・宵月のポストはあつた旅のたよりを
・旅のたよりも塗りかへてあるポスト
[#ここで字下げ終わり]

 二月二十三日[#「二月二十三日」に二重傍線]

晴、すこし風はつめたいが春がきてゐることに間違はない。
もつたいなくも朝酒頂戴。
入君は出勤、私は足にまかせて街をあるきまはる、やつぱりこゝもたべものや[#「たべものや」に傍点]が多い、工場町、漁港町はどこでもさうだが。
入雲洞君の喜捨で理髪する、身心さつぱりして、先日来の欝屈がほぐれた。
昨日も今日も(多分明日もまた)行乞は駄目、当分行乞なんか出来さうにない、やつぱり私はまだ平静をとりかへしてゐない。
午後は読書、こんなに我儘ではいけないとも思ひ、これだけ他の供養をうけてはすまないとは思ふのだが。――
夜は句会、とほる君、箕三楼君、入雲洞君、そして私、つゝましい、たのしい会合だつた。
よく寝られたが、よく夢も見た、その夢は苦しい夢だつた、夢は妄想執着のあらはれだ、夢を見ないやうになりたいものだ。
[#ここから2字下げ]
   戸畑漁港(一)
 金バス銀バス渡船も旗立てゝ春風に(廿三日奉祝)
・海から風はまだ寒い大福餅《ダイフク》をならべ
・クレーンおもむろに春がきてゐる空
 やたらに汽笛が鳴ると[#「と」に「マヽ」の注記]つしりと舫つた汽船《フネ》
・今日がはじまる七輪の石炭《スミ》が燃えさかる
・バツト吸ひきれば重い貨物で
 朝から安来節《ヤスキ》で裏は鉄工所
   戸畑漁港(二)
・日向はぬくうて子供があつまる廻転饅頭
・仕事すましてぶらさげてもどる大[#「大」に「マヽ」の注記]刀魚のひかる
・枯葦に汐みちてくる何んにもゐない
・こんなに帆柱が、春風の、出る船入る船
 長屋の真昼はひつそりとホウホケキヨ
 もうあたゝかい砂の捨炭ひらふことも
[#ここで字下げ終わり]

 二月廿四日[#「二月廿四日」に二重傍線]

晴、朝の寒さは昼の暖かさとなる。
入雲洞君よ、たいへんお世話になりました、何から何までありがたう。
山越して八幡へ、のんびりぼんやりの気分で市街見物。
小山の枯草にすわつて古い握飯を食べる。
製鉄所の煙突と煤煙とを鑑賞する。
四有三居訪問、番人に誰何されたり、押売と間違へられたりした、それも旅の一興、いや、私にはふさはしい出来事だ。
からいおひやをよばれる、ペハ[#「ハ」に「マヽ」の注記]アミントをよばれる、いやはや。
夜は光の会、会者十数名、なか/\盛況だつた。
黎々火君と共に星城子居に泊る、星城子君の友情が骨身にしみとほる。
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・こんな水にも春の金魚が遊んでゐる
・かすんでけぶつて山の街にも日の丸へんぽん
・今日の乞ふことはやすくておいしい汁粉屋の角まで
・おぢいさんの髯のながさをおもちやにして日向ぼつこ
・食べものうつくしうならべ煤がふる
 白い煙が黒い煙が煙突に煙突
[#ここで字下げ終わり]
(八幡は製鉄所を持つ都会だけに、くろがねせんべいといふのがある、鉄町といふ町名があつた)

 二月廿五日[#「二月廿五日」に二重傍線]

朝からかしわで酒[#「かしわで酒」に傍点]の贅沢三昧。
黎々火君とは駅で別れる、君は上りで門司へ、私は下りで糸田へ。
一時にはもう緑平居に落ちついて、湯豆腐で一杯二杯三杯だつた。
緑平老はまことに君子人なるかな。
急に左半身不髄の症状に襲はれた、積悪の報いいたしかたなし、飲みすぎ食ひすぎはつゝしむべし。
[#ここから2字下げ]
 曇れば寒いボタ山ふたつ
・逢うてうれしくボタ山の月がある
[#ここから1字下げ]
      緑平居
ふきのとう、焼いてもらふ
雀のお宿、雀が泊りにくる
泰山木、雀の好きな木
夕雀にぎやかなり、雀と仲よし
[#ここで字下げ終わり]

 二月廿六日[#「二月廿六日」に二重傍線]

左手が利かない、身体が何だか動かなくなりさうだ、急いで帰庵することにする、八時出立、直方までは歩いた、それから折尾まで汽車、八幡まで歩く、門司まで汽車、下関へ汽船、それから黎々火居まで歩いて一泊、黎々火君の純情にうたれる。
私もいよ/\本格的癈人[#「本格的癈人」に傍点]になりさうだ、本格的俳句[#「本格的俳句」に傍点]が出来るかも知れない。
ヒダリはかなはなくても飲むことは飲める、水はなか/\酒にならない、酒は水になりやすいが。
酒と心中したら本望だ。
[#ここから2字下げ]
・けさはおわかれの太陽がボタ山のむかうから(緑平居)
・よぼ/\のからだとなり水をさかのぼる
・驢馬にひかせてゆくよ春風
・枯草ふかく水をわたり、そしてあるく
・また逢へようボタ山の月が晴れてきた
[#ここから1字下げ]
     遠賀川風景
枯葦
雲雀の歌
放牧の牛の三々五々
霞うら/\
[#ここから2字下げ]
 あされば何かあるらしい鶏は鶏どち
 焼芋やけます紙芝居がはじまります
 旅のつかれのほつかりと夕月
・枯草の日向見つけて昨日の握飯
 病めばをかしな夢をみた夜明けの風が吹きだした
[#ここで字下げ終わり]

 二月廿七日[#「二月廿七日」に二重傍線]

夜来の雨がはれて、何となく春だ。
七時の汽車に乗る、九時帰庵、其中一人のうれしさよ。
さつそく樹明君を訪問する、そして方々の借銭を払へるだけ払うてまはる。
酒を食べ鮨を食べる、酔うて寝る。
樹明君来訪、積る話は尽きなかつた。
[#ここから2字下げ]
・こんなにつかれて日照雨ふる
・うらからはいればふきのとう
・ほろにがいのも春くさいふきのとうですね(緑平居)
 誰も来ない月はさせどもふくらうなけど
 利かなくなつた手は投げだしておく日向
 げそりと暮れて年とつた
[#ここで字下げ終わり]

 二月廿八日[#「二月廿八日」に二重傍線]

片手の生活、むしろ半分の生活[#「半分の生活」に傍点]がはじまる。
不自由を常とおもへば不足なし、手が二本あつては私には十分すぎるのかも知れない、一つあれば万事足る生活がよろしい[#「一つあれば万事足る生活がよろしい」に傍点]。
街へ米買ひに、――食べずにはゐられないことは困つたことだ。
身辺整理、――遺書も認めておかう。
樹明君が病状見舞に来てくれる、酒と下物とを持つて。
死を待つ心、おちついて死にたい[#「おちついて死にたい」に傍点]。
[#ここから2字下げ]
 鳴きつゞけて豚も寒い日
・何やら来て何やら食べる夜のながいこと
 もう一杯、柄杓どの(酔ざめに)
・月がぱち/\お風呂がわいた
 夜ふかうして白湯《サユ》のあまさよ
   追加
 乞ひあるく道がつづいて春めいてきた
[#ここで字下げ終わり]

 三月一日[#「三月一日」に二重傍線]

曇つて寒い、井上さんから貰つてきたトンビのありがたさよ。
新若布がおいしい、私には菜食がよろしい。
何事もなし。

 三月二日[#「三月二日」に二重傍線]

晴、春寒、不自由不愉快。
我儘な猟人が朝からパン/\うつ、気の毒な小鳥たちよ。
何事も積悪の報い、甘受いたしませう。
孤独、沈黙、句作。
めづらしや女性来訪、F屋のおばさんとちいちやん、水仙もらひに寄つたのです、紅茶を御馳走する。
夜、冬村君来庵、お土産として水餅どつさり。
つゞいて樹明来、おとなしくすぐ帰宅。
さらにTさんがやつてくる、酒を持つて、――おそかりし、おそかりし。
月のあかるさ、一人のよろしさを味ふ。
[#ここから2字下げ]
・風が明けてくる梅は満開
 いつもつながれてほえる犬へ春の雪
 待つても来ない木の葉がさわがしいゆふべとなつた
・ちかみちは夕ざれの落葉ふめば鳴る
 さむいゆふべで、もどるほかないわたくしで(樹明君に)
 犬がほえる鳥のなく草は枯れてゐる
・水底ふかくも暮れのこる木の枯れてゐる
[#ここで字下げ終わり]

 三月三日[#「三月三日」に二重傍線]

さむいけれどうらゝかである、餅と酒と豆腐と。
樹明君を徃訪して、帰庵して、御馳走をこしらへて待つ、待ちきれなくて街をあるく、帰つてみれば、樹明君はちやんと来てゐて、御馳走を食べてゐる、さしつさゝれつ、とろとろとなる、街へ出てどろ/\となつて別れる。
[#ここから2字下げ]
・酔ひざめの春の霜
・藪かげほつと水仙が咲いてゐるのも
 みんな酔うてシクラメンの赤いの白いの
・風がふくひとりゆく山に入るみちで
・すげなくかへしたが、うしろすがたが、春の雪ふる(樹明に)
・洗つても年とつた手のよごれ
・心あらためて土を掘る
[#ここで字下げ終わり]

 三月四日[#「三月四日」に二重傍線]

樹明君が朝も晩もやつてきて、昨夜の酔態をくやしがる。
雪がとけて風がふく、さみしいな、やりきれないな。

 三月五日[#「三月五日」に二重傍線]

晴れたり曇つたり、今日も雪だ。
形影問答、年はとりたくないものだのう、さうだのう。……
風呂にはいる、身心やゝ解ける。
夜は宿直室に樹明君を訪ねて御馳走になる、そして泊る。

 三月六日[#「三月六日」に二重傍線]

雪、雪、寒い、寒い。
母の祥月命日、涙なしには母の事は考へられない。
終日独居。
友はありがたいかな、私は親子肉縁のゆかりはうすいが、友のよしみはあつい、うれしいかな。
忘れられた酒[#「忘れられた酒」に傍点]、それを台所の片隅から見出した、いつこゝにしまつてゐたのか、すつかり忘れてゐた、老を感じた、その少量の酒をすゝりながら。……
陶然として、悠然として酔ふた、そして寝た、寝た、宵の七時から朝の七時まで寝つゞけた。
[#ここから2字下げ]
・雪あした、すこしおくれて郵便やさん最初の足跡つけて来た
・死ねる薬はふところにある日向ぼつこ
・水のんで寝てをれば鴉なく
・売れない植木の八ツ手の花
・寒い雨がやぶれた心臓の音
[#ここで字下げ終わり]

 三月七日[#「三月七日」に二重傍線]

晴、春風しゆう/\だつたが、午後は曇つて降つた、しかし昨日の雪のとけるといつしよに冬はいつてしまつたらしい。
草が萠えだした、虫も這ひだした、私も歩きださう。
一片の音信が、彼と彼女と私とをして泣かしたり笑はしたりする、どうにもならない私たちではあるが。
街へ出て、米すこしばかり手に入れる、餅ばかりでは困る。
心臓[#「心臓」に傍点]がわるい、心臓はいのち[#「いのち」に傍点]だ、多分、それは私にとつて致命的なものだらう。
どうせ畳の上では徃生のできない山頭火ですね[#「どうせ畳の上では徃生のできない山頭火ですね」に傍点]、と私は時々自問自答する、それが私の性情で、そして私の宿命かも知れない!
[#ここから2字下げ]
・晴れて風ふく春がやつてきた風で
・日がのぼれば見わたせばどの木も春のしづくして
・む[#「む」に「マヽ」の注記]のむしもしづくする春がきたぞな
・木の実ころ/\ころげてくる足もと
・豚の子のなくも春風の小屋で
・まがればお地蔵さまのたんぽぽさいた
[#ここで字下げ終わり]

 三月八日[#「三月八日」に二重傍線]

降つても照つても、晴れても曇つても、風が吹いても、春が来てゐることに間違はない。
日がさすと、雲雀が出てきてあるいてゐる、私も出てあるく。

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