日[#「二月十六日」に二重傍線]
霜晴れ、霜消し[#「霜消し」に傍点]一杯!
旧正月で、鮮人連中の踊り姿を見た、赤、黄、青の原色がけば/\しいが、原始的のよさがないでもなかつた。
樹明君を訪ね、さらに久芳さんを訪ねる、週間[#「間」に「マヽ」の注記]朝日所載の、井師『酒と水』とを読ましてもらふ、そこには私の事がまざ/\と書いてあつた。
午後、武波憲治君の葬式に列した、彼の一生、人間の一生といふものがつく/″\考へられた。
夕方、樹明君来庵、テル坊も来庵、彼女は餅を持つてきてくれた、餅は好きだ、煮ても焼いてもうまい、餅と日本人の生活[#「餅と日本人の生活」に傍点]、といふやうな事も考へる。
暮れて、樹明君と同道して岐陽さんを訪ねる、さつそく酒になる、久芳校長も浅川国手もやつてこられて、一升瓶が何本か倒れた、下物はお手のもので凝つたものばかり。
酔うて、二人であちらこちらと歩く、そしておそく帰庵。
久芳さんが満洲の石鍋を下さつた、樹明君が生酔本性を発揮して、無事持ち帰つてゐるといふ、東上送別にはその鍋でスキヤキして一杯やりたいな。
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Tさんの葬儀に列して(二月十六日午後)
・野辺のおくりのすすきはよろしいかな
・南無阿弥陀仏もう鴉がきてゐる
墓石に帽子をのせ南無阿弥陀仏
・これが一生のをはりの、鴉と子供
人を葬るところ梅の花
・墓場へみちびくみちの落葉鳴らしゆく
落ちてそのまゝ芽生えた枇杷に枇杷
・ぼんやりをればのぞいては啼くはひたたき
・さびしさのはてのみちは藪椿
・風に木の葉のさわがしいさうろうとしてゆく
・夜ふけの餅のうまさがこんがりふくれ
・枯れたすゝきに日が照る誰かこないかな
黎々火君に秋田蕗二句
蕗の芽もあんたのこゝろ
・あんたのこゝろがひろがつて蕗の葉
[#ここで字下げ終わり]
二月十七日[#「二月十七日」に二重傍線]
あたゝかい、雨が近いらしい、九州行が困らないやうに。
朝、樹明来、昨夜の酔態を気にかけてゐる、酔うて乱れないやうにならなければ[#「酔うて乱れないやうにならなければ」に傍点]、人間は駄目[#「人間は駄目」に傍点]、生活も駄目だ[#「生活も駄目だ」に傍点]。
身心ぼんやり、大風一過の気分、凝心[#「凝心」に傍点]ばかりではいけない、私は放心を味ふ[#「放心を味ふ」に傍点]、いや楽しむ[#「いや楽しむ」に傍点]。
いつでも餓死する覚悟があれば[#「いつでも餓死する覚悟があれば」に傍点]、日々好日であり事々好事である[#「日々好日であり事々好事である」に傍点]、何のおそれるところもなく、何のかなしいものもない。
食べることが生きることになる[#「食べることが生きることになる」に傍点]、といふ事実は、老境にあつては真実でないとはいへまい。
終日終夜、寝床で読書、ひもじくなれば餅をたべて安らかに。
[#ここから2字下げ]
・遠山の雪ひかる別れなければならない
・草は枯れて犬はたゞほえて
・雪どけのぬかるみのあすはおわかれ
・朝から降つたり照つたり大きな胃袋(ルンペンのなげき)
・かみしめる餅のうまさの夜のふかさの
・なにもかも雑炊としてあたゝかく
・小鳥も人もほがらかな雲のいろ
こゝろあらためて水くみあげてのむ
・ほつかりめざめた春めいた雨の柿の木
ぽつとり椿が雨はれたぬかるみ
[#ここで字下げ終わり]
二月十八日[#「二月十八日」に二重傍線]
雨、しと/\と春めいて降る、出立を延ばした。
午後、風呂へいつた留守に樹明来、ハムを持つてきたといふ、一杯やらずはなるまいといふ、まことに然りで、一杯やる、おとなしく別れる、めでたし、めでたし、あゝめでたし。
餅をたべつゝ、少年時代に餅べんたう[#「餅べんたう」に傍点]を持つて小学校に通うたことをおもひだす、餅のうまさが少年の夢のなつかしさだ。
アルコールのおかげで、ぐつすり一ねむり、それから読書。
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・風の中の変電所は午後三時
風ふく西日の、掘りつゞけてゐる泥蓮
・風をあるいてきて新酒いつぱい
・寺があつて墓があつて梅の花
風が出てきて冬が逃げる雲の一ひら二ひら
・水底しめやかな岩がある雲のふかいかげ
・ちかみちは春めく林の枯枝をひらうてもどる
・夜あけの葉が鳴る風がはいつてくる
明日から、東行前記ともいふべき
[#ここから割り注]北九州めぐり[#ここで割り注終わり] 旅日記
[#ここで字下げ終わり]
二月十九日[#「二月十九日」に二重傍線]
晴、寒い、いよ/\出立だ。
樹明君が、約束の珍品を持たせて寄越す、五十銭銀貨弐枚を酒代として、そして旅の餞別として地下足袋、かたじけなく頂戴して歩きだしたことである。
まことに久しぶり行乞の旅である、絡子をかけることを忘れたほど、あはてゝいそいだ(これは禅坊主として完全に落第だ!)。
峠はよいかな、よいかな、昔の面影が十分に残つてゐる、松並木がよい、水音がよい、風もわるくない。……
風は吹いても寒くはなかつた、昼飯はヌキにして酒一杯と饅頭五つ、下手な両刀つかひだ!
厚狭まで歩いて、それから汽車で長府まで、そしてまた歩いて、黎々火居に地下足袋をぬいだ、君はまだ帰宅してゐない、日記をつけたり本を読んだりして待つ、黎々火居の第一印象はほんとによかつた、家も人も何もかも。
今日は何故だか労[#「労」に「マヽ」の注記]れた(六里強しか歩いてゐないのに)、老のおとろへもあらう、なまけ癖もあらう、出発がおくれたためもあらう、風がふくからでもあらう(風は孤独者には禁物だ)、待ちきれなくて、勧められるまゝに、ひとりで酒をいたゞき餅をいたゞく、酒もうまく餅もうまい、ありがたいありがたい。
やうやくにして黎君帰来、しんみり飲んで話しつゞける、酔うて労れて、ぐつすり寝る。……
返事をしない男[#「返事をしない男」に傍点]! 厚狭駅の待合室で、新聞を読んでゐる男に読まして下さいといつたら、彼は黙つてゐた、物をいふことが惜しいといつた風に!
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・食べもの食べつくし旅へでる春霜
・これから旅も春風のゆけるところまで
・春がきた水音のそれからそれへあるく
・梅もどき赤くて機嫌のよい頬白目白
・こゝからは長門の国の松葉ふる
・誰もゐない筧の水のあふれる落葉
・岩を白う岩から寒い水は走る
・こゝで泊らうどの家も餅がほしてある(改作)
春が来たぞな更けてレコードもをんなの肉声
追加二句
・灯つてまたたいてあれはをなごや
・春寒いをなごやのをんなが一銭持つて出てくれた
[#ここで字下げ終わり]
二月二十日[#「二月二十日」に二重傍線]
五時すぎにはもう起きた、お雑煮はいつでもおいしい、お辨当まで貰つて、いつしよに出立、朝ぐもりの寒さだ。
黎君は汽車で局へ出勤、私は海岸線を下関へ。
関門風景はよろしい、なつかしい、ゆつくりと歩く、ぼつり/\句もできる、おもひでの感慨多少。
長府はまことにおつとりとした遊園地だ、享楽場ではないが、とにかく、ブルヂヨアの土地だ、プロレタリヤの土地でもあるが。
下関へ着いたのは九時だつた、唐戸市場を見物[#「見物」に傍点]する、どうしても行乞気分になれない、あちこち歩きまはるだけ。
下関といふところは、何と食べ物の多いこと! 食べる人の多いこと!
かうして歩いてゐると、私といふ人間がどれだけ時代錯誤的であるかゞよく解る、世間と私との間にある距離を感じる、しかし、私の悩みはそこにはない、私の悩みは、なりきれない[#「なりきれない」に傍点]――何物にもその物になりきりえないところにある。
花屋さんがもう、菜の花[#「菜の花」に傍点]を売つてゐる、八百屋には蕗の薹[#「蕗の薹」に傍点]。
街の老楽師[#「街の老楽師」に傍点]! なんとみじめな。
午後、地橙孫居を訪ねて閑談二時間。
四時、唐戸から船で大里へ、大里から荒生田まで電車、公園の入口でひよつこり星城子君にでくわす、よかつた。
入浴、身心やゝかろし、酒、飯、話。……
同道して井上さんを訪ねる、また酒だ、シヤンもゐらつしやる。
酔うて戻つて熟睡、大鼾であたりをなやましたらしい。
井上さんがトンビを供養して下さつた、私にはよすぎるほどの品である、トンビはむろんあたゝかい、井上さんの人情と共に。
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トンビでもほしい夜のトンビをもらつて着てゐる
[#ここで字下げ終わり]
帰途の一句である。
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朝はつめたい煙草も分けてさようなら
・なか/\寒い朝から犬にほえられどうし
崖にそうてきて曲れば蘭竹二株の早春
・汽笛《フネ》とならんであるく早春の白波
昇る日は春の、はいつてくる船出てゆく船(関門風景)
日が出るとあたゝかい影がながう枯草に
早春のさゞなみが発電所の石垣に
・投げて下さつた一銭銅貨の寒い音だつた
春もまだ寒い街角で売る猪の肉で
きたない水がちろ/\と寒い波の中へ(御裳川)
そこらを船がいつたりきたり岩に注連をかざり(壇ノ浦)
・鴎が舞へば松四五本の春風(巌流島)
・あの娘《コ》がかあいさうでと日向はぬくいおばあさんたち
・春めいた風で牛肉豚肉馬肉鶏肉
・こんなに食べる物が食べる人々が
・みんな生きねばならない市場が寒うて
・背中流してくれる手がをさなうてぬくうて
星城子居即事
・冬木をくゞつて郵便やさんがうらから
・かけごゑかけてかつぎあげるは先祖代々の墓
・よい道がよい建物へ、焼場です
[#ここで字下げ終わり]
二月二十一日[#「二月二十一日」に二重傍線]
春光うらゝかである、満ち足りた気持である。
星城子君我儘不出勤、自から称して禄盗人といふ、いつしよにぶらぶら歩いて到津遊園鑑賞。
動物園はおもしろい、獅子、虎、熊、孔雀、兎、鶴、等々には好感が持てるが、狐、狸、猿、鸚鵡、等々には好感が持てない、殊に狐は悪感をよぶばかりだ。
七面鳥はおしやれ、鳩はさびしがりや、鶴はブルヂヨア、いやさインテリゲンチヤ、鸚鵡はどうした、考深さうに首をかしげてゐる!
総じて、獣よりも鳥が好き、人間は人間にヨリ遠いものほど反感をうすらげますね。
星城子なげくところの犬の墓を見た。
顔は生活気分を表象する[#「顔は生活気分を表象する」に傍点]、私の顔の変化についての、星城子君の言説は首肯する。
ちよつと四有三居訪問、「一即二」の額がまづ眼についた、井師がよく出てゐる。
それから小城さんの白雲閣を襲ふ、赤ん坊が生れてゐる、おめでたい、主人がすゝめられるまゝに、二階で飲む、牛肉がうまいやうに芋がらもうまかつた、酒のうまさは握飯のそれに匹敵した。
星城子君は飲めないから飲まない、山頭火君は飲めるから飲む、などゝ、小城さん思つたかどうだか。……
暮れてお暇乞する、次良さんの事を話しながら戻つた、二[#「二」に「マヽ」の注記]郎さんは不幸な人だ、彼の善良と不幸とは正比例してゐる。
読書するつもりだつたが、しぜん眼があけてゐられなくなつた。
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到津遊園
・人影ちらほらとあたゝかく獅子も虎もねむつてゐる
白雲閣即事二句
・お産かるかつたよかつた青木の実
・訪ねて逢へて赤ん坊生れてゐた
[#ここで字下げ終わり]
二月廿二日[#「二月廿二日」に二重傍線]
曇、何か降つてきさうだ。
九時、星城子さんは役所へ、私はアスフアルトの街道へ。
星城子さんは好きだけれど、八幡は好かない。
小倉の寝十方花庵を訪ねる、庵主不在、奥様と話しながらよばれる、酒は飲んでも飯は食べない、お嬢さんはホガラカで、しごくよろしい。
降りだした、濡れて戸畑へ、そして若松へ。
病院で入雲洞君に逢ふ、退けるまで待つて、また戸畑へ、入雲洞居へ、あつい風呂はうれしかつた、酒も肴もおいしかつた、奥さんはお留守で、すべてが主人みづからの心づくしだ。
病院は病院くさい、それでよいのだらうけれど、まめでたつしやな私は嫌だ。
食べられるだけ食べて、いや、そのまへに飲めるだけ飲んで、さてこれから寝られるだけ寝れば
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