に白三角傍点]ことに心が傾いてきた、物の相《すがた》、そこに今まで観なかつたものを観るやうになつた、物の色、香、音といふものから離れて、物のかたち[#「物のかたち」に傍点]、物のすがた[#「物のすがた」に傍点]、そのものに没入しようとしてゐる、多分こゝから、私の句境に一転向――それは一つの飛躍でなければならない――が出て来るであらう。
△描く、写す、そして述べる、詠ずるのである、正しい認識[#「正しい認識」に傍点]、それがなければ、まことの芸術はない。
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・茶の木の雪のもうとけた
・雪の小鳥よとんできたかよ
   敬坊に
 ごつちやに寝てゐる月あかり
・月がのぼればふくらううたひはじめた
・雪空、わすれられたざくろが一つ(改作再録)
・笹原の笹の葉のちらつく雪
・雪ふりつもる水仙のほのかにも
・かすかな音がつめたいかたすみ
・茶の木の雪のおのがすがた
・投げだしてこのからだの日向
・どうすることもできない矛盾を風が吹く
・つい嘘をいつてしまつて寒いぬかるみ
[#ここで字下げ終わり]

 三月十四日[#「三月十四日」に二重傍線]

まつたく春だ、うらゝかな日かげ、霜はつめたいが。
もう食べるものがなくなつた、でも身心はやすらかだ。
昨日の夕方、敬坊と約した手紙を受取るべく駅まで出かけたが、その手紙はまだ届いてゐなかつた、で、今朝はわざ/\嘉川まで出かけたのだが、その人に逢へなかつた、失望落膽、急に空腹を感じたことである。
一天雲なく腹裡一物なし、そして途上二句だけ拾つた。
瓶の水仙を椿(もちろん藪椿)に代へた、仏壇は水仙の盛花、花はよいなあと花を眺めては思ふ。
食べすぎの後は食べたらないのがホントウだらう!
暮のサイレンが鳴つても電燈がつかない、つかない筈だ、電球がきれてゐる、そしてそれをかへて貰ふ拾銭もない、――今夜は早くから寝て考へよう!
日中来書の約を履んで、樹明君バリカン持参で来庵、理髪どころぢやない、会話にも興が乗らない、やうやく名案を思ひついた、――焚火で理髪して貰つたのである。
今夜の其中庵風景はまことに異色あるものであつた、私は、恐らくは樹明君も、一生忘れないであらう。
街あかり星あかりだけでも、室内はほんのり明るい、そして今、十九夜の月が昇つた、その光をまともにうけて、明るい、明るい。
樹明君がお土産の牡蠣はうまかつた、殼をたゝき割つて、そのまゝ食べる、かんばしい、久しぶりに磯の香をかいだ。
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・水音もあたらしい橋ができてゐる
・新国道まつすぐに春の風
・うらゝかにして腹がへつてゐる
・送電塔に風がある雲雀のうた
・麦田風はれ/″\として藁塚や
・裏口からたんぽゝにたんぽゝ
・春風のお地蔵さんは無一物
・あれが変電所でうらゝか
・こんなに虫が死んでゐる、たゞあかるくて
 春夜の虫のもう死んでゐる
 もだえつゝ死んでゆく春の夜の虫
 春の夜の火事の鐘をきいてゐる
・何だか物足らない別れで、どこかの鐘が鳴る
・春寒のシヤツのボタンを見つけてつけた
[#ここで字下げ終わり]

 三月十五日[#「三月十五日」に二重傍線]

来信いろ/\、しみ/″\読む。
やつと米一升(二十二銭)となでしこ一袋(四銭)とを捻出した、かういふ場合でないと、飯のうまさ、煙草のうまさが全身心に味へない。
十日ぶりに入浴、剃刀がないので髯が剃れなかつたのは残念、それよりも残念なのは電球をかへることが出来ない事だ、今夜もくらがりで考へるか!
春曇らしく曇つて、多少の風、遠山は霞。
いつのまにやら、鼠がやつて来てゐるらしい、そこらをごそごそやつてゐる、食べるものがなくて気の毒千万、とても同居はむつかしからう。
ちしや、ひともじ、ほうれんさうを食べる、うれしい味だ。
夕ぐれ、ぢつとしてゐると、裏戸があいた、樹明君だ、電球を持つてきてくれた、そしてバツト、そして五十銭玉一つ、さつそく酒を買うてくる、……感泣々々。
野鼠だつた、家鼠ではなかつた、野鼠でなくては、こんなところには我慢出来ない。
虫が多くなつた、明るすぎる電燈の下で、たくさん死んでゐる、こゝにも生死去来の厳粛な相[#「生死去来の厳粛な相」に傍点]がある。
樹明君のおかげで、明るく、安らかに寝た。
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・あたゝかい雨の木の実のしづくする
・ぱつとあかるく水仙がにほふ私の机
・草の芽、釣瓶縄をすげかへる
 霽れるより風が出て遠く号外の鈴の音
・裏山へしづかな陽が落ちてゆく
・落ちる陽をまへにして虹の一すぢ
[#ここで字下げ終わり]

 三月十六日[#「三月十六日」に二重傍線]

ぬくすぎたが、はたして雨だ、この雨が木の芽草の芽を育てるのである。
サイレンと共に起きた、何となく心楽しい朝だ。
降つたり止んだり、照つたり曇つたり、まこと
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