傍線]

曇、后晴、小雪、――私の心は明朗。
梅花一枝を裏の畑から盗んで来て瓶に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]した、多過ぎるほど花がついてゐる、これで仏間の春がとゝのふた。
敬治君からうれしい返事が来た、彼の平安が長続きするやうに祈つてやまない。
昼も夜もコツコツと三八九の原稿を書いた、火鉢に火のないのが(木炭がないので)さびしかつた、燗瓶に酒があつたら賑やかすぎるだらう。
[#ここから2字下げ]
・落葉ふんでどこまでも落葉
・雑草もみづりやすらかなけふ
・木枯の身を責めてなく鴉であるか
・冬の夜ふかく煙らしてゐる
・寒うをれば鴉やたらにないて
・けさは雪ふる油虫死んでゐた
[#ここで字下げ終わり]

 一月十五日[#「一月十五日」に二重傍線]

霜、晴れたり曇つたり、寒《カン》らしい冷たさ。
終日、三八九の原稿を書いた、邪念なしに、慾望なしに。
夜はよく寝られた、平凡にして安静、貧乏にして閑寂。

 一月十六日[#「一月十六日」に二重傍線]

薄雪がまだらにつんでゐて晴、明けてから最初のお天気らしいお天気である。
うらゝかで、あたゝかで、日向ぼつこしてゐねむりするにはもつてこいの日だ。
けさの御飯は上出来だつた、仏様も喜んで下さるだらう、まだ雪をかぶつてゐる大根一本ぬいてきておろしにする。
「松」がきた、待つともなく待つてゐる手紙は来ない、まもなく新聞がくる、これでもう来る人も物もないわけだ。
それにつけても、樹明さんはどうしたのだらう、こんなに長く、といつても五日ばかりだが、やつてこないことは、今までにはなかつた、禁足か、自重か、それとも家事多忙か、身辺不穏か、とにかく気にかゝるけれど、此場合、訪ねてゆきたくない、行くべきでないと思ふ、いろ/\の理由から。――
三八九の原稿を書きつゞける、煙草のなくなつたのが残念だ、一服やりたいなあ、と灰の中の吸殻をさがしてみる。
午は菜葉を煮て食べる、寒いからラードを少し入れる。
火を焚きつゝ、私はいつも火について考へる、火、ひとりの火。
この火床《クド》も火吹竹も私がこしらへたものである。
水仙は莟がだいぶ大きくなつた、裏の梅二株は見頃だ。
晩にはすいとん汁[#「すいとん汁」に傍点]をこしらへた、御飯が足らないらしいから。
夜、やうやく三八九の原稿を書きあげた、安心して寝る。
よろこびがしづかにわく、そのよろこびを味ふ、しづかな雨がふる、その雨を味ふ。
[#ここから2字下げ]
・冬ぐもり、いやな手紙をだしてきたぬかるみ
・あたたかし火を焚いて古人をおもふ
・芥うかべて寒の水の澄まうとする雲かげ
・寒い朝の土をもりあげてもぐらもち
[#ここで字下げ終わり]

 一月十七日[#「一月十七日」に二重傍線]

けさはゆつくり朝寝した、寝床のなかで六時のサイレンをきいた。
雨がふつてゐる、おちついて何かと仕事をする。
あるだけの米を粥にした、大根の浅漬がおいしい。
忘れてゐた※[#「魚+昜」、273−5]をかみつゝ、三八九印刷、紙があるだけ。
三八九、何から何まで私一人の仕事である、書く、刷る、綴ぢる、送る、等、等。
△おだやかに、けちけち[#「けちけち」に傍点]せずに、つつましく、くよくよ[#「くよくよ」に傍点]せずに。

 一月十八日[#「一月十八日」に二重傍線]

くもり、はれる、そしてまたくもる。
きのふ一通、けふ一通、いやな手紙をかいてだす。
五厘銅貨でなでしこの小袋を買ふ、村のデパートで、そして、そこのおかみさんが五厘銅貨を歓迎してくれた!(豆腐油揚が弐銭五厘なので釣銭として五厘銅貨がほしいといつた)
古木を焚いて湯を沸かして砂糖湯を飲む、うまい。
酒はこらえられるが、煙草はなか/\こらえにくいものである、その煙草を三日ぶりに喫ふたのである。
△身貧しくして道貧しからず、――負け惜みでもなく、諦めでもなく、それは今日の私の実感であつた。
木がある水がある、塩がある、砂糖がある、……しかし、古木を焚いて(炭がないから)砂糖湯を啜る(米がないから)といふ事実はさみしくないこともない、さみしくてもありがたい、湯がたぎる、りん/\とたぎる、その音はよいかな、ぱち/\と燃える音はいはでもがな。
かうして生きてゐる、それは生活といふべくあまりにはかないであらうけれど、死ねないあがきではない、やすらかである。
△水仙のきよらかさ、藪柑子のつゝましさ、雑草のやすけさよ。
けふも鴉が身にせまつて啼く。
晩には食べるものがないから、大根を三本(大根三本の命ともいへる)ひきぬいて、それを煮て食べた、それで十分だつた、大根は元来うまいものだが、こんばんの大根はとりわけうまかつた、こんなにうまい大根をたべることが出来たのはありがたいことだ、しかしこれでいよ/\食べるも
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