さびしい、樹明君(老の字は遠慮しよう)がおいていつたバツトをふかしながら物思ひにでもふける外ない。
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・お留守しんかんとあふれる水を貰ふ
・待つて待つて葉がちる葉がちる
・あるくほかない草からぴよんと赤蛙
    □
・つぎ/\にひらいてはちる壺の茶の花
・秋の夜のどこかで三味線弾いてゐる
・葉がちるばかりの、誰もこない
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 十月卅日

けさは早かつた、そしてとてもいゝお天気だつた、文字通りの一天雲なし、澄みきつて凛とした秋だつた。
かうしてゐると、ともすれば漠然として人生を考へる、そしてそれが自分の過去にふりかへつてくると、すべてが過ぎてしまつた、みんな死んでしまつた、何もかも空の空だ、といつたやうな断見に堕在する、そしてまた、血縁のものや、友人や、いろ/\の物事の離合成敗などを考へて、ついほろり[#「ほろり」に傍点]とする、今更、どんなに考へたつて何物にもならないのに――それが山頭火といふ痴人の癖だ。
落葉を掃いてゐるうちに、何となしにうれしくなつた、よいたよりがあるかも知れない、敬坊は今日こそやつてくるだらう、……ところが、悪い手紙が来た(S女から)、予期しないではなかつたけれど、悪い手紙はやつぱり悪い、読むより火に投じた。
しかし、私は、だいぶ長らく私自身から遊離してゐた私は今、完全に私自身をとりもどした、私は私自身の道を歩む外ない、私自身の道――それは絶対だ。
私は知らず識らず自堕落になつてゐた、与へられることになれて与へることを忘れてゐた、自分を甘やかして自分を歎いてゐた、貧乏はよい、しかし貧乏くさくなることはよくない、貧乏を味ふよりも貧乏に媚びてゐた、孤独を見せびらかして孤独をしやぶつてゐた。……
樹明君から胃の名薬(一名白米)が到来した、何といつても米と水と塩とさへあれば、私は当分死なゝいですむ、命の恩人だ、井月の口吻をまねすれば、千両、千両!
殺されて、焼かれて、油虫が香ばしい匂ひを発する、人間は残忍至極の動物なるかな(油虫は人間を害しはしない)。
午後、敬治坊を待合せるべく樹明君来庵、夕方まで話しながら待つてゐたが敬治坊遂に来ない、敬治坊よ、二人まで待ちぼけさせるとはあんまりひどいぞ。
樹明君が畑を中耕してくれた(君は病人であることを忘れてはならない、そして畑作りの私が中耕を御存じなかつたことも忘れてはならない)、中耕、中耕、なるほどさうか!
昨日今日のよい気分が夜になつて少々いら/\してきた、早く寝床にはいる、とても寝つかれはしないけれど。
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・電燈から子蜘蛛がさがりれいろうと明ける
・朝はよいかな落ちた葉も落ちぬ葉も
 とほくちかく稲こぐひゞきの牡丹咲いてゐる
・こんなところに茶の花がけさの雰囲気
・掃いてきて何とこれがらつきようの花
 わたくしのほうれんさうが四つ葉になつた
 あゝしてかうして草のうへで日向ぼこして
 蠅が、秋蠅がもつれより
・病人を見送つて落葉する木まで
・恋のこうろぎが大きい腹をひきずつて(改)
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今日の所感二三追記する。――
茹でた章魚《タコ》を切りながら、章魚といふものをよく見て、もう章魚のうまさの半分を無くしてしまつた、それほど章魚は怪物だ、グロのグロだ、章魚を最初に食した人間はよほどの人間(賢愚によらず)であつたに違ひない、海鼠も怪物だが、彼には何処となく愛嬌がある、章魚を食べるに比べては、蚯蚓や蛞蝓や蜘蛛や百足位は何でもないのに、前者は賞美せられて、後者は見向きもされない、なるほど習慣といふものは恐ろしいと思ふ。
坊主の綽名を鮹ともいふ、頭部がつるり[#「つるり」に傍点]としてゐるからだらうが、私ばかりでなく坊主には鮹好きが多い、とにかく私は鮹好きだが、自分で料理すると、あのぬめ[#「ぬめ」に傍点]/\した吸盤が眼について、食慾をそゝられない、総じて日本料理は眼[#「眼」に白三角傍点]で最初に食べ、そして舌[#「舌」に白三角傍点]で味ふ品が多いが、鮹は見ないで、舌、いや歯[#「歯」に白三角傍点]で食べるべきだらう。
畑をいつも飛びまはつてゐるこうろぎも、もう孕んでゐるらしい、手や足が一本位ないのが多い、恋の痛手とはこのことだらう。
粥[#「粥」に白三角傍点]といふものには特殊な情趣がある、今日は樹明君と二人で粥を煮て食べたが、何だかしみ/″\としたものを感じた、庵には誰も来ない二人で二人の夜を――といふ樹明君の近作があるが、あのあつい粥をふき/\すゝりあふところにはしたしさそのものが湯気のやうにたちのぼるやうだつた。
十七日から今日まで十三日間、よく私も辛抱した、十七日の朝、財布をしらべたら二十五銭あつた、そこで十銭が醤油、五銭が撫子、十銭が焼酎となつて、まつたくの一文なしとなつ
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