た、そして今日まで一文なしで暮らしてきたのである(米とか味噌とは[#「とは」に「マヽ」の注記]別にして)、酒も暫らく飲まない、飲まうにも飲めない(もつとも、その間に樹明君に三度ほど御馳走になつた)。
夜になつて風が出て、木の葉がしきりに落ちる、落葉は見て[#「見て」に傍点]よりも聞いて[#「聞いて」に傍点]さみしい、また聞くべきものだらう。

 十月卅一日

昨日よりもよいお天気で。――
そして私はいら/\して、とてもぢつとしてはゐられないので、十時過ぎ、冷飯を掻きこんで、ぶらりと外へ出た、さて何処へ行かうか、行かなければならないところもなければ(あることはあるけれど行けない)、行きたいところもない、まあ、秋穂方面でも歩かうか。
途中、駅のポストへ出したくない――だから同時に出してはならない手紙を投じた。
椹野川に沿うて一筋に下つてゆく、潮水に泡がういて流れる、秋の泡[#「秋の泡」に傍点]とでもいはうか、堤防には月草、撫子が咲き残つてゐる、野菊(嫁菜ではない)がそここゝに咲いてゐる、砂ほこりが足にざら/\して何だか物淋しい、やたらに歩いて入川の石橋に出た、海は見えないけれど、今日は立干をやつてるさうで、鰡が上つてくる、それを網打つべく二三人の漁夫が橋の上で待つてゐる、見物人が多い、私の[#「の」に「マヽ」の注記]その一人となつて暫らく見物した、そして労れたので、そこからひきかへした、名田島の中央を横ぎつて、駅の南方をまはつて帰庵したのは夕方だつた、それから水を貰ふやら、粥を煮るやら、お菜をこしらへるやらするうちに、すつかり暮れてしまつた。
出来秋の野良仕事はまことにいそがしい、その間をぶらつく私は恥づかしかつた、私はまつたく不生産的人間だ、社会の寄生虫だ!
夜は早寝した、明日は朔日だ、よし、明日からは働かう。
[#ここから2字下げ]
・水音の秋風の石をみがいてゐる
 水はたたへて秋の雲うつりゆく
   ざれうた一首
 何もかもウソとなりたる世の中に
  マコトは酒のうまさなりけり
[#ここで字下げ終わり]

 十一月一日

曇、早起、御飯を食べて、御経をあげて、さて本でも読まうかといふところへ樹明君が長靴をひきずつてきて、ひよつこり顔をだした、顔色がよろしい、今朝は部落の早起会で(彼は青年団長である)仕事をすましてそのまゝ来たといふ、敬治坊からの手紙を見せる。
果して敬治坊は耽溺沈没したのだつた、関の鴉に笑はれたらしい、私へは、叱られるから手紙を出さないと書いてある、私には彼を叱る資格はないが、彼を叱るだけの熱意を私が持つてゐることを知つてくれてゐるのはうれしい、お互にもう過去をすつかり清算してもよい、いや、さうしなければならない時期になつてゐる。
敬治坊、これからは、うまくない酒、悔をのこすやうな酒は、お互に断然あほらないことを誓約しようぢやないか、そしてそれを断然実行しようぢやないか、敬治坊!
物の声といふものはおもしろいものである、けさも、鶏の鳴声や汽車の音響によつて、もう夜明けにちかいことを知つた、大気の関係で、同一の音がいろ/\に響くものである、そしてけさはまた風の工合で、駅売の触声がよく聞えた、べんとう、べんとう、――だが、ビール、正宗は聞きとれなくて仕合だつた。
私の無一文を気の毒がつて、樹明君が彼も此頃乏しい銭入から風呂銭として、二十銭おいていつた、私はその十銭白銅貨二つを握つて、考へた。――
これは樹明君へ与へる山頭火報告書である。――
[#ここから1字下げ]
一 金三銭 入浴料一回分    一、四銭 撫子小包
一 金五銭 焼酎五勺      一、五銭 醤油二合
  (此誤記は不用意の皮肉だ) 一、三銭 端書弐枚
 〆金弐拾銭也 差引残金なし
[#ここで字下げ終わり]
この報告書の具体的記述はかうである。――
正午のサイレンをきいてからぶらりと出た、まづ風呂にはいつた、まだ風呂が沸いてゐないので、待つ間におかみさんから針と糸とを借りて、ほころびを縫ふたも一興、それから例のをギユツ、まことにこれは一週間振の一浴であり、一週間振の一杯(正確にいへば半杯)だつたのである、そして今日は椹野川にそうて溯つた、この道にもいろ/\のおもひでがある、身にあまる大金をふところにして山口の税務署へいそいだこともあれば、費ひ果して二分も残らず、ぼう/\ばく/\としてさまよふたこともある、そんな事を考へたり、あちこちの山や野や水を眺めて、とう/\大歳駅まで来てしまつた、そして新国道をひきかへしたが、かへりついたのは薄暗い頃であつた。……
朝も三平汁、昼もおなじ三平汁(三平汁は樹明直伝のもの、朝も三平、昼も三平、そして晩も三平だつたら、合して九平、クヘイ、クヘイ)、晩はにんぢん葉の煮付、何を食べてもうまい、此点に於て、私はほんとうに幸
前へ 次へ
全23ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング