服屋さんが、戸惑ひしたのだらう、御用はございませんかといふ、見るだけでも見てくれといふ、嫌になつてしまう。
夕時雨、あの音には何ともいへないもの[#「何ともいへないもの」に傍点]がある。
まことにしづかである、今にして思へば、私は川棚温泉で拒まれてよかつた、とてもあそこでは落ちつけなかつたらうし、また、こゝほどしんみりしなかつたらう。
[#ここから2字下げ]
・ゆふ空の柚子二つ三つ見つけとく
・わたしひとりのけふのをはりのしぐれてきた
・寝覚まさしく秋雨であつた(即興)
[#ここで字下げ終わり]
夜中にふと眼がさめたら雨がふつてゐた、それはしよう/\とした秋雨だつた、そこでおのづから此一句がある。――

 十月十五日

けさは早かつた、すべての行事がすんでもまだ明けなかつた、おちついて読書した。
時々鉄砲の音が聞える、今日から狩猟解禁、鳥や獣の受難時季が来たのである。
朝の鐘声はよいな、鶏の声よりも。
出勤前の樹明来庵、わざ/\胃の妙薬を持つてきて下さつたのである(白米ですよ!)。
どうも咳が出て切ないから昼寝、そしたら嫌な夢。
茶の花がいちりん、ほんとうにいちりん咲いてゐた、さつそく一輪※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]のコスモスと代へる、まことに茶の花は床しい花である。
蛇が蛙に喰ひついてゐた、あんなに小さい蛇があの蛙を犠牲にしてゐることは、いかに彼の闘争心が強いかを如実に示してゐる、しかし彼に難はない、彼は生きなければならないから、生きずにはゐられないのだから、ことに冬眠の前である、できるだけ栄養分を摂取しなければなるまい、彼は生存の純一な慾望[#「生存の純一な慾望」に傍点]のためにのみ蛙を殺したのである、人間ほど卑劣でない強慾でない。
松の会の同人(平野多賀治)君から、浜松名産『浜納豆』を贈つて下さつた、さつそく頂戴する、これで一杯も二杯も三杯も飲めるといふものだ、私一人には多すぎるから、樹明、冬村、両君にお裾分する(関西にはあまり納豆が喜ばれない)。
Jさんがよい菜葉を持つてきて下さつた、半分は惣菜に、半分は漬物にする、今日はいろ/\のものを頂戴する日だ。
午後は文字通りの一浴一杯。
夜食は菜葉粥、近来の御馳走であつた。
いざよひ月がおもむろに昇る、それを眺めてゐると、何となく人恋しくなる。……
ずゐぶん長く遊んだ、三
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