見た。祖母はいつも『業《ごふ》やれ業やれ』と呟いてゐた。私もこのごろになつて、句作するとき(恥かしいことには酒を飲むときも同様に)『業《ごふ》だな業だな』と考へるやうになつた。祖母の業やれ[#「業やれ」に傍点]は悲しいあきらめであつたが、私の業だな[#「業だな」に傍点]は寂しい自覚である。私はその業を甘受してゐる。むしろその業を悦楽してゐる。

  凩の日の丸二つ二人も出してゐる
  音は並んで日の丸はたたく
 二句とも同一の事変現象をうたつた作であるが(季は違つてゐたが)、前句は眼から心への、後句は耳から心への印象表現として、どちらも残しておきたい。

  しみじみ食べる飯ばかりの飯である
  草にすわり飯ばかりの飯
 やうやくにして改作することが出来た。両句は十年あまりの歳月を隔ててゐる。その間の生活過程を顧みると、私には感慨深いものがある。
[#地から1字上げ](昭和十三年十月、其中庵にて 山頭火)


   鴉


水のうまさを蛙鳴く

寝床まで月を入れ寝るとする

生えて墓揚の、咲いてうつくしや

むしあつく生きものが生きものの中に

山からしたたる水である

まひまひしづか
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