見た。祖母はいつも『業《ごふ》やれ業やれ』と呟いてゐた。私もこのごろになつて、句作するとき(恥かしいことには酒を飲むときも同様に)『業《ごふ》だな業だな』と考へるやうになつた。祖母の業やれ[#「業やれ」に傍点]は悲しいあきらめであつたが、私の業だな[#「業だな」に傍点]は寂しい自覚である。私はその業を甘受してゐる。むしろその業を悦楽してゐる。
凩の日の丸二つ二人も出してゐる
音は並んで日の丸はたたく
二句とも同一の事変現象をうたつた作であるが(季は違つてゐたが)、前句は眼から心への、後句は耳から心への印象表現として、どちらも残しておきたい。
しみじみ食べる飯ばかりの飯である
草にすわり飯ばかりの飯
やうやくにして改作することが出来た。両句は十年あまりの歳月を隔ててゐる。その間の生活過程を顧みると、私には感慨深いものがある。
[#地から1字上げ](昭和十三年十月、其中庵にて 山頭火)
鴉
水のうまさを蛙鳴く
寝床まで月を入れ寝るとする
生えて墓揚の、咲いてうつくしや
むしあつく生きものが生きものの中に
山からしたたる水である
まひまひしづか
前へ
次へ
全34ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング