い工場地帯のけむり
あたたかなれば木かげ人かげ
住みなれて藪椿いつまでも咲き
あるがまま雑草として芽をふく
ぬくうてあるけば椿ぽたぽた
風がほどよく春めいた藪と藪
ほろにがさもふるさとの蕗のとう
ゆらいで梢もふくらんできたやうな
山から白い花を机に
ある日は人のこひしさも木の芽草の芽
人声のちかづいてくる木の芽あかるく
伸びるより咲いてゐる
草のそよげば何となく人を待つ
ひとりたがやせばうたふなり
花ぐもりの窓から煙突一本
ひつそり咲いて散ります
枇杷が枯れて枇杷が生えてひとりぐらし
照れば鳴いて曇れば鳴いて山羊がいつぴき
空へ若竹のなやみなし
身のまはりは草だらけみんな咲いてる
ころり寝ころべば青空
何を求める風の中ゆく
草を咲かせてそしててふちよをあそばせて
青葉の奥へなほ径があつて墓
それもよからう草が咲いてゐる
月がいつしかあかるくなればきりぎりす
木かげは風がある旅人どうし
日の光ちよろちよろとかげとかげ
月のあかるさがうらもおもてもきりぎりす
樹明君に
あんたが来てくれさうなころの風鈴
炎天の稗をぬく
てふてふもつれつつかげひなた
もう枯れる草の葉の雨となり
くづれる家のひそかにくづれるひぐらし
病中 五句
死んでしまへば雑草雨ふる
死をまへに涼しい風
風鈴の鳴るさへ死のしのびよる
おもひおくことはないゆふべの芋の葉ひらひら
傷が癒えゆく秋めいた風となつて吹く
秋風の水音の石をみがく
萩が径へまでたまたま人の来る
月へ萱の穂の伸びやう
旅はゆふかげの電信棒のつくつくぼうし
つきあたれば秋めく海でたたへてゐる
題して『雑草風景』といふ、それは其中庵風景であり、そしてまた山頭火風景である。
風景は風光とならなければならない。音が声となり、かたちがすがたとなり、にほひがかをりとなり、色が光となるやうに。
私は雑草的存在に過ぎないけれどそれで満ち足りてゐる。雑草は雑草として、生え伸び咲き実り、そして枯れてしまへばそれでよろしいのである。
或る時は澄み或る時は濁る。――澄んだり濁つたりする私であるが、澄んでも濁つても、私にあつては一句一句の身心脱落であることに間違ひはない。
此の一年間に於て私は十年老いたことを感じる(十年間に一年しか老いなかつたこともあつたやうに)。そして老来ますます惑ひの多いことを感じないではゐられない。かへりみて心の脆弱、句の貧困を恥ぢ入るばかりである。
[#地から1字上げ](昭和十年十二月二十日、遠い旅路をたどりつつ 山頭火)
柿の葉
[#ここから5字下げ]
昭和十年十二月六日、庵中独坐に堪へかねて旅立つ
[#ここで字下げ終わり]
水に雲かげもおちつかせないものがある
生野島無坪居
あたたかく草の枯れてゐるなり
旅は笹山の笹のそよぐのも
門司埠頭
春潮のテープちぎれてなほも手をふり
ばいかる丸にて
ふるさとはあの山なみの雪のかがやく
宝塚へ
春の雪ふる女はまことうつくしい
あてもない旅の袂草こんなにたまり
たたずめば風わたる空のとほくとほく
宇治平等院 三句
雲のゆききも栄華のあとの水ひかる
春風の扉ひらけば南無阿弥陀仏
うららかな鐘を撞かうよ
伊勢神宮
たふとさはましろなる鶏
魚眠洞君と共に
けふはここに来て枯葦いちめん
麦の穂のおもひでがないでもない
浜名湖
春の海のどこからともなく漕いでくる
鎌倉はよい松の木の月が出た
伊豆はあたたかく野宿によろしい波音も
また一枚ぬぎすてる旅から旅
ほつと月がある東京に来てゐる
花が葉になる東京よさようなら
甲信国境
行き暮れてなんとここらの水のうまさは
のんびり尿する草の芽だらけ
信濃路
あるけばかつこういそげばかつこう
からまつ落葉まどろめばふるさとの夢
江畔老に
浅間をまともにおべんたうは草の上にて
碓氷山中にて路を失ふ
山のふかさはみな芽吹く
国上山
青葉わけゆく良寛さまも行かしたろ
日本海岸
こころむなしくあらなみのよせてはかへし
砂丘にうづくまりけふも佐渡は見えない
荒海へ脚投げだして旅のあとさき
水底の雲もみちのくの空のさみだれ
あうたりわかれたりさみだるる
水音とほくちかくおのれをあゆます
毛越寺
草のしげるや礎石ところどころのたまり水
平泉
ここまでを来し水飲んで去る
永平寺 三句
水音のたえずして御仏とあり
てふてふひらひらい
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