つとなく眠った、夜もすがら渓声。
宵のうちはアルコールの力で熟睡するが、明け方には眼が覚めて、夜の長いこと長いこと、水音たえずして、そしてしずけさ、さびしさ、昨夜のにぎやかで、うるさかったのにくらべて、この寒さ、とにかく[#「とにかく」に傍点]、この二三日は今まで知らないものを知った[#「この二三日は今まで知らないものを知った」に傍点]。

 十一月二十日 晴、好晴、行程六里、久万町、札所下、とみや。

やっと夜が明けはじめた、いちめんの霧である、寒い寒い、手足が冷える(さすがに土佐は温かく伊予は寒いと思う)、瀬の音が高い、霧がうすらぐにつれて前面の山のよさがあらわれる、すぐそばの桜紅葉がほろほろ散りしく、焼香読経、冥[#「冥」に「ママ」の注記]想黙祷。
そこへ村の信心老人――この堂の世話人らしい――が詣でで来て、何かと聞かされた、遍路にもいろいろあって、めったにはここに泊められないこと、お賽銭を盗んだり何かして困ること、幸にして私の正しさは認めて貰った。
寒いけれど(川風が吹くので)八時から一時間ばかり行乞(銭二十八銭、米四合、途中も行乞しつつ)、それから久万へ、成川の流れ、山々の雑木紅葉、歩々の美観、路傍の家のおばあさんからふかし薯をたくさん頂戴した、さっそく朝食として半分、またの半分は昼食として、うまかった、うれしかった。
三里ちかく来ると御三戸橋《ミミトバシ》、ここから面河渓へ入る道が分れている、そこの巨大なる夫婦岩[#「夫婦岩」に傍点]は奥地の風景の尋常でなかろうことを思わせるに十分である、私はひたむきに久万へ――松山へといそいだ。
山がひらけるともう久万町[#「久万町」に傍点]だった、まだ日は落ちなかった、札所下の宿に泊ることが出来た、おばあさんなかなかの上手者、よい宿である、広くて深切で、そして。――
五日ぶりの宿[#「五日ぶりの宿」に傍点]、五日ぶりの風呂[#「五日ぶりの風呂」に傍点]!(よい宿のよい風呂)
街まで出かけて、ちゃんぽんで二杯ひっかけた、甘露々々、そして極楽々々(宿へは米五合銭三十銭渡して安心)。
同宿十数人、同室の同行(修行遍路)から田舎餅を御馳走になった、何ともいえない味だった、ありがとう。
半夜熟睡、半夜執筆、今夜は夜の長いのも苦にならない。
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(夕)   (朝)
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ぬた     味噌汁
大根おろし  豆の煮たの
菜葉汁    煮〆
漬物     漬物
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(めずらしく精進料理)
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(川口在)
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黒味噌
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(赤にあらず)
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田舎には山羊を飼養している家が多い。
山羊は一匹つながれて、おとなしく、さびしく草を食べたり鳴いたり、――何だか私も山羊のような[#「何だか私も山羊のような」に傍点]!

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(十一月二十日)(十一月十九日も)
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つつましくも山畑|三椏《ミツマタ》咲きそろひ
岩が大きな岩がいちめんの蔦紅葉
なんとまつかにもみづりて何の木
銀杏ちるちる山羊はかなしげに
水はみな瀧となり秋ふかし
ほんに小春のあたたかいてふてふ
雑木紅葉を掃きよせて焚く
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野宿
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つめたう覚めてまぶしくも山は雑木紅葉
[#ここで字下げ終わり]

 十一月二十一日

早起、すぐ上の四十四番に拝登する、老杉しんしんとして霧がふかい、よいお寺である。
同宿の同行から餅を御馳走になったので、お賽銭を少々あげたら、また餅を頂戴した、田舎餅はうまい、近来にないおせったいであった、宿のおばさんからも月々の慣例として一銭いただいた。八時から九時まで久万町行乞、銭十三銭米二合、霧の中を二里ちかく歩いてゆくと三坂峠、手足の不自由な同行と道連れになり、ゆっくり歩く(鶏を拾った話[#「鶏を拾った話」に傍点]はおかしかった)、遍路みちはあまり人通りがないと見えて落葉がふかい、桜の老木が枯れて立っている、椋の大樹がそそり立っている、峠が下りになったところでならんでお弁当を食べてから別れる、御機嫌よう。
山が山に樹が樹に紅葉をひろげてうつくしさったらない、いそいで四十六番参拝、長い橋を渡って、森松駅から汽車で松山へ、立花駅から藤岡さんの宅へとびこんだのは六時頃だったろう、ほっと安心する。
人のなさけにほごれて旅のつかれが一時に出た、ほろ酔きげんで道後温泉にひたる、理髪したので一層のうのうする、緑平老のおせったいで、坊ちゃんというおでんやで高等学校の学生さんを相手に酔いつぶれた! それでも帰ることは帰って来た!
奥さん、たいへんお手数をかけました、……のんべいのあさましさを味う、……友情のありがたさを
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