三八九雑記
種田山頭火

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)土鼠《もぐら》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
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 なんとなく春めいてきた、土鼠《もぐら》がもりあげた土くれにも春を感じる。
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水のいろも春めいたいもりいつぴき
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 私もこのごろはあまりくよくよ[#「くよくよ」に傍点]しないようになった。それはアキラメでもなければナゲヤリでもない、むろんサトリでもない、いわば、老のオチツキでもあろうか。
 近眼と遠眼とがこんがらがってきたように、或は悠然として、或は茫然として、山を空を土を眺めることができるようになった。放心! 凝心もよいが放心もわるくないと思う。
 おかげで、この冬はこだわりなく生きてきた。春になったら春風が吹くでしょう。
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終日尋春不見春  杖藜踏破幾重雲
帰来拭把梅花看  春在枝頭已十分
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 その梅はもう盛りをすぎたけれど、あちらこちらにしろじろと立っている。裏畑の三本、前の家の二本、いずれも老木、満開のころは、一人で観るのにもったいないほどであった。
 道べりの二三本、これは若木だが、すこし行くと、ここにも一本、そこにも一本というぐあいで、なかなかのながめであった。こんなところもあったのかと驚くぐらい、花をつけてはじめて、その存在をはっきりさせている。
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咲いてここにも梅の木があつた
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 ここ矢足は椿の里[#「椿の里」に傍点]とよばずにはいられないほど藪椿が多い(前のF家の生垣はすべて椿である)。
 ぶらぶら歩いていると、ぽとりぽとり、いつ咲いたのか、頭上ゆたかに、素朴な情熱の花がかがやいている。
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水音の藪椿もう落ちてゐる
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 水仙がおくれてやたら[#「やたら」に傍点]に咲きだした。先住者が好きだったのだろう、畑のあちこちにかたまりあって、清純たぐいなき色香を見せている。そんなわけで、仏壇も水仙、床の間も水仙、机の上も水仙です(この花にはさびしいおもいでがあるが、ここには書くまい)。
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水仙こちらむいてみんなひらいた
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 大根と新菊とはおしまいになった。ほうれんそうがだんだんとよくなった。こやし――それも自給自足――をうんと[#「うんと」に傍点]与えたためだろう。ちさはあいかわらず元気百パア、私も食気百パアというところ。
 畑地はずいぶん広い、とても全部へは手が届かないし、またそうする必要もない、その三分の二は雑草に委任、いや失地回復させてある。
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よう燃える火で私ひとりで
大きな雪がふりだして一人
いたづらに寒うしてよごれた手
もう暮れたか火でも焚かうか
いちにち花がこぼれてひとり
雪あしたあるだけの米を粥にしてをく
ひとりの火の燃えさかりゆくを
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 これらの句は、日記に記しただけで、たいがい捨てたのですが、わざとここに発表して、そしてこの発表を契機として、私はいわゆる孤独趣味、独りよがり、貧乏臭、等、を清算する、これも身心整理の一端です。樹明君にお嬢さんが恵まれた。本集所載の連作には、夫として父としての真実が樹明的手法で表現されている。
 私は貧交ただ駄作を贈って、およろこびのこころを伝える外なかった。
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雪となつたが生れたさうな(第六感で)
雪や山茶花や娘がうまれた
雪ふるあしたの女としてうまれてきた
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 私には女の子を持った体験はないけれど(白船君にはありすぎる!)、お嬢さんが日本女性としての全人となられることを祈願してやみません。

 今年はよく雪が降りましたね、雪見酒は樹明君と二人でやりました。雪見にころぶところまで出かけました。
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燗は焚火でふたりの夜
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 節分には樹明君に誘われて、八幡様へのこのこおまいりいたしました。或るおじいさんのところで、鯨肉をよばれて年越らしい情調にひたりました。
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月がまうへに年越の鐘が鳴る鳴る
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 本集の発行はだいぶおくれました。私のワガママとグウタラとのせいであります。何しろ何から何まで私の手一つでやらなければなりませんので、しかも私は気分屋なので、とかくおくれがちになりますが、あしからず思って下さい。そこでまず、原稿整理を月の中旬に、そして下旬に発行ということに定めておきます。
 とにかく、次集からはしっかりやりましょう。

 長崎市から発行されていた自由律句誌
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