行乞記
広島・尾道
種田山頭火

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)生《よ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+(麈−鹿)」、第3水準1−84−73]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)だん/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Mu:ssen〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://www.aozora.gr.jp/accent_separation.html
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 九月十一日[#「九月十一日」に二重傍線]

広島尾道地方へ旅立つ日だ、出立が六時をすぎたので急ぐ、朝曇がだん/\晴れて暑くなる、秋日はこたえる、汗が膏のやうに感じられるほどだ。
中関町へ着いたのは十一時過ぎ、四時頃まで附近行乞。
六時、三田尻の宿についた、松富屋といふ、木賃二十五銭でこれだけの待遇を受けては勿躰ないと思ふ。
夜は天満宮参詣をやめて旧友M君を訪ねる、涙ぐましいほど歓待してくれた、奥さんもお嬢さんも、おばあさんまで出てきて、私の与多話を聞いて下さつた、十時近く、帰宿して熟睡。
同宿、いや、同室一人、誓願寺詣の老人、好きな好々爺だつた、いづれ不幸な人の一人だらう!
捨てた、今日の行乞で物事に拘泥する悪癖を捨てた、気持がたいへん楽になつた、もう一つ捨てたいものは、捨てなければならないものは酒の執着[#「酒の執着」に傍点]である(正しくいへば酒への未練)。
有縁止、無縁去、去来行住すべて水の如かれ、雲の如かれ。
おもひでの道を歩いて、善友悪友のおもひでがあつた、――K君、S君、I君、M君、等々等。
私はどこへいつても、招かれざる客[#「招かれざる客」に傍点]であつても拒まれる客[#「拒まれる客」に傍点]ではない、今日は歓迎せられた客でさへあつた。
秋草のうつくしさ、水草のうつくしさ。
ルンペン家族が、とある樹蔭で、親子四人でお辨当を食べてゐた、彼等に幸福あれ。
私の貧乏、そして私の安静、私の孤独、そして私の自由、不幸なる幸福[#「不幸なる幸福」に傍点]。
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今日の所得(銭十九銭 米二升四合)
今日の御馳走(酢鮹、煮魚、里芋)
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・朝風の簑虫があがつたりさがつたり
・バスも通うてゐるおもひでの道がでこぼこ
・役場と駐在所とぶらさがつてる糸瓜
・かるかやもかれ/″\に涸れた川の
・秋日あついふるさとは通りぬけよう
・おもひでは汐みちてくるふるさとの渡し
 ふるさとや少年の口笛とあとやさき
 ふるさとは松かげすゞしくつく/\ぼうし
・鍬をかついで、これからの生《よ》へたくましい腕で
 おばあさんも出てきて話すこうろぎ鳴いて(M君に)
・相客はおぢいさんでつゝましいこほろぎ
   追加
 つかれてついてどこかそこらでをんなのにほひ
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 九月十二日[#「九月十二日」に二重傍線]

朝、鞠生松原を散歩する。
放下着、放下着、身心ほがらかほがらか。
六時出立、我ながらサツソウとしてあるく、見渡すかぎり出来秋のよろこびだ(実際問題としては豊年飢饉[#「豊年飢饉」に傍点]だらう!)。
末田海岸の濤声、こゝにも追懐がある。
荷馬車にひつかゝつて、法衣の袖がさん/″\にやぶれた。
彼岸花が咲いてゐる、旅の破法衣と調和するだらう。
富海から戸田まで汽車、十時から一時まで福川行乞、行乞がいやになつて、そこからまた汽車で徳山へ、二時にはもう白船居におさまることが出来た。
酒はうまい、友はなつかしい。
井葉子さんもずゐぶん年が寄つたと思ふ、それだけまた、その接待振が垢抜けしてうれしい、感謝合掌。
飲みすごしても、層雲を借覧して、句稿整理することは忘れなかつた、句は酒と共に私の生命の糧である。
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今日の所得(銭十七銭、米一升三合あまり、これは白船君の奥様にむりにあげて、その代償として五十銭拝受)
身うちのものがいふ、――
『あんたもホイトウにまでならないでも、何かほかに仕事がありさうなものだが、……』
私は苦笑して心の中で答へる、――
『ホイトウして、句を作るよりほかに能のない私だ、まことに恥づかしいけれど仕方がない、……』
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・いまし昇る秋の日へ摩訶般若波羅密[#「密」に「マヽ」の注記]多心経
・コスモス咲いて、そこで遊ぶは踏切番のこどもたち
・鍛冶屋ちんかんと芭蕉葉裂けはじめてゐる
 煤け障子は秋日の波ですつかり洗つた
 おもひでは波音がたかくまたひくく(末田海岸)
・もう秋風のお地蔵さまの首だけあたらしい
・秋の日ざしか、旅の法衣をつくらふことも
・すわれば風がある秋の雑草
・寝ころべば青い空で青い山で
・何もかも捨てゝしまはう酒杯の酒がこぼれる
 うらに木が四五本あればつく/\ぼうし(白船居)
   追加
・海をまへに果てもない旅のほこりを払ふ
・ふるさとの山にしてこぼるゝは萩
[#ここで字下げ終わり]

 九月十三日[#「九月十三日」に二重傍線]

曇、八時出立、尻からげ一杯ありがたく頂戴。
遠石八幡宮参拝、奥床しく尊い。
昨夜飲みすごしたおかげで、今日はだるくてねむくて閉口した、そのためでもあるまいけれど、犬に咬みつかれた、シヤレた奴で傷づかない程度で咬みついたのである、一つ懲らしめのために殴つてやらうと思つて※[#「てへん+(麈−鹿)」、第3水準1−84−73]杖をふりあげたがやりそこなつた(飼主の床屋さんは責任廻避のために飼主ではないと解りすぎる嘘をいつてゐる、犬よりも犬の主人の方が下等だ!)。
十時から十一時まで花岡行乞。
花岡八幡宮はよいお宮だつた、多宝塔は特別保護建造物になつてゐる、古色蒼然として無量の含蓄がある、心しづかに味ふべし。
社務所の白萩はうつくしくてふさはしい。
老ルンペンといつしよにお寺の縁で休む、昼食は戴いた菓子四五片。
途中、都合よければ泊めて貰ふつもりでI君を訪ねる、折あしく大掃除で、手伝人も多勢で、腰をかける場所もない、挨拶もそこ/\にして飛びだした。
I君は相かはらずプチブルボツチヤンだつた。
呼坂行乞、そして今市に近いところで泊つた、この宿はほんたうにきたなくてうるさくて、同時にしんせつできやすかつた。
子供がゐる、猫がゐる、鶏がゐる、馬がゐる、蠅、蚊、等々等、いやはや賑やかなことだつた。
木賃は三十銭、賄はまず普通、三田尻のそれを上の中とすれば、これは中の中といふところ。
同宿は少々気のふれた乞食老人、下らなく話しかけてうるさいから、すまないけれど黙殺してやつた。
こんな宿にも盆栽の数鉢はある、鳳仙花、唐辛、蘭、万年草[#「草」に「マヽ」の注記]など、おしやべりの、きかぬ気の小娘の丹青[#「青」に「マヽ」の注記]だ、日本人はうれしいなと思ふ。
今夜は特に奮発して晩酌三合(いつもは二合)、いゝ気持で寝てゐるところを揺り起された、臨検だといふ、お役目御苦労、問はれるまゝに日本禅宗史を一席辯じて、おまはりさんと宿の人々を感心させた(と自惚れる)。
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今日の所得(銭弐十弐銭、米二升一合)
            米はどこでも二十銭替
今晩の御馳走(焼魚、茄子の煮たの)
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・かあかあと鳴いたゞけで山の鴉は
 あえぎのぼる並木にはひでりのほこり
・こんなに子供があつてはだかではいまはる
・笠へ落葉の秋が来た
・なんでもない道がつゞいて曼珠沙華
・うらは蓮田できたなくてきやすい宿
・旅の夜空がはつきりといなびかりする
・ほんとうによい雨が裏藪の明ける音
・今日の陽もかたむいたひよろ/\松の木
   追加
・まんぢゆさけさきわたしの寝床はある(帰庵)
[#ここで字下げ終わり]

 九月十四日[#「九月十四日」に二重傍線]

夜中に雨の音をきいた、朝空は曇つてゐるがなか/\降らない、宿の支度がおそくて出立もおくれた。
十時から一時まで高森町行乞、夕立がやつてきた。
二時から四時まで玖珂行乞、こゝでも夕立、よい夕立だつた。
心たいらか、行乞相も行乞所得も上上[#「上」に「マヽ」の注記]来、善哉、々々。
与へる人のいろ/\さま/″\が考へられる、三輪空寂は理想だ、せめて二輪空寂になりたい。
昼飯代りに柏餅五つ、五銭は安かつた、いはんや、新聞を読まして貰ひ、マツチを貰つたに於ておやである。
ありがたい雨だつた、草も木も人もよみがへつた、畑仕事をする人々が至るところに見られた。
欽明寺峠は峠としては何でもないが何しろ長い、秋草、虫声がよかつた、萩の老木は口惜しいほど欲しかつた。
師木野《シギノ》といふところ、鉄道工事風景が興味ふかゝつた。
夕雀、赤子の泣声、犬の吠えるのも旅のあはれだ。
しんせつなおばあさん、ふしんせつなおぢいさん。
路傍の荷馬車小屋で野宿の支度をしつゝあつたお遍路さんがていねいに挨拶した、私もねんごろに会釈した、彼の境遇を羨ましく感じるほどそれほど私はまだ私の生活に徹してゐない、恥づべきかな。
暮れて急いで道を間違へて、岩国の馴染の宿(昭和二年にも四年にも世話になつた)へ着いたのは八時頃だつたらう、地下足袋をぬぎ法衣をぬいで、やれ/\、「周東美人」を二、三杯ひつかける、どうも酒はうますぎますね。
木賃三十銭、中の上、または上の下とでもすべきか。
宿の主人夫妻がめつきり年をとつてゐる、娘がもう年頃になつてゐる。……
[#ここから1字下げ]
今日の所得 (銭四十銭、米二升四合)
御馳走 (小海老のいりつけ、にんじんのおしたし、豆腐汁)
[#ここで字下げ終わり]
もう栗が店に出てゐる、栗そのものは食べたいとも思はないが、栗の感じはよろしい、柿――きねり柿――をおせつたいとして頂戴した、歯がわるいから小供にくれてやつたが。
[#ここから2字下げ]
・百舌鳥がするどくふりさうでふらない空
・馬も肥えたと朝飯いそがしく出てゆく
・秋のひかりや蠅がつるんだりして
・鮮人長屋も秋暑い子供がおほぜい
 乞ひあるく旅のいやになつたバスのほこり
・売られて鳴いて牛はのそ/\あるく
 牛を見送ると水涸れた橋まで
・夕立すずしくこちらで鳴けばあちらで鳴くも牛
・ほんによかつた夕立の水音がこゝそこ
・すゞしくぬれて街から街へ山の夕立
・いたゞきは夕立晴れの草にすわる
・長い峠の、萩がちつたり虫がないたり
 峠くだればゆふべの牛が鳴いてゐる
・夕立晴れるより山蟹のきてあそぶかな
 長屋あかるく灯して疳高いレコードの唄
 アンテナがあつて糸瓜がぶらさがつて鉄道工事長屋で
[#ここで字下げ終わり]

 九月十五日[#「九月十五日」に二重傍線]

降りさうなが、降ればよいのだが、歩いてゐるうちに晴れてきた。
今日は歩けるだけ歩いて、そして汽車に乗つても、広島入の日である、よろこばしい日である。
朝酒一杯、その元気で八時半から十時半まで岩国町行乞、十一時から十二時まで麻里布町行乞、近来にないはじかれ方[#「はじかれ方」に傍点]だつた。
愛宕山林をながめて亡弟追憶の涙をしぼつた。――
[#ここから2字下げ]
今は死ぬるばかりと掌《テ》を合せ
  山のみどりに見入りたりけむ
[#ここで字下げ終わり]
旧作は新作だ! あゝ。
二時半から三時半まで、さらに大竹町行乞。
四時近い汽車に乗る、若夫婦のクツシヨンに割り込ませて貰つたが、お気の毒でした。
五時広島駅着、地下道をのぼつて出札口に近づくと、大山さんのニコ/\顔が待つてゐた、うれしかつた、連れて澄太居へ。――
澄太居は予想通りで、市にあつて市を離れたところに澄太らしいところがある、葉鶏頭がたくさんあつて、とてもうつくしい。
明るい家、明るい気分。
酒は加茂鶴、下物は焼鮎、……身にあまる優遇で野衲いさゝか恐縮の体《テイ》。
よく飲んでよく話してよく寝た。……
[#ここから1字下げ]
今日の
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