所得は、銭七十四銭と米六合(?)
今日の行程は徒歩で三里、汽車で九里。
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・暮れても宿が見つからないこうろぎで
・水は涸れきつて松虫や鈴虫や旅人
 のぼりつめればトンネルとなりこだまする
 誰も寝しづまり鈴虫のよい声ひとつ
 秋の波がうちよせる生徒がむらがる
・赤子つぶらな眼を見張り澄んで青い空
・葉鶏頭に法衣の袖がふれるなど(澄太居)
 窓へからまり朝顔の実となつてゐる
・塀にかぼちやをぶらさがらしてしづかなくらし
・葉が四五本穂をだして揺れるのも
・父がくれた柘榴はじめての実が揺れてゐる(澄太居)
 野良猫も仔を持つて草の中に
・これが最後のかぼちやたゝいて御馳走にならう
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 九月十六日[#「九月十六日」に二重傍線]

秋空一碧、一片の雲もない明朗さである、午前中はそこらを散歩、そして句稿整理。
友の温情が、酒のうまさが全心全身にしみいる。
菓子のうまさ[#「菓子のうまさ」に傍点]まで味つた。
都会情調、人のゆききが自動車電車のひゞきが今の私にはうるさい。
蛙の声があかるい室でしづかに自然人生をおもふ。
奥さんが昼食にも一本つけて下さる、主人が昨日二階にあがるより一杯持つてきて下さつた時のやうに、うまい/\ありがたい/\。
一浴して一杯やる気持は何ともいへませんね。
牛田風景は三方が山、南が河の、雑音のない閑静である。
湯上り浴衣にヘルメツト帽。
夜は独壺君来訪、三人で飲みながら話した、とても愉快な一夜だつた。
悪夢に襲はれて寝言をいひつゞけたことが私自身によく解つてゐる、これはとても不愉快だつた。
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・兵営の柳散らうとする騷音
 秋の野へうごくのはタンク
・旅も蓮の葉の枯れはじめた
 蓮の葉のやぶれてゐる旅の法衣も
・秋風の驢馬にまたがつて
・朝はすこし萩のこぼれてゐる
・空瓶屋空瓶だらけへ秋日がまとも
・雑魚の列も水底の秋
・朝がながれるまゝに流れてくる舟で
・秋風の家をそのまゝうごかしつゝ
・かぼちやとあさがほとこんがらかつて屋根のうへ
・秋空に雲はない榾を割つてゐる
・卵を産んだと鳴く鶏の声が秋空
・たゝみにかげはひとりで生えた葉鶏頭
・へたなピアノも秋となつた雲の色で
   追加
・有明月夜の葦の穂の四五本はある
   再録
・鍬をかついで、これから世の中へたくましい腕
[#ここで字下げ終わり]

 九月十七日[#「九月十七日」に二重傍線]

電車で五日市へ行き、終日舟遊、私の一生にはめつたにない安楽な一日だつた。
釣つた魚を下物にして、水上饗宴である、澄太さんは少しく、独壺(黙壺氏の誤記)さんも少しく、私は大に飲んだ。
釣つた魚は何々ぞ――キス、ハゼ、コチ、小鯛、そして鮹(いたづらに種類多くして小さかつたことは内密々々)。
さらにまた蜊貝、蟹。……
水、酒、友、秋、物みなよろし。
夜は若い巨村君来訪、奥さんも仲間入、朝からのほろ酔機で[#「機で」に「マヽ」の注記]、夜の更けるのも忘れて行乞漫談[#「行乞漫談」に傍点]。
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・朝風がながれいる朝酒がある
・朝からしやべる雲のない空
・丸髷の大きいのが陽を浴びて
 秋晴の日曜の、ル[#「ル」に「マヽ」の注記]ユツクサツクがかるい朝風
・向日葵日にむいてゐるまへをまがる
・空ふかうちぎれては秋の雲
 水底からおもく釣りあげたか鮹で
・いながはねるよろこびの波を漕ぐ
 葱も褌も波で洗ふ
・足は波に、舟べりに枕して秋空
・雲のちぎれてわかれゆくさまを水の上
 ぽつかりとそこに雲ある空を仰ぐ
・仰いで雲がない空のわたくし
・波の音ばかり波の上に寝ころんで
・陽のある方へ漕いでゆく
[#ここで字下げ終わり]

 九月十八日[#「九月十八日」に二重傍線]

曇、后晴、日支事変二週[#「週」に「マヽ」の注記]年記念日、小学校中学校は休。
広島風景――軍国風景。
東練兵場へ出かけて模擬戦を観る、鉄条網、毒瓦斯、煙幕、タンク、機関銃、……労[#「労」に「マヽ」の注記]れて、少し憂欝になつて戻る。
午後は句稿整理。
夕飯を食べながら、澄太さんから清水さん[#「清水さん」に傍点]の話を聞く、聞けば聞くほど頭がさがる、そして自分の不甲斐なさを恥ぢる、是非一度は同朋園[#「同朋園」に傍点]を訪ねたいと思ふ。
多賀さん来訪、生れて初めて蓴菜[#「蓴菜」に傍点]をよばれる、横旗さん来訪、葡萄をよばれる、波田さんら二人来訪。
話、話、話。……
朝、眼がさめると枕頭の大徳利から二三杯、夜は澄太さんと寝酒、とかく飲みすぎて困ります。
法衣の手入、奥さんが縫うてあげようとおつしやつたけれど、これは綻びを縫ふとか何とかいふ程度のものぢやない、裁縫を知らない人で初めて出来る仕事である!
流転しない世界はさびしい、流転するが故に新らしく、流転するが故に成長するのである、否、流転即成長[#「流転即成長」に傍点]なのである。
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・煙幕ひろがつてきえる秋空
・突撃しようす[#「うす」に「マヽ」の注記]る空は燕とぶ
・タンクがのぼつてゆくもう枯れる道草
・鉄兜へ雑草のほこりがふく
   改作追加
・はてしない旅もをはりの桐の花
・晩の極楽飯、朝の地獄飯を食べて立つ
[#ここで字下げ終わり]

 九月十九日[#「九月十九日」に二重傍線]

曇、小雨がふつてゐるが、引き留められたけれど、出立する、私としては長い滞在であつた、大山夫妻の心づくしはいつまでも忘れないであらう、忘れられないであらう。
尻からげ一杯、この一杯にも澄太さんの心づくしがある、おべんたう、こゝにも奥さんの心づくしがある。
饒津神社の境内で、独[#「独」に「マヽ」の注記]壺さんがきて写真をうつした、それからいよ/\お別れだ、……山頭火一人だ。
私は東へ急いだ、十時から十二時まで海田市町行乞、行乞相申分なしといつてよからう。
私はたしかにこの旅で一皮脱いだ[#「一皮脱いだ」に傍点]。
慾望をほしいまゝにするなかれ、貪る心を放下せよ。
午後は雨、合羽を着て歩いた、横しぶきには困つた、二時半瀬野着、恰好な宿がないので、さらに半里ばかり歩いて、一貫田といふ片田舎に泊つた、宿は本業が豆腐屋、アルコールなしのヤツコが味へる。……
相客は一人、若い鮮人で人蔘売、おとなしい人柄だつた。
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今日の行程は五里。
所得は(銭三十銭、米四合)
              二五中ノ上
御馳走は(豆腐汁、素麺汁)
[#ここで字下げ終わり]
前が魚屋だからアラがダシ、豆腐はお手のもの。
早くから寝た、どしやぶりの音も夢うつゝ。
[#ここから2字下げ]
・朝がひろがる豆腐屋のラツパがあちらでもこちらでも
・やつと糸が通つた針の感触
 時化さうな朝でこんなにも虫が死んでゐるすがた
・朝の土をあるいてゐるや鳥も
・旅は空を見つめるくせの、椋鳥がさわがしい
・また一人となり秋ふかむみち
・この里のさみしさは枯れてゐる稲の穂
・案山子向きあうてゐるひさ/″\の雨
・案山子も私も草の葉もよい雨がふる
 明けるより負子を負うて秋雨の野へ
 ひとりあるけば山の水音よろし
・よい雨ふつた朝の挨拶もすずしく
 一歩づつあらはれてくる朝の山
・ぐつすりと寝た朝の山が秋の山々
 秋の山へまつしぐらな自動車で
   改作追加
 あるくほどに山ははや萩もおしまい
[#ここで字下げ終わり]

 九月二十日[#「九月二十日」に二重傍線]

曇、まだ降るだらう、彼岸入、よい雨の瀬《セ》音。
歩いてゐるうちに、はたして降りだした、しようことなしに八本松は雨中行乞、どうやらかうやら野宿しないですみさうだ。
濡れて歩く、一歩一歩、両側の山が迫る、谷川の音がうれしい。
すゝき、はぎ、そしてききようやあざみや、名も知らぬ秋花。
山家に高くかゝげてある出征の日の丸、ぶらりと糸瓜。
「良い犬の子あげ升」といふ紙札。
萩は捨てがたい趣を持つてゐるが、活ける花でも植ゑる花でもない、生えて伸びてこぼれるべき花であることを知つた。
ありがたかつたのは、山路で後になり先になつてゐたおぢいさんがあまりゆたかでもなさゝうな財布から一銭喜捨して下さつたことだつた、この一銭は長者の千万金よりもありがたい。
八本松から西条までルンペン君と道連れになつた、彼はコツクで満洲から東京まで帰るのだといふ、満洲へいつたときは汽車辨当がまづくて食へなかつたのに、失敗し失職して帰るときは一椀五銭の朝鮮飯にもありつけなかつたといふ、すこし奔走[#「奔走」に傍点]して来ませうといつて、そこらの民家から握飯を貰つて、むしやむしや食べる、――おもしろい、それ以上の何物でもない。
昨夜は海田市町はづれの神社で五人のルンペンと一夜を明かしたさうな、ルンペンが職業化しない限り、いひかへれば、生活の手段としてルンペンをやら限[#「ら限」に「マヽ」の注記]り、人間は一度ルンペンになるがよろしい、ルンペンの味は人間味の一つ[#「ルンペンの味は人間味の一つ」に傍点]だから。
二時近くなつて西条着。感じのわるくない町だ、金本屋といふ安宿へ泊る、木賃三十銭、上の下といふところ、主人は少し調子はづれと見たは僻目か。
[#ここから1字下げ]
今日の行程四里、所得は十弐銭と五合。
[#ここで字下げ終わり]
関西第一の酒造地に泊つて、酒が飲めないとは『宝の山に入りながら……』の嘆なきにしもあらずだつた(財布には五厘銅貨が六銭あるだけ)。
今夜も風呂がない、初めて蚊帳をつらないで寝た。
雨はまだ二日も降り続けないのにもう雨を嫌つてる声が聞える、あれだけ待ち望んでゐた雨だのに!
しづかな宿だ、どこからか三味の音がする、わしが国さを弾いてゐる、虫の声、犬の声もさわがしくないほどに。
同宿同室は鮮人、彼も失職者、よく話すけれど嫌味がない、どこでも働らきたい、金を貯めて家庭を持ちたいといふ、彼によき妻あれと祈つた。
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今晩の御馳走(きうりなます、にざかな、いも)
昼飯はぬき
[#ここから2字下げ]
・まことお彼岸入の彼岸花
・よべのよい雨のなごりが笹の葉に
・道がわかれて誰かきさうなもので山あざみ
・レールにはさまれて菜畑もあるくらし(踏切小屋)
・山ふかく谺するは岩をくだいてゐる音
 蛙とびだしてきてルンペンに踏み殺された
・仕事は見つからない眼に蜘蛛のいとなみ
・あれが草雲雀でいつまでもねむれない
・旅のからだをぽり/\掻いて音がある
[#ここで字下げ終わり]

 九月廿二日[#「九月廿二日」に二重傍線]

晴、秋暑し。
午前中は西条町行乞、午後はゆつくりと歩みつゞける。
予定が狂つて、本郷までは無理だから、途中安宿がないから、すこし左折して新庄といふ田舎の宿に泊る。
宿もわるくないが、山はだんぜんよい。
上の下で屋号本岡屋、三十銭。
空高雲多少[#「空高雲多少」に傍点]――といふ語句が行乞途上でひよいと浮んだ、昨今の私の心境そのまゝである。
何でもない山村風景、その何でもないところに何ともいへないよさ[#「よさ」に傍点]がある、かういふよさ[#「よさ」に傍点]がほんたうのよさ[#「よさ」に傍点]だらう。
或るおかみさんと道連れになつて、彼女がいかに夫思ひで、そして子煩悩であるかを見せつけられた、彼女に幸あれ。
里程を訊ねてもよく知らない人が多い、しんせつにせいかくに、教へてくれる人はなか/\すくない(安宿のおかみさんは、おばあさんでもさすがによく知つてゐるが)、今日訊ねたら、その一人はよく教へて下さつた、彼は中年の不具者[#「中年の不具者」に傍点]だつた。
川原へ出かけて、からだを洗ひふんどしを洗つた。
宿の病弱なおかみさんが月おくれ雑誌を貸してくれた、その厚意はありがたい、去年の夏の富士!
宿の便所はきれいだつたが(安宿の便所は殆んど例外なしにきたない)私の夢はいやにきたなかつた。
[#ここから2字下げ]
・はぎがすゝきがけふのみち
・ゆつくりあゆめば山から山のかげとなつたりひなたとなつたり
・水が米をついてくれるつく/\ぼう
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