行乞記
大田から下関
種田山頭火

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)坑口《マブ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)八月廿八日[#「八月廿八日」に二重傍線]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)すが/\しい
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 八月廿八日[#「八月廿八日」に二重傍線]

星晴れの空はうつくしかつた、朝露の道がすが/\しい、歩いてゐるうちに六時のサイレンが鳴つた、庵に放つたらかしい[#「い」に「マヽ」の注記]おいた樹明君はどうしたか知ら!
駄菓子のお婆さんが、よびとめて駄菓子を下さつた。
山口の農具展覧会行だらう、自転車と自動車とがひつきりなしにやつてくる。
山のみどりのこまやかさ、蜩のしめやかさ。
真長田村――湯ノ口近く――で、後からきた自動車がすつと止まる、そして洋服姿が出てきて、にこにこしながら近づく、敬君だ、まるで予期したやうな、約束したやうな邂逅だ、自動車に乗ることだけは断つて、今夜はゆつくり飲むことにする。
湯ノ口行乞、伊佐へ左折しないでまつすぐ大田へ、夕立がやつてきた、濡れて歩く、あんまり降るから、とある農家に雨やどりして、そこの老人と世間話をする、誰もが話すやうに不景気々々々。
十二時すぎにはもう敬治居にくつろぐことができた、敬君は御馳走こしらへにいそがしく、私は風呂水をくむ、奥さんも子供さんも留守だから、まるで其中庵の延長――物資の豊富はいはない――みたいなものだつた。
うまい酒(一週間ぶりの酒だ)うまい飯(敬君炊ぐところの)を腹いつぱい詰め込んだ。
大夕立、まことに大雨大雷だつた、これで二人の憂欝は流れ去つてしまつた。
敬君が跣足で尻端折で畠の草を取る、私は寝ころんで新聞を読む、ユカイ/\。
法衣の洗濯、一年ぶりの垢を洗つた、敬君に理髪して貰ふ、さつぱりした。
夜はまた酒、敬君は腹痛で注射をしてもらつたりしたが、私はぐつすり寝ることができた。
とにかくたのしい日であり夜であつた。
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・みちは露草のつゝましい朝明け
 さかのぼる水底の秋となつてゐる
 小亀がういて秋暑い水をわたる
 旅の法衣のはらへどもおちないほこり
 つくり酒屋の柳いよ/\青し
・けふのおひるは草にすわつてトマトふたつ
 昼寝のびやかだつたよ山とんぼ
・山をまへに流れくる水へおしつこする
・昼顔も私も濡れて涼しうなつた
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行程五里、所得は十六銭と六合。
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行乞について
[#ここで字下げ終わり]

 八月廿九日[#「八月廿九日」に二重傍線]

四時には二人とも起きた。
敬君はまた草取、私は風呂焚だ。
朝湯朝酒はゼイタクすぎるうれしさだつた(私共の酒量も減つたものである、二人で三度飲んで、やうやく一升罎[#「罎」に「マヽ」の注記]が空になつたぐらゐである)。
御飯を炊きすぎたといふので、敬君が大きなおむすび[#「おむすび」に傍点]をこしらへてくれた。
七時半出立、秋吉をへて伊佐へ。
途上しば/\休んだ、朝酒がこたえたのである。
或る山寺で例のおむすびを味つた、親友の心持がしみ/″\と骨身にしみた、その山寺の老房守さんもしんせつだつた、わざ/\本堂の障子をあけはなつて、私を涼しく昼寝させて下さつた。
午後二時から四時まで伊佐行乞。
行程五里、所得はいつもの通り。
この宿――豊後屋といふ――はやつぱりよかつた、同宿者のおしやべりには閉口したけれど、一室一燈一張のよろしさだつた、便所のきたないのはぜひもない。
隣家のラヂオを蚊帳の中に寝ころんで聴く、三十三間堂柳の佐和利、泣くわ/\。
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・こゝで寝るとする草の実のこぼれる
 よい娘さんがゐる村のデパートで
・萩さいてそこからなんとうまい水
・山寺のしづけさは青栗もおちたまゝ
 おべんたうたべてゐるまうへつく/\ぼうし
・若竹伸びきつて涼し
 地べたへべつたりはらばうた犬へ西日
・旅のつかれもほつかりと夕月
・蚊帳のなかまで月かげの旅にゐる
 月が山の端に安宿のこうろぎ
・旅も月夜の、おとなりのラヂオが泣いてゐる
   敬治居出立
・からりと晴れた法衣で出かける
[#ここで字下げ終わり]

 八月三十日[#「八月三十日」に二重傍線]

寝すごした、それほどよく眠れたのである。
朝のうちは伊佐行乞、それから麦川へ、途中あまりだるいから村の鎮守の宮で昼寝、涼しい社殿だつたが、村の悪童共の集合所でもあつたので騒々しかつた、それでも二時間ぐらゐは寝たらう。
おひるは報謝のお菓子二きれですます。
二時から四時まで麦川行乞、西市へ越すつもりで山路にかゝつたが、平原といふところで宿を見つけたので泊つた、豊田屋、悪い宿ではなかつた。
同宿の若い坑夫さんと山の観音様へ詣でた、一年一度のおせつたいがあるといふので、近村のおぢいさんおばあさんが孫を連れておほぜい詰めかけてゐた、山村風景のおもしろい一枚である。
夕飯は、さしみと豆腐汁と煮豆と茄子漬、なかなかの御馳走だつた、ことに前は造酒屋だから、飲みすごしたのも無理はなからう!
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・うらは山で墓が見えるかな/\
・かな/\ゆふ飯がおそい山の宿
・よい宿でどちらも山でまへは酒屋で
・宵月がみんなの顔にはだかばかりで
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行程二里、所得は銭六十二銭、米一升九合。
[#ここで字下げ終わり]

 八月三十一日[#「八月三十一日」に二重傍線]

早起して散歩した、同室者の人間臭にたへなかつたからである、人間の姿よりも山の姿がよろしい。
踏みだした一歩がもう山路である、石ころを踏みしめてすゝむ、桃の木といふ部落には特殊な色彩と音響とがあつた、こゝが大嶺無煙炭山である、ここで採掘した炭塊を索道で麦川へ送るのである。
西市へはかなり遠かつた、萩、女郎花、刈萱、白い花、赤い花が咲きみだれた道で、私の好きな道であつた。
途中行乞しなかつたが、三里を三時間かゝつて、十時から十一時まで西市行乞、行乞相はよくなかつたが、所得はよかつた、私は西市に頭を下げなければならない。
五時、田部の藤本屋といふ安宿に泊つた、よい意味で、また、わるい意味で、安宿の代表的なものであつた、この宿でも一室一燈一張の主人であることができた。
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今日の所得(銭――九十六銭、米――二[#「二」に「マヽ」の注記]十二銭)
今晩の御馳走(烏賊のさしみ、馬鈴薯の煮付、茄子漬瓜漬)
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今日の行程(麦川から西市まで三里、多くは山路)
      西市から田部まで二里、多くは平地。
・朝の水音のかな/\
・はるかにかな/\の山の明けたいろ
・岩ばしる水をわたれば観世音立たせたまふ
・住めば住まれる掘立小屋も唐黍のうれてゐる
・ひよつこり家が花がある峠まがれば
   大嶺炭坑索道
・炭車が空を山のみどりからみどりへ
 萩に萩さき山蟻のゆきき
・坑口《マブ》から出てきてつまぐりの咲いてゐる家
・かるかや、そのなかのつりがねさう
・あすは二百十日の鴉がたたかうてゐる
・妻子に死なれ死を待つてゐる雑草の花
・秋暑いをんなだが乳房もあらはに
[#ここで字下げ終わり]

 九月壱日[#「九月壱日」に二重傍線]

晴、八朔、二百十日の厄日である、関東大震災十週年、何といふおだやかさ。
七時から十時まで岡枝及び田部行乞、それから歩む、小月は行乞しないで、清末のところ/″\を行乞する、疳癪がおきてしようがないから酒屋で一杯いたゞきたいといふたらお断り、カリウチは出来ませんといふ、それでは鉄鉢へ入れて貰ひましよう、酒の出したのがありません、といつたやうな問答、いよ/\疳の虫がおさまらない、やつと或る酒屋で一杯ひつかけると、すぐおさまつた、まことに酒は疳の妙薬でありまする。
ぶらりだらりと長府町へはいつて裏道を歩いてゐたら、ひよつこり黎々火君に出逢つた、偶然にしてはあまりに偶然すぎるが、訪ねてゆく途上で出逢ふたのはうれしい、さあ、ようこそと迎へられて、まず入浴、そして、つめたいうまい水を腹いつぱい飲むことは忘れなかつた。
かういふ家庭の雰囲気にひたると、家庭といふものがうらやましくなる。……
心づくしのかず/\の御馳走になる。
明月、涼風、籐椅子、レコード、物みなよろし。
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  行乞所見
橋の名にもいろ/\あるが。――
夜長橋、月見橋、納涼橋などは風雅で、しかも嫌味がない、解り易くて要を得てゐる、日本の田舎の橋らしい名である。
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・山桐のかたまつて実となつてゐる
・この山里にも泊るところはあるかなかな
・制札にとんぼとまつてゐる西日
・こうろぎ、旅のからだをぽり/\と掻く
・日ざかりの石ころにとんぼがふたつ
・なんとすずしい松かげに誰もゐない
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行程四里。
所得、銭五十三銭と米一升六合。
[#ここで字下げ終わり]

 九月二日[#「九月二日」に二重傍線]

今日も好晴。
二人で朝の散歩。
おひるはまたお酒をいたゞいた、行乞米を貰つて下さつてお布施を下さつた、襦袢の手入、浴衣の洗濯、そして褌まで頂戴した、黎々火さんはほんとうによい肉縁の人々を持つてゐる、お父さんの温情、お母さんの慈愛、あゝ羨ましい。
二時お暇乞する、二人で下関へ出かけるのである、途中で沢田さんといふ方に招かれてちよつと話す、色紙に悪筆を揮ふ。
電車で下関へ着いたのは四時頃、茶碗、シヤボン、本、小刀、インキ等を買ふ、そして本町の馴染の宿へいつて荷物を預け、浴衣に着換へて、日和山公園へ登つて下つて、地橙孫居を訪ねた。
会談一時間ばかり、そこを出てから(結城孫三郎のあやつり人形見物はやめにして)やたらに歩きまはつた、ネオンサインのうつくしさ、デパートのさわがしさ、飲んだり食べたりのいそがしさ。
十時頃、駅附近で西と東とに別れた、黎々火さんはあたゝかい家庭へ、私はうるさい安宿の二階へ。
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   黎々火居
 琴がならべてある涼しい風
・手入とゞいた松をはなれない月のあかるさ
・月が風が何もない空
・腹いつぱいの月が出てゐる
 月から風が、籐椅子の酔心地
・感じやすくて風の蘭竹のおちつかない旅
   関門海峡
・灯に灯が、海峡の月冴えてくる
[#ここで字下げ終わり]

 九月三日[#「九月三日」に二重傍線]

明けても酔がさめない、湯にとびこむ、一杯ぐつとひつかける、そしてやつぱりこゝからひきかへすことにきめた、何となく身心が不調で気がすゝまない、海峡を渡るだけの元気が出てこない。
歩けるだけ歩くつもりで歩く、赤間宮参拝、しみ/″\としたものがあつた、句は一句もできなかつたが、しかしそれで十分だ。
だん/\と時化てきた、風が強く雨がふりだした、びつしより濡れたけれど、関門風景がよろしい。
長府を通りすぎて、王司村を一時間ばかり行乞した、帰庵しても、米がない石油がない醤油がないから。
小月は競馬で人出が多い、三時の汽車に乗る、嘉川着四時二十分(小郡下車だと六銭多くかゝる、私の倹約も必要からだが、ホンモノである)。
途中、刈萱を摘んで帰庵したのは五時近かつた。
[#ここから2字下げ]
・しらなみ、ゆうゆうと汽船《ふね》がとほる
 波音の霽れてくるつく/\ぼうし
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

 九月三日[#「九月三日」に二重傍線]

六時まへに帰庵、さつそく水をくみ、火を焚き夕餉の支度をする。
トマトがすきて[#「きて」に「マヽ」の注記]によくうれてゐた、すぐもいでたべる、うまい/\。
かるかやを活ける、よいかなかるかや。
虫がなく、うちの虫[#「うちの虫」に傍点]がなく。
風も何のその、手足をのび/\と伸ばしてぐつすり寝た。
[#ここから1字下げ]
   とりとめもない言葉
死は生の解決ではないけれど、それが休息であることは疑へない。
生に清算はありえない、清算がありえないほど、かぎりなく伸びてゆくのが生
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