である。
生の決算! それは死だ。
生の破算! それも死だ。
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 九月四日[#「九月四日」に二重傍線]

朝焼、曇、雨、厄日頃らしい天候。
蒜の花[#「蒜の花」に傍点]はおもしろい、留守の間に咲いてゐた。
樹明君がきてくれた、その憂欝な顔、私も憂欝だつた。
秋、秋寒を感じる、蚊が少くなつた、夜は晴れて月がよかつた。
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・陽がとゞけば草のなかにてほほづきの赤さ
・つく/\ぼうしもせつなくないてなきやんだ
   改作追加
・秋空の井戸がふかうなつた
・雲が澄む水を汲むげんのしようこの花
[#ここで字下げ終わり]

 九月五日[#「九月五日」に二重傍線]

秋晴、終日寝ころんで読む、牧水の紀行文集を読んでゐると一杯やりたくなる。
とても行乞なんか出来ない。
悪夢――鮹にとりつかれた夢を見た。
夕方、樹明来、久しぶりに飲む、うまい酒だつた、君はおとなしく帰つた、私もおとなしく寝た。
月もよい、虫もよい、よくないのは人間だ。
「松」の裸木追悼号を読んで、あれやこれや考へさせられた。
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・草ふかく木の実のおちたる音のしづか
 ひとりでだまつてにがい茄子をたべることも
・かへるより障子あけるより風鈴のなる
・法衣のやぶれも秋めいた道が遠くて
[#ここで字下げ終わり]

 九月六日[#「九月六日」に二重傍線]

今朝は食べるものがない、梅湯(茶もないから)を飲む。
行乞気分にはどうしてもなれない、やうやく米一升捻出した。
まことに我がまゝ気まゝな一日だつた。

 九月七日[#「九月七日」に二重傍線]

秋空一碧、けふも休養する。
だるく、ものうく、わびしく、せつなく。……

 九月八日[#「九月八日」に二重傍線]

日本晴、清澄明徹いはんかたなし。
今日はどうでもかうでも行乞しなければならないので、午前中近在を歩いた、行乞相は満点に近かつた(現在の私としては)。
歩くとよくわかる、私の心臓はだいぶんいたんでゐる。
歩いたおかげで、今日明日はおまんま[#「おまんま」に傍点]がたべられる。
芙蓉、紫苑、彼岸花が咲いてゐた、芙蓉はとりわけうつくしかつた、日本のうつくしさとおごそかさとを持つてゐる。
今朝はうれしかつた、大山澄太さんのハガキが私を涙ぐましたほどうれしかつた。
物事にこだはる心[#「物事にこだはる心」に傍点]、その心を捨てきらなければならない。
私もどうやらかうやら本格的[#「本格的」に傍点]に私の生活に入り私の句作をすることができるやうになつた、おそらくはこれが私の最後のもの[#「最後のもの」に傍点]だらう。
新聞をやめたので(旅に出がちでもあり、借銭がふえもするので)、何だか社会と離れたやうな気がする、物足らないと同時に気安にも感じる。
今日は歩いてきて、そして昼寝もしないのに、どういふものか、一番鶏が鳴いて暁の風が吹くまで眠れなかつた、いろ/\さま/″\の事が考へられる、生活の事、最後の事、子の事、句の事、そしてかうしてゐても詰らないから一日も出[#「出」に「マヽ」の注記]く広島地方へ出かけたい、徳山に泊るならば、明日立ちたいけれど汽車賃がない、貧乏はつらいものだ、などゝも考へた、しかしながらその貧乏が私を救ふたのである[#「その貧乏が私を救ふたのである」に傍点]、若し私が貧乏にならなかつたならば、私は今日まで生きてゐなかつたらうし、したがつて、仏法も知らなかつたらうし、句作も真剣にならなかつたであらう。……
これもやつぱり老の繰言か!
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・俵あけつゝもようできた稲の穂風で
・月のあかるさはそこらあるけば糸瓜のむだ花
・それからそれと考へるばかりで月かげかたむいた
・虫の音のふけゆくまゝにどうしようもないからだよこたへて
・いつまでもねむれない月がうしろへまはつた
・うらもおもても秋かげの木の実草の実
・人が通らない秋暑い街で鸚鵡のおしやべり
   述懐ともいふべき二句
・酔へなくなつたみじめさをこうろぎが鳴く
・ねむれない秋夜の腹《おなか》が鳴ります
   追加
 へちまに朝月が高い旅に出る
[#ここで字下げ終わり]

 九月九日[#「九月九日」に二重傍線]

晴、朝日がまぶしく机のほとりまで射しこむ。
休養読書。
芸術の母胎は何といつても情熱[#「情熱」に傍点]である、そして芸術家は純一[#「純一」に傍点]と冒険[#「冒険」に傍点]とを持つてゐなければならない。
午後、郵便局へいつて端書を書く(その万年筆を忘れてきた、年はとりたくないものだ!)、帰途、工場に冬村君を訪ね、それから学校に樹明君を訪ねる、樹明君が奢るといふので、酒と豆腐とを買うて戻つた、重かつたが苦にはならなかつた。
学校からすぐ樹明君がやつてくる、ほろ/\酔ふ、どうでも湯田へ行つて一風呂浴びてこうといふ、お互に脱線しないことを約束して、バスで一路湯田まで、千人風呂で汗を流す、それから君の北海道時代に於ける旧友Yさんを訪ふ、三千数百羽の鶏が飼はれてをり、立体孵卵器には一万五千の種卵が入れてあるほど、此地方としては大規模であり、大成功である、樹明君が心易立に無遠慮に一杯飲ましなさいといふ訳で、奥さんが酒と料理とを持つて来て、すみませんけれど、主人は客来で手がひけないので、どうぞ勝手に召しあがつて下さいといはれる、酒はあまりうまくなかつたが、料理はすてきにうまかつた、私などはめつたに味へない鶏肉づくしだつた、さすがに養鶏場だ、聞くも鶏、見るも鶏、食べるもまた鶏だつた。
何故だか何となく腹工合が悪くて、いくら飲まうと思つても、また、樹明君の気分に合しようと努めても、飲めない、酔へない、やうやく君をすかして、だまつて帰途につく、バスを一時間も待つた、その間、樹明君はそこらの床几に寝ころび、私は切符売の老人と湯田の今昔を話したり、M旅館の楼上で遊興する男女を垣間見たりする。
いつしよに帰庵してから、樹明君は家へ、私は床に就いたのは十二時頃、銭といふものゝありがたさ、自動車といふものゝありがたさ、友人といふものゝありがたさを痛感する。
私にはゼイタクきはまる一夜の遊楽でありました。
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   Y養鶏場三句
・鶏《とり》はみなねむり秋の夜の時計ちくたく
・うたふ鶏も羽ばたく鶏もうちのこうろぎ
 秋の夜の孵卵器の熱を調節する
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飲めなくなつたさびしさ
酔へなくなつたみじめさ
[#ここから2字下げ]
   追加
・月が落ちる山から風が鳴りだした
・蛇が、涼しすぎるその色のうごく
 出来秋のなかで独りごというてゐる男
 秋らしい村へ虚無僧が女の子を連れて
・秋日和のふたりづれは仲のよいおぢいさんおばあさん
・晴れて雲なく釣瓶縄やつととゞく
・声はなつめをもいでゐる日曜の晴れ
[#ここで字下げ終わり]

 九月十日[#「九月十日」に二重傍線]

秋ぢや、秋ぢや、といふほかなし、身心何となく軽快。
朝飯のとき、庵の料理はまづいなあとめづらしく思つた、何しろ昨夜の今朝[#「昨夜の今朝」に傍点]だから。
△昨日忘れてきたと思つた万年筆は浴衣の袖の底にあつた、忘れてきたと忘れてゐたところにまた私の老が見える、この万年筆は十年あまり前に或人から貰つて、ずゐぶん酷使したのだから、もう暇をやつていゝほどの品であるが、それが私をして老を感ぜしめることは不思議な皮肉である。
忘却[#「忘却」に傍点]といふことはわるくない、老いては忘れることが何よりだ。
日和下駄からころと街へ出て来る、昨日樹明君が買うてくれたのです、かたじけない贈物です。
物事に無理をしない[#「物事に無理をしない」に傍点]、といふことが私の生活のモツトーです。
昨夜、湯田へ行くとき、バスの中で樹明君が知合の妙な男と話してゐた、その男はふたなり[#「ふたなり」に傍点]だつた、そのいやらしさがいまだに眼前をちらつく、嫌ですね。
百舌鳥[#「百舌鳥」に傍点]が啼いた、これから空が深うなるほどその声も鋭くなる、そして私に秋を痛感せしめる、……そして。
独り者の昼寝、今日はそのよさとわるさとを味解した。
[#ここから2字下げ]
・最後の飯の一粒まで今日が終つた
・朝寒の針が折れた
   入庵一週[#「週」に「マヽ」の注記]年ちかし
・蓼の花もう一年たつたぞな
   追加備忘
・道がなくなり落葉しようとしてゐる
・水に水草がびつしりと旅
・たゞあるく落葉ちりしいてゐるみち
[#ここで字下げ終わり]

 九月十一日―十月一日[#「九月十一日―十月一日」に二重傍線] 『行乞記』



底本:「山頭火全集 第五巻」春陽堂書店
   1986(昭和61)年11月30日第1刷発行
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2009年1月15日作成
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