]、その心を捨てきらなければならない。
私もどうやらかうやら本格的[#「本格的」に傍点]に私の生活に入り私の句作をすることができるやうになつた、おそらくはこれが私の最後のもの[#「最後のもの」に傍点]だらう。
新聞をやめたので(旅に出がちでもあり、借銭がふえもするので)、何だか社会と離れたやうな気がする、物足らないと同時に気安にも感じる。
今日は歩いてきて、そして昼寝もしないのに、どういふものか、一番鶏が鳴いて暁の風が吹くまで眠れなかつた、いろ/\さま/″\の事が考へられる、生活の事、最後の事、子の事、句の事、そしてかうしてゐても詰らないから一日も出[#「出」に「マヽ」の注記]く広島地方へ出かけたい、徳山に泊るならば、明日立ちたいけれど汽車賃がない、貧乏はつらいものだ、などゝも考へた、しかしながらその貧乏が私を救ふたのである[#「その貧乏が私を救ふたのである」に傍点]、若し私が貧乏にならなかつたならば、私は今日まで生きてゐなかつたらうし、したがつて、仏法も知らなかつたらうし、句作も真剣にならなかつたであらう。……
これもやつぱり老の繰言か!
[#ここから2字下げ]
・俵あけつゝもようできた稲の穂風で
・月のあかるさはそこらあるけば糸瓜のむだ花
・それからそれと考へるばかりで月かげかたむいた
・虫の音のふけゆくまゝにどうしようもないからだよこたへて
・いつまでもねむれない月がうしろへまはつた
・うらもおもても秋かげの木の実草の実
・人が通らない秋暑い街で鸚鵡のおしやべり
   述懐ともいふべき二句
・酔へなくなつたみじめさをこうろぎが鳴く
・ねむれない秋夜の腹《おなか》が鳴ります
   追加
 へちまに朝月が高い旅に出る
[#ここで字下げ終わり]

 九月九日[#「九月九日」に二重傍線]

晴、朝日がまぶしく机のほとりまで射しこむ。
休養読書。
芸術の母胎は何といつても情熱[#「情熱」に傍点]である、そして芸術家は純一[#「純一」に傍点]と冒険[#「冒険」に傍点]とを持つてゐなければならない。
午後、郵便局へいつて端書を書く(その万年筆を忘れてきた、年はとりたくないものだ!)、帰途、工場に冬村君を訪ね、それから学校に樹明君を訪ねる、樹明君が奢るといふので、酒と豆腐とを買うて戻つた、重かつたが苦にはならなかつた。
学校からすぐ樹明君がやつてくる、ほろ/\酔ふ、どうでも湯田へ行つて一風呂浴びてこうといふ、お互に脱線しないことを約束して、バスで一路湯田まで、千人風呂で汗を流す、それから君の北海道時代に於ける旧友Yさんを訪ふ、三千数百羽の鶏が飼はれてをり、立体孵卵器には一万五千の種卵が入れてあるほど、此地方としては大規模であり、大成功である、樹明君が心易立に無遠慮に一杯飲ましなさいといふ訳で、奥さんが酒と料理とを持つて来て、すみませんけれど、主人は客来で手がひけないので、どうぞ勝手に召しあがつて下さいといはれる、酒はあまりうまくなかつたが、料理はすてきにうまかつた、私などはめつたに味へない鶏肉づくしだつた、さすがに養鶏場だ、聞くも鶏、見るも鶏、食べるもまた鶏だつた。
何故だか何となく腹工合が悪くて、いくら飲まうと思つても、また、樹明君の気分に合しようと努めても、飲めない、酔へない、やうやく君をすかして、だまつて帰途につく、バスを一時間も待つた、その間、樹明君はそこらの床几に寝ころび、私は切符売の老人と湯田の今昔を話したり、M旅館の楼上で遊興する男女を垣間見たりする。
いつしよに帰庵してから、樹明君は家へ、私は床に就いたのは十二時頃、銭といふものゝありがたさ、自動車といふものゝありがたさ、友人といふものゝありがたさを痛感する。
私にはゼイタクきはまる一夜の遊楽でありました。
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   Y養鶏場三句
・鶏《とり》はみなねむり秋の夜の時計ちくたく
・うたふ鶏も羽ばたく鶏もうちのこうろぎ
 秋の夜の孵卵器の熱を調節する
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飲めなくなつたさびしさ
酔へなくなつたみじめさ
[#ここから2字下げ]
   追加
・月が落ちる山から風が鳴りだした
・蛇が、涼しすぎるその色のうごく
 出来秋のなかで独りごというてゐる男
 秋らしい村へ虚無僧が女の子を連れて
・秋日和のふたりづれは仲のよいおぢいさんおばあさん
・晴れて雲なく釣瓶縄やつととゞく
・声はなつめをもいでゐる日曜の晴れ
[#ここで字下げ終わり]

 九月十日[#「九月十日」に二重傍線]

秋ぢや、秋ぢや、といふほかなし、身心何となく軽快。
朝飯のとき、庵の料理はまづいなあとめづらしく思つた、何しろ昨夜の今朝[#「昨夜の今朝」に傍点]だから。
△昨日忘れてきたと思つた万年筆は浴衣の袖の底にあつた、忘れてきたと忘れてゐたところにまた私の老が見える、この万年筆は十
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