行乞記
仙崎
種田山頭火

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【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+(麈−鹿)」、第3水準1−84−73]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いら/\してゐる
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 八月八日[#「八月八日」に二重傍線]

五時半出立、はつらつとして歩いてゐたら、犬がとびだしてきて吠えたてた、あまりしつこいので※[#「てへん+(麈−鹿)」、第3水準1−84−73]杖で一撃をくれてやつた、吠える犬はほんとうに臆病だつた。
水声、蝉声、山色こまやかなり、大田へはいつてゆく道はやつぱりよろしい。
十時には秋吉に着いて行乞、さらに近在行乞、財布(ナイフとルビをふるべし)を忘れてきてゐる。
夕立がやつてきた、折よく観音堂で昼寝。
もう萩が咲いてゐる。
新屋といふ安宿に泊る、愛嬌のない、井戸もない宿だつた、相客はいかけやさん、料理人、前者はおしやべり、どこか抜けたところがある、後者は生来の世間師、いらないものがある。
水は正直ですよ[#「水は正直ですよ」に傍点]、といつていかけやさんが修繕したバケツに水を入れて覗いてゐる。
さすがに秋吉附近は大理石の産地、道ばたの石ころも白い光沢を持つてゐる。
[#ここから2字下げ]
 旅立つ今朝の、蝉に小便かけられた
 朝月のある方へ草鞋はかろし
・あぶない橋の朝風をわたり山の仕事へ
 笹に色紙は七夕の天の川
・そこは涼しい峠茶屋を馬も知つてゐる
・夕立晴れた草の中からおはぐろとんぼ
・昼寝覚めてどちらを見ても山
・おのが影をまへに暑い道をいそぐ
 暮れると水音がある暗い宿で
・月夜の音させる牛も睡れないらしく
・旅はいつしか秋めく山に霧のかゝるさへ
・霧ふかく山奥は電線はつづく
・ゆふべの鳥が三羽となつて啼いてゐる
・山のまろさは蜩がなき
・蜩のうつく[#「く」に「マヽ」の注記]りなくに田草とる
 かなかなもなきやんだ晩飯にしよう
[#ここから1字下げ]
行程五里、行乞四時間。
今日の所得は 銭弐十六銭、米弐升八合。
木賃は三十銭 (等級は中の下)。
お菜は野菜づくし
[#ここで字下げ終わり]

 八月九日[#「八月九日」に二重傍線]

朝曇、涼しかつた、七時出立。
山の奥へ奥へと分け入つてゆく、霧がたちこめてゐる、時鳥がなく、途上ところ/″\行乞。
売られてゆく豚のうめき、水蜜桃の供養、笑顔うつくしい石仏。
どこでも土用干の着物が色とり/″\、私は何を干さうか、支那の何とかいふ奇人のまねではないが、破れ法衣に老いぼれ身心でも干さうよ、いや現に干しつゝあるではないか。
彼のよしあし、それはやがて私のよしあしだつた、行乞の意義はこゝにもある。
嘉万の街を行乞してゐるところへ伊東さんが自転車でやつてきた、今夜は八代でゆつくりとよい酒を飲む約束で、此地方へ出かけてきたのだが、万事都合好く運びつゝある(君は醤油味噌醸造の講師として出張したのである)、山のまろさ酒のうまさ人のよさ!
負子[#「負子」に傍点](朝鮮ではチゲ)は印象ふかく眺められる。
八代の共同作業所へ着いたのは五時過ぎだつた、そして意外にも樹明君が後を追うて来た、小郡から自転車で二時間半で飛んだのである。
生一本、此地方でいはゆる引抜はよかつた、N家の酒はよい酒である、そのよい酒の最もよい酒だ、酔うて蚊帳もつらずに寝たのはあたりまへだらう。
私の好きな山がかさなつてゐる、私の好きな友だちといつしよである、酒はひきぬき、風はすゞしい、あゝ極楽、極楽。……
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今日の行程八里。
今日の所得銭五十七銭、米三升六合。
[#ここから2字下げ]
・近道の近道があるをみなへし
・こゝから下りとなる石仏
・山の朝風の木が折れてゐる
・ほんにうまい水がある注連張つてある
・どうやら道をまちがへたらしい牛の糞
・住めば住まれる筧の水はあふれる
 近道近かつた石地蔵尊
 うらは蓮田で若いめをとで
・はだかではだかの子にたたかれてゐる
・波音のガソリンタンクの夕日
・一切れ一銭といふ水瓜したたる
[#ここで字下げ終わり]

 八月十日[#「八月十日」に二重傍線]

朝の山を眺めながら朝酒を味はつた、樹明君は夜明けに起きるなり自転車を飛ばせていつた。
七時すぎてから地下足袋を穿く、ほろ酔のうれしさである。
峠は近道(いひかへれば旧道)を歩いた、道連れとして面白い人物が待つてゐた、彼は酒好きの左官、女房に死なれて焼糞になつてゐるが、近く後妻を貰ふつもり、どうでせうかと訊く、是非お貰ひなさい、それが最も賢明な策ですと勧説して別れた。
三隅
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