行乞記
山口
種田山頭火

−−
【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)七月廿八日[#「七月廿八日」に二重傍線]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)にい/\蝉
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

 七月廿八日[#「七月廿八日」に二重傍線]

六時すぎ出立、道はアスフアルトの一路坦々。朝風が法衣の袖にはらんで涼しい。
九時から山口市の裏通行乞二時間。
鈴木の奥さんに御挨拶する、思ひがけなくお布施を頂戴して恐縮した。
野田神社、豊栄神社へ参拝、境内は掃目もあざやかに蝉しぐれのなごやかさ。
山口県庁の建物はおちついてゐて好きだつた、背景の山のすがたも気にいつた。
サベリヨ記念碑を観た。
寺内文庫で新聞を読みながら休む。
二時から六時まで、宮野仁保を行乞して仁保上郷の河内屋といふ安宿へ泊つた、山村のしづかな家でうれしかつた、行程五里。
[#ここから1字下げ]
木賃 三十銭。
夕飯(鯖の煮付、茄子の煮込、沢庵漬) 朝食(味噌汁、煮豆、沢庵漬)
所得(銭三十銭、米三升)
[#ここで字下げ終わり]
今夜はお布施のおかげで、日本酒[#「日本酒」に傍点]三合いたゞく。
△途上、鮮人の一家族に心を惹かれた、世帯道具を背負うて移動する道中らしい、蒲団、飯釜、行李、子供、そして弱者劣敗者である彼等は私にまで挨拶した、私は彼等に対して好感よりも哀感を持つた。
或る農家で、おかみさんが皿に米をいつぱい盛つてくれた、くれやうが多すぎるから何かあるなと思つてゐたら、果してさうだつた、小さい子に鉄鉢をいたゞかせてくれといふ、消災呪を唱へてあげた、此頃は鉄鉢をさゝげてあるく坊主も稀だし、また子供が頭剃を嫌はない禁厭として鉄鉢をいたゞかせてくれといふ事も稀である。
△今日はめづらしくコヤトといふ方言を聞いた、コヤトは餓鬼とおなじく、子供に対する親愛と軽蔑とを意味する言葉である、ホイトといふ方言のやうにおもしろいと思ふ。
[#ここから2字下げ]
・生きのびて蔦のからんだ門のうち
 炎天の地べたへ人間をゑがく
・水に水草びつしり
・ぼろきてすずしい一人があるく
・蝉しぐれあふれるとなくあふれてゐる水
・ここが国ざかひで涼しい風
 山かげの夕凪の魚がはねるさゞなみ
・ながい豆も峠茶屋のかなかな
 河鹿にはおそかつた蜩の安宿で
 枕がひくうて水音がたえない一夜
 たつた一軒家の白木槿咲いてゐる
・水瓜はごろりと日ざかりの畑
   (乞食坊主の頭陀のおもさよ)
 水音のかなかなの明けてくる
・窓は朝蜘蛛のうごかない山がせまり
 ながれ、寝苦しかつた汗をながす
・みんなたつしやでかぼちやのはなも
・こどもばかりでつくつくぼうし
・家あれば水が米つく
・どこまでついてくるぞ鉄鉢の蠅
・家がとぎれると水音の山百合
 煙が山から人間がをる
 仲よく朝の山の草刈る
・いたゞきのはだかとなつた
・こゝからふるさとの山となる青葉
 山奥の田草とる一人には鶯
 人にあはない山のてふてふ
[#ここで字下げ終わり]

 七月廿九日[#「七月廿九日」に二重傍線]

曇、六時から行乞、ずゐぶん暑い、流れに汗を洗ふ、山がちかく蝉がつよく、片隅の幸福[#「片隅の幸福」に傍点]とでもいふべきものを味ふ。
今日の道はよかつた、山百合、もう女郎花が咲いてゐる、にい/\蝉、老鶯、水音がたえない、佐波川はなつかしかつた。
あの無[#「無」に「マヽ」の注記]限者のうちへはおいでなさい、なか/\の善根家で、たくさんくれますよと教へて下さつた深切な人もあつた。
河鹿がそこらでかすかに鳴いてくれてゐた。
労[#「労」に「マヽ」の注記]れて、四時すぎには小古祖の宿屋で特に木賃で泊めて貰つた、おばあさん一人のきれい好きで、まことによい宿だつた。
同宿四人、みんな愚劣な人ばかりだつた(現代の悪弊だけを持つて天真を失つてゐる)。
[#ここから1字下げ]
今日の所得は銭二十銭と米四升。
行程七里。
河野屋の木賃は三十銭。
夕食(ちくわ一皿、ぢやがいも一皿、沢庵漬)うるかをよばれた。
朝食(味噌汁、漬物)
[#ここで字下げ終わり]
宿の前にある水は自慢の水だけあつてうまかつた、つめたすぎないで、何ともいへない味はひがあつた、むろん二度も三度も腹いつぱい飲んだ。
△どこへいつても、どんなをんなでも(一部の老人と田草取とをのぞけば)アツパツパ[#「アツパツパ」に傍点]を着てゐる、簡単服、家庭服として悪くはないが、どうぞヅロース一番[#「ヅロース一番」に傍点]せられよ(天声子の語を借る)。
[#ここから2字下げ]
・楮にこんにやくが青葉に青葉
 ふるさとのながれや河鹿また鳴いてくれる
・ふるさとの水をのみ水をあび
・長い橋それをわたればふるさとの街で
・おばあさんはひとりものでつんばくろ四羽
・つゆのつゆくさのはなひらく
・水音のよいここでけふは早泊り
 炎天、蟻が大きな獲物をはこぶ
・炎天の鴉の啼きさわぐなり
 石にとまつて蝉よ鳴くか
・山の青さへつくりざかやの店が閉めてある
・そこから青田のほんによい湯加減
・おそい飯たべてゐる夕月が出た
・暮れてまだ働らいてゐる夕月
 ぐつすり寝て覚めて青い山
 よい寝覚のよい水音
 炎天のした蚯蚓はのたうちまはるばかり
・ことわられたが青楓の大きな日かげ
・けふはプラタナスの広い葉かげで昼寝
 岩水に口づけて腹いつぱいのすずしさ
・ふるさとのながれにそうて去るや炎天
・逢ひたいが逢へない伯母の家が青葉がくれ
・ふるさとは暑苦しい墓だけは残つてゐる
・ふるさとや尾花いちめんそよいではゐれど
 笹にもたれて河原朝顔の咲いてゆらいで
・はるかに夕立雲がふるさとの空
[#ここで字下げ終わり]

 七月三十日[#「七月三十日」に二重傍線]

よくねむれた、つばめが朝早くから子に餌をもつてきてやつてゐる、これはおばあさんの孫みたいなものだらう。
堀行乞、七時から九時まで、そして島地行乞、十時から十二時まで。
花尾八幡宮の社殿で昼休み二時間。
途中、現世利益の御祈祷を頼まれたが碗[#「碗」に「マヽ」の注記]曲に断る、そんな事は私の柄にない事だから!
岩の間から雫する水はよいな。
嶋地の人々に幸あれ。
佐波川にそうて下り、岸見の飯田屋といふのに泊つた、こゝも悪くない宿だつた、殊に一室一人、一燈一人はうれしかつた、お客さんは私一人だから。
[#ここから1字下げ]
行程五里、所得は米四升二合、銭卅七銭。
[#ここで字下げ終わり]
禁を破つて、昼二杯、夕二杯、とてもうまい酒だつた。
[#ここから1字下げ]
夕飯(茄子、さゝげ豆、胡瓜膾、沢庵漬)
朝食(味噌汁、沢庵漬)
木賃 三十銭
[#ここから2字下げ]
・まうへに陽がある道ながし
・おもひでは暑い河原の石をふみ
[#ここで字下げ終わり]

 七月三十一日[#「七月三十一日」に二重傍線]

沿道を行乞しながら一時舟橋通過、四時大道到着、もう歩きつゞける元気もなくなつて汽車に乗る、四辻も束の間、すぐ小郡だ、やれ/\戻つてきました。
イリコ五十目十五銭、ミヨウガ三十ばかり二銭、サケ三合二十四銭が今日の途中の買物だつた。
右田岳のよさを見直した、河原には朝顔、撫子、月草、そして苅萱も。
今日はプチブル婆、プチブル爺に対して腹が立つた、そして乞食の負惜[#「乞食の負惜」に傍点]を体験した。
田舎の子沢山を見て憤慨する、何故彼等は birth−control しないのか!
[#ここから1字下げ]
  行乞が私に与へた恩恵
一、何でもおいしく食べられる
一、ほとんど腹が立たないやうになつた
[#ここで字下げ終わり]
飯のうまさ、水のうまさ(モチ酒のうまさも)、食べるもの飲むもののうまさは行乞してからほんとうに解つた。
徒歩禅[#「徒歩禅」に傍点]は断じて徒労禅[#「徒労禅」に傍点]ではなかつた。
歩々清風[#「歩々清風」に傍点]である。
[#ここから1字下げ]
今日の所得は銭十八銭、米四升一合。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

 七月三十一日[#「七月三十一日」に二重傍線]

さすがに汽車は早い、有難い、五時にはもう其中庵主として夕食の仕度にいそがしかつた、胡瓜、茗荷、トマト、そしてイリコ、それで一杯ひつかけて寝た、手足をぞんぶんに伸ばして。
トマトはほんとうにうまい。
戻つて来て、何の変化[#「変化」に傍点]もない、蜘蛛が網を張り、油虫が這ふだけ!
梭二さん贈るところの松笠風鈴[#「松笠風鈴」に傍点]はうれしかつた。
[#ここから2字下げ]
・山頭火には其中庵がよい雑草の花
・糸瓜伸びたいだけのぼつたりさがつたりして花つけた
・風はうらから風鈴の音もつゝましく
・仏前しづかに蝶々きてとまる
・もどつてきたぞ赤蛙
・ひえ/″\として夜明ける風鈴のなる
・なにかつかみたい糸瓜の蔓で朝の風ふく
・草のすゞしさは雀もきてあそぶ
[#ここで字下げ終わり]

 八月一日[#「八月一日」に二重傍線]

ねた、ねた、ねた、ほんとうによくねた、牛のやうにねた。
くもり、あるけばあついが、ぢつとしてをればすゞしい。
なんと松笠風鈴の音のよろしさ、其中庵はあたらしく一つの声を与へられて、ひとしほ閑寂のおもむきを増した。
新秋清涼の気がどことなくたゞようてゐる。
買物いろ/\、――酢、醤油、石油、煙草、端書――行乞四日間の所得はすつかり無くなつてしまつた。
樹明君徃訪(学校に)、大村君来訪(午後半日)。
近代野蛮人[#「近代野蛮人」に傍点]といふ語の意義ふかきをおもふ。
[#ここから1字下げ]
   句集自序の一節として
私の句はまだ/\水つぽいけれど、へたなカクテルのいやなあくどさはないと信じてゐる。……
 (描く句[#「描く句」に傍点]、述べる句[#「述べる句」に傍点]、うたふ句[#「うたふ句」に傍点])
 (説く句、叫ぶ句、呟く句)
[#ここで字下げ終わり]

 八月二日[#「八月二日」に二重傍線]

朝風のこゝろよさ、風鈴もしめやかな音色。
夕立時雨でめつきり涼しくなつた、風がふいて蚊もすくなかつた。
△歌でも句でも、詩は自然景象[#「自然景象」に傍点]を通して生活感情[#「生活感情」に傍点]がにじみ出てゐなければならない、いひかへれば自然が自己[#「自然が自己」に傍点]とならなければならないのである。
今日は誰も来なかつた、誰をも訪ねなかつた、ものいふことはなかつた、郵便と新聞とが来たゞけ。
胡瓜、胡瓜、茄子、茄子だつた、そして炭がなく薪もなくなつたので、まことに苦心さんたんであつた。
[#ここから2字下げ]
・ころころころげてまんまるい虫のたすかつた
・とまるより鳴き、鳴きやめるより去つた夕蝉
・降つたり照つたりちよろ/\するとかげの子
・まづしい火をふく粉炭がはねた
・それはそれとして火を焚きつける
   戯作三首(或る友に)
・風鈴の音のよろしさや訪ねてくれるといふ
・風鈴のしきりに鳴るよ訪ねてくれる日の
・訪ねてくれて青紫蘇の香や飲ましてくれる
[#ここで字下げ終わり]

 八月三日[#「八月三日」に二重傍線]

けさは早かつた、近在行乞しなければならなかつたから、――しかしお天気があぶないのでしようことなしに中止、硯[#「硯」に「マヽ」の注記]貝掘りにでも行きたかつたがそれも中止しなければならなかつた。
雨模様の時化模様、土用としては変に涼しい。
朝、樹明君が実習生四五人連れてくる、庵の周囲はあんまり草ぶかいので刈つてくれようといふのである、監督は神保さん、何しろ生徒さんたちだから、そこらをわがまゝに刈り取つて帰つていつた、下手な理髪のあとのいがぐりあたまのやうにして! 私もところ/″\の草を取つた、たまさかお化粧した田舎娘の顔のやうにまだら/\だ!
風が雨をよんで強くなつた、柿の青葉が吹きちぎられて飛ぶ、風鈴がやけに鳴る、障子をあけてはゐられないほどだつた、――秋近しと肉体が感じた。
伊東さんに手紙をあげた、逢ひたいな、一杯やりたいな。

次へ
全2ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング