を観てゐると、ひようびようたるおもひにうたれる、風よ汝はいづこより来り、いづこに去るや、と昔の詩人は嘆じたが、私も風を、風そのものをうたいたいと思ふ。
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・いぬころ草もほうけてきたまた旅に出よう
・赤い花が白い花が散つては咲いては土用空
・夕焼ふかい蜘蛛の囲でさけぶ蝉あはれ
暮れると風が出た月の出を蚊帳の中から
・あすの水くんでをく棗はまだ青い夕空
・何はなくとも手づくりのトマトしたゝる
・ほつと眼がさめ鳴く声は夜蝉
・身のまはりは雑草つぎ/\に咲いて
・風の子供はかけまはる風
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八月四日[#「八月四日」に二重傍線]
雨もやみ風もおちた、どうやらお天気になるらしい、庵の周囲は何だか荒涼としてゐる、草刈草取の跡そのまゝ。
野菜畑手入、晴れるとさすがに暑い、蚊や蚋がすぐ襲撃する。
胡瓜はもうをはりに近い、茄子はまだ/\盛り、トマトはボツ/\ふとつてうれる、ハスイモ、シソ、トウガラシはいよ/\元気だ、大根はいつもしなびてげつそりしてゐる、……しようがもおなじく。
野菜はうまい、そのほんとうのうまさはもぎたて[#「もぎたて」に傍点]にある。
五厘銅貨でやつとなでしこ小袋を手に入れることができた。
けふは敬坊帰省の日、きつと寄つてくれると、行乞もやめにして待つてゐた、待つて、待つて、待つたあげくは待ちぼけで寝た、――と呼び起す人がある、敬坊だ、お客がきてやつてこられなかつたといふ、酒、酒、よい酒だつた。
△よう寝た、何もかも忘れて寝た、捨てるまへに忘れろ[#「捨てるまへに忘れろ」に傍点]、いや、忘れることは捨てることだ[#「忘れることは捨てることだ」に傍点]。
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きのふの蝉がまだ蜘蛛の囲に時化の朝ぐもり
・胡瓜の皮をむぐそれからそれと考へつゝ
・夏草ふかい水底の朝空から汲みあげる
またもいつぴき水におぼれて死んだ虫
・朝ぐもり触れると死んだふりする虫で
風ふく鴉のしわがれて啼く
ほろりと糸瓜の花落ちた雨ふる
・蛙をさなく青い葉のまんなかに
・こんなに降つても吹いても鳴きつゞける蝉の一念
・風がさわがしく蝉はいそがしく
・風がふくふく髯でも剃らう
・ついてきた蠅の二ひきはめをとかい
・街からつかれてお米と蠅ともらつてもどつた(追加)
・竹になりきつた竹の青い空
・雑草すゞしい虫のうまれてうごく
・きのふもけふも茄子と胡瓜と夏ふかし
・月がぽつかり柿の葉のむかうから
・のぼる月のあかるい蚊帳に寝てゐて
・蚊帳へまともな月かげも誰かきさうな
家ぬち明るすぎる夜蝉のするどくて
・まうへに月を感じつゝ寝る
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八月五日[#「八月五日」に二重傍線]
五日ぶりの酒はこたえた、といふ訳で寝すごした、六時のサイレンが鳴つてから御飯、むろん、昨夜の残酒はそのまゝにしておかなかつた。
朝はよいな、ことにけさはよいな。
曇、日傭人夫が困ることも事実だ、私もその仲間の一人!
醤油も煙草も、そして出さなければならない端書もないので、学校に樹明君を徃訪して五十銭玉一つを強奪した、そしてその残金でKに立寄つて氷を一杯たべた、Kへは五月ぶり、氷は今年最初のそれだつた。
とにかく、けふはなんとなく愉快だ、ダンスでもやるか!
午後、樹明来、そして敬坊来、酒は豊富、下物も豊富(野菜ばかりだが)、生ビールさへあつた、みんなほどよく酔うて、樹明君は九時頃帰宅、敬坊はとう/\泊つた。
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・ききようかるかやことしの秋は寝床がある
・日が暮れて夜が明けてそして乞ひはじめる(行乞)
・風が吹きぬける風鈴と私
・いちぢくにからまつたへちまの花で
人を待つこれから露草の花ざかり
・何もしないで濡タオルいちまいのすゞしさよ
・死んだまねして蜘蛛はうごかない炎天
・青葉がくれの、あれは Ichifuji の灯
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八月六日[#「八月六日」に二重傍線]
曇、朝の仕度をしてゐるうちに晴れてくる。
昨夜の残物(むろん酒もある)を平げる、あゝ朝酒のうまさ、このうまさが解らなければ、酒好きは徹してゐない、敬君、樹明君どうです?
敬君は何も食べないで県庁へ出張。
木炭を持つてきてくれないのにフンガイする、油虫の横暴にもフンガイする、フンガイしたところでどうにもならないけれど。
朝蝉はよいな、敬坊いふ『こゝは極楽浄土だ』山は答へる、『さびしい浄土だ[#「さびしい浄土だ」に傍点]』
樹明君来庵、なが/\と寝た、私はなるだけ昼寝をしないやうにしてゐる、それでなくても夜中寝覚勝だから。
もう早稲田には穂が出てゐる。
敬坊なか/\戻つて来ない、二人でぢり/\する、二人だけで物足りない夕飯を食べて、敬坊の家の方へ散歩する、樹明君は敬君徃訪、私は帰庵、水を汲んだり汚れ物を洗つたりしてゐると、果して敬坊来車、酒を持つて、間もなく樹明も来車、茹鮹を下げて。
月がよい、昨夜もよかつたが今夜は一層よい、月あり酒あり[#「月あり酒あり」に傍点]、友あり寝床あり[#「友あり寝床あり」に傍点]。……
二人をよい月へ見送つて、よい月へごろりと寝る。
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・鳴るは風鈴、この山里も住みなれて
・伸びあがつて炎天の花
・はぶさう葉をとぢてゐる満月のひかり
・すずしい月へふたりを見おくる
・子のことも考へないではない雲の峰がくづれた
・灯して親しいお隣がある(改作)
・親子でかついでたなばたの竹
・風は裏藪から笠と法衣と錫杖と
・暑い土のぽろ/\こぼれるをくだる
・葉かげふかくうもれてゐる実があつた
・据えた石もおちついてくる山をうしろに
・炎天の枯木よう折れる
・真昼を煮えてゐるものに蝉しぐれ
・このうまさは山の奥からもらつてきた米
・風鈴の音のたえずして蝉のなくことも
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八月七日[#「八月七日」に二重傍線]
すこし飲みすぎですこし朝寝、しかし天地明朗である、夏の日[#「夏の日」に傍点]を感じる。
今日は七夕、当地の河原はたいへん賑ふといふ、郵便局へ出かけたが、街は青竹のうつくしさで埋められてゐる、晩には煙火見物に出かけるかな。
夫婦で棚機竹をかついだり、家内惣[#「惣」に「マヽ」の注記]動員で色紙飾紙を竹にとりつけてゐる、七夕祭は女性的だが、たしかに東洋的な日本らしい情調を帯びてゐる。
うつくしいかな、なつかしいかな、大和撫子、常夏の花。
いぬころ草を活けて、これもをはりのよさを味ふ。
糸瓜がちいさくぶらりとさがつてきた。
巡査来、戸籍調べらしい、飛行機来、一句くれていつた、冀くは今夜も敬坊来、樹明来、南無アルコール大明神来!
茄子がうまかつた、漬菜がほんとうにうまかつた。
街の七夕夜景を見物して歩いた、提灯のほかげはまつたくうつくしい、親しみふかい日本美観である、なまじ近代風を加味したのはかへつて面白くない、それから河原へ行つた、たいへんな人出だ、果物店、氷店の羅列である、久しぶりに夜店風景を満喫した。
月がよかつた、風も涼しかつた、煙火のポン/\もうれしかつた。
人形芝居の催しがあつた、やたらに人形が動く、どこら[#「ら」に「マヽ」の注記]そこらで蛙が鳴いてゐた。
街の人ごみの中で、今日来庵した巡査が私を見つけて、訊き忘れた生年月日を訊いた、さすがに職掌柄、私をよく覚えてゐて、そして私を見つけだしたものだ。
△句に遊ぶ[#「句に遊ぶ」に傍点]、私は天地逍遙遊[#「天地逍遙遊」に傍点]の境地に入り込みつゝある、それがよい、それがほんとうだ、自然にして必然な道[#「自然にして必然な道」に傍点]だと思ふ。
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・ひろげて涼しい地図の、あちこち歩いた線
・はつきり見えて炎天の飛行機がまうへ
・こんなに出来てくれて青紫蘇や青唐辛
・つくつくぼうしあすから旅立つ私で
・糸瓜ぶらりと地べたへとゞいた
・かなかなのほそみちおりるはをとこにをなご
・雑草ふかくほうづきのうれてゐる夕風
・更けて戻れば風鈴は鳴つてゐる
よい月夜、月の夜の蛇にも咬まれたが(冬村君に)
・どこでも歩かう月がのぼる
・街はお祭提灯の、人のゆく方へゆく
・今が人も出さかりの、山をはなれた月
・月へ花火の星があがつた
朝空ふか/″\と雲のちぎれ/\
・法衣もすゝきもほうけて戻つた(追加)
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八月八日[#「八月八日」に二重傍線]
有明月夜、秋吉――八代――仙崎方面へ行乞と出かける。
八月九日[#「八月九日」に二重傍線]
八月十日
八月十一日
『行乞記』
八月十二日
八月十三日
八月十四日[#「八月十四日」に二重傍線]
底本:「山頭火全集 第五巻」春陽堂書店
1986(昭和61)年11月30日第1刷発行
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2009年1月15日作成
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