行乞記
大田
種田山頭火
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)螢《ホウタル》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#丸中黒、1−3−26]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\
−−
七月十四日[#「七月十四日」に二重傍線]
ずゐぶん早く起きて仕度をしたけれど、あれこれと手間取つて七時出立、小郡の街はづれから行乞しはじめる。
大田への道は山にそうてまがり水にそうてまがる、分け入る気分[#「分け入る気分」に傍点]があつてよい、心もかろく身もかろく歩いた。
行乞はまことにむつかしい、自から省みて疚しくない境地へはなか/\達せない、三輪空寂はその理想だけれど、せめて乞食根性を脱したい、今日の行乞相は悪くなかつたけれど、第六感が無意識にはたらくので嫌になる。
暑かつた、くら/\して眼がくらむやうだつた。
林の中でお辨当を食べる、山苺がデザートだ。
水を飲んだ、淡として水の如し[#「淡として水の如し」に傍点]、さういふ水を飲んだ、さういふ心境にはなれないが。
蕨といふ地名はおもしろい。
予定通り、二時には敬治居の客となつた、敬坊は早退して待つてゐてくれた、さつそく風呂を頂戴する、何よりの御馳走だつた、そして酒、これは御馳走といふよりも生命の糧だ。
敬坊はよい夫、よい父となりつゝある、それが最もうれしかつた、人間は落ちつかなければ人間を解し得ない、人間を解し得なければ人間の生活はない。
おはぎ餅はおいしかつた、餅そのものもおいしかつたが、それを食べる気持、それを食べさせてくれる気持がとてもおいしかつた。
生活の打開と共に句境も打開される、私も此頃多少の進展を持つたらしい。
暑くて、腹がくちくて寝苦しかつた。
[#ここから1字下げ]
銭 二十一銭
今日の所得 行程五里。
米 一升二合
[#ここから2字下げ]
朝月暈をきてゐる今日は逢へる
朝風へ蝉の子見えなくなつた
朝月にしたしく水車ならべてふむ
・水が米つく青葉ふかくもアンテナ
夾竹桃赤く女はみごもつてゐた
合歓の花おもひでが夢のやうに
・柳があつて柳屋といふ涼しい風
汗はしたゝる鉄鉢をさゝげ
見まはせば山苺の三つ四つはあり
・鉄鉢の暑さをいたゞく
・蜩よ、私は私の寝床を持つてゐる
[#ここで字下げ終わり]
七月十五日[#「七月十五日」に二重傍線]
曇、降りさうで降らない、すこし憂欝。
八時から十一時まで大田町行乞。
[#ここから1字下げ]
所得――銭四十四銭に米一升三合
[#ここで字下げ終わり]
午後は東御嶽観音様へ詣でる、青葉、水音、蝉がなき鶯がなく、とてもしづかな山村だつた、そこから赤郷へ河鹿聴きに出かけたが、暑くはあるし、興味もうすらいだので途中から引き返す、徃復三里の散歩だ。
山の茶屋には筧の水があふれて、ところてん[#「ところてん」に傍点]が澄んでゐた。
敬治居はなか/\にぎやかである、坊ちやんが時々あばれる、繋がれた仔犬もあばれる、小さいお嬢さんがなかなか茶目公だ。
敬坊は綾木へ出張、私は一人でちび/\やつた。
水のうまさ、豆腐のうまさ、これは自慢するだけの値打がある。
暮れきつてから、敬坊がMといふ友人といつしよに、だいぶ酔うて戻つてきた、三人でまた飲んだ。
ほどよく酔うて、ぐつすり眠つた。
[#ここから2字下げ]
朝ぐもりもう石屋の鑿が鳴りだした
朝風につるまうとする犬はくゝられてゐる
・草も蛙も青々としてひつそり
・山は青葉の、青葉の奥の鐘が鳴る
・蝉しぐれこゝもかしこも水が米つく
ながれをさかのぼりきて南無観世音菩薩
・山からあふれる水の底にはところてん
御馳走すつかりこしらへて待つ蜩
・寝ころぶや雑草は涼しい風
・道筋はおまつりの水うつてあるかなかな
うらは蜩の、なんとよい風呂かげん
おかへりがおそい油蝉なく
かなかな、かなかな、おまつりの夜があける
[#ここで字下げ終わり]
七月十六日[#「七月十六日」に二重傍線]
かなかな、かなかな、みんみん、みんみん。
朝風はよかつた、朝飯はうまかつた。
河原朝顔の一輪が私をすつかり楽天的にした。
とめられたけれど七時出発、友情のありがたさ、人間性のよさをひし/\と感じながら。
今日の道はよい、といふよりも好きな道だつた、山村の景趣を満喫した、青葉もうつくしいし、水音はむろんよかつた、虫の声もうれしいし、時々啼いてくれるほとゝぎすはありがたかつた。
木部行乞、十一時から一時まで二時間。
歩くために歩く、歩いて歩くことそのことを楽しむ[#「歩くことそのことを楽しむ」に傍点]。
荒瀧山、ちよつとよい山だ。
けふのおべんたうはおいしかつた、敬治君の奥さんにあつくお礼を申上げなければならない。
けふぐらゐ水をたくさん飲んだことはあまりない、まことにうまい水だつた、山の水は尊し[#「山の水は尊し」に傍点]。
米が重かつた、腰が痛むほどだつた、しかしこの米のおかげで暫らく休養することができるのだ。
小野を通つて帰庵したら六時を過ぎてゐた、戻るより水を汲み火を熾し飯を炊いた、もちろん寝酒は買うて戻ることを忘れてゐない。
[#ここから1字下げ]
銭 四十三銭
今日の所得 行程七里
米 一升六合
[#ここで字下げ終わり]
此度の敬治居訪問はほんとうによかつた、敬治君にもよりよく触れたし、奥さんのよいところよくないところも解つた、敬坊万歳、どなたも幸福であれ。
この旅中に私の不注意を実証する出来事が三つあつた、敬治居で眼鏡をこわしたことが一つ、途上辨当行李をなくしたことが一つ、そしてあとの一つは帰庵して、すこし酔うて茶碗を割つたことである、こゝに記して自己省察の鍵とする。
[#ここから2字下げ]
けふも暑からう草の葉のそよがうともしないかなかな
・山をまへに昼虫の石に腰かける
・山ほとゝぎす解けないものがある
・おのが影のまつすぐなるを踏んでゆく
・炎天の影の濃くして鉄鉢も
・石に腰かけて今日のおべんたう
遠雷すふるさとのこひしく
・水音の青葉のいちにち歩いてきた
・けふいちにちの汗をながすや蜩のなくながれ
・雷鳴が追つかけてくる山を越える
・日照雨ふる旅の法衣がしめるほどの
・かげは松風のうまい水がふき
[#ここで字下げ終わり]
ぢつとしてゐることは――暑中閑坐は望ましくないこともないが――それは、今の私には、生活上で、また精神的にも許されない。
一衣一鉢、へう/\として炎天下を歩きまはるのである。
[#ここから2字下げ]
・山の鴉はけふも朝からないてゐる
・手紙焼き捨てるをお湯が沸いた
・風の枯木をひらふては一人
[#ここで字下げ終わり]
戻るなり、水を汲み胡瓜を切り御飯を炊く、いやはや忙しいことである、独居は好きだけれど寂しくないこともない、たゞ酒があつて慰めてくれる、南無日本酒[#「日本酒」に傍点]如来である。
[#ここから5字下げ]
水と酒と句(草本塔[#「草本塔」はママ]に題す)
――(山頭火第二句集自序)――
[#ここで字下げ終わり]
私は酒が好きなやうに水が好きである。
これまでの私の句は酒(悪酒でないまでも良酒ではなかつた)のやうであつた、これからの私の句は水(れいろうとしてあふれなくてもせんせんとしてながれるほどの)のやうであらう、やうでありたい。
この句集が私の生活と句境とを打開してくれることを信じてゐる、淡として水の如し、私はそこへ歩みつゝあると思ふ。
[#ここから2字下げ]
・何か落ちたる音もしめやかな朝風
追加二句
・なんとうつくしい日照雨ふるトマトの肌で
・夾竹桃さいて彼女はみごもつてゐる
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
七月十七日[#「七月十七日」に二重傍線]
夢のない眠り、千金にも値する快眠だつた。
毎日暑いことである、夕立がきさうでこない、ばら/\と日照雨。
街へ買物にちよつと出たが汗でびつしよりになつた、石油十銭、醤油七銭、眼鏡四十五銭、……酒まではまはらない。
茄子胡瓜、胡瓜茄子ばかり食べてゐる。
野菊(嫁菜の花)が咲きはじめた、トマトも色づいてきた。
らつきよう一升十銭、その手入で午後はつぶれた。
夕は早くから蚊帳の中、待つてゐたが樹明君はやつてこなかつた。
今夜は十七夜、宮島祭だつたらう。
[#ここから2字下げ]
・ころ/\ころげてまあるい虫
・つながれて吠えるばかりの仔犬の暑さ
・朝からはだかで蝉よとんぼよ
・夕立つや蝉のなきしきる
夕立つや逃げまどふ蝶が草のなか
[#ここで字下げ終わり]
七月十八日[#「七月十八日」に二重傍線]
朝ぐもり、蝉しぐれ、身心なごやかなり。
胡瓜の味噌煮、茄子の浅漬うまし。
緑平老から涙ぐましいほど温かい手紙がくる、さつそくビール代や新聞代の借銭を払ふ、荷が軽くなつて吻とする。
入浴、身心のび/\とする。
夕立が沛然とやつてきた、よい雨だつた、よろこんだのは草木ばかりぢやない、虫も人もよろこんだ。
夕方、樹明君が御馳走を持つてきた、酒と鑵詰と、――たのしく飲んで、酔うて、寝てしまう。
[#ここから2字下げ]
・朝風のいちばん大きい胡瓜をもぐ
・肥をやる菜葉そよ/\そよぐなり
・朝はすゞしく菜葉くふ虫もつるんで
・朝の水はつらつとしていもりの子がおよいでゐる
・日ざかり黄ろい蝶
・山のあなたへお日様見送つて御飯にする
・寝るには早すぎるかすかにかなかな
・夕凪あまりにしづかなり豚のうめくさへ
・遠くから街あかりの、ねむくなつてねる
[#ここで字下げ終わり]
七月十九日[#「七月十九日」に二重傍線]
酒はよいかな、とてもよい眠りだつた、そしてよい眼覚めだつた。
兎肉とキヤベツと玉葱と胡瓜。
△犬ころ草がやたらにはびこる、その穂花が犬ころのやうな感じで好きな草だ、其中庵の三雑草として、冬から春はぺん/\草[#「ぺん/\草」に傍点]、春から夏は犬ころ草[#「犬ころ草」に傍点]、秋はお彼岸花[#「お彼岸花」に傍点]をあげなければなるまい、そのほかに、草苺、青萱、車前草、蒲公英。
毎日、茄子胡瓜でもあるまいから、そしてちやうど駄目になる燠があつたから、これでをはりの蕗を採つて来て佃煮にした、蕗のほろにがさには日本的老心[#「日本的老心」に傍点]といつたやうな味がある。
[#ここから2字下げ]
・朝風の青草食みつつ馬は尾をふる
・日影ゆるゝは藪ふかく人のゐて
・炎天の機械がうごく人がうごく(アスフアルトプラント)
□
ひらいてゆれてゐる鬼百合のほこり
・朝からはだかで雑草の花
糸瓜さいて垣からのぞく
殺された蚊でぞんぶんに血を吸うた蚊で
・風が吹きとほすまへもうしろも青葉
[#ここで字下げ終わり]
七月廿日[#「七月廿日」に二重傍線] 土用入。
快い朝明けだつたが、洋燈のホヤをこわして不快になつた、ホヤそのものはヒビがはいつてゐたぐらいだからちつとも惜しくはないけれども、それをこわすやうな自分を好かないのである、もつとくはしくいへば、こわす意志なくして物をこわすやうな、不注意な、落着のない心持が嫌なのである。
夏草にまじつて、こゝそこに咲きみだれてゐる鬼百合はまつたく炎天の花[#「炎天の花」に傍点]といひたい矜持をかゞやかしてゐる。
露草がぽつちりと咲いてゐる、これはまたしほらしい。
晩飯はうどんですました、澄太さんのおみやげ。
ヒビのいつたホヤだつたけれどこわれて困つた、新らしいホヤを買ふ銭がない、詮方なしに今夜は燈火なしで闇中思索だつた!
何とつゝましい私の近来の生活だらう。
夜が明けて起き、日が暮れて寝る、朝食六時、十二時昼食、夕食六時、すべてが正確で平静である。
[#ここから1字下げ]
※[#丸中黒、1−3−26]酒に関する覚書(一)
酒は目的意識的に飲んではならない、酔は自然
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング