発生的でなければならない。
酔ふことは飲むことの結果であるが、いひかへれば、飲むことは酔ふことの源[#「源」に「マヽ」の注記]因であるが、酔ふことが飲むことの目的であつてはならない。
何物をも酒に代へて悔いることのない人が酒徒[#「酒徒」に傍点]である。
求むるところなくして酒に遊ぶ、これを酒仙[#「酒仙」に傍点]といふ。
悠然として山を観る、悠然として酒を味ふ、悠然として生死を明らめるのである。
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七月廿一日[#「七月廿一日」に二重傍線]
早く眼はさめたけれど、あたりが明るくなつてから起きた、燈火がないのだから、くらがりでは御飯の仕度も出来ないといふ訳で。
朝ぐもり、日中はさぞ暑からう。
此頃は夜よりも昼を、ことに朝が好きになつた。
郵便を待つ、新聞を待つ、それから、誰か来さうなものだと待つ、樹明君はたしかに今晩来るだらうと待つてゐる。
郵便局へ出かけたついでに、冬村君の仕事場に立ち寄る、君はもう快くなつて金網機をセツセと織つてゐる、よかつた/\。
とかげの木のぼりを初めて見た、蟻の敏活にさらに驚かされた、黒蜂(? 蜂蠅といつてもよからう)はまことにうるさい。
ひとりこそ/\茄子を焼く、ほころびを縫ふ糸がなかなか針の穴に通らない、――人の知らない老境だ。
青い風、涼しい風、吹きぬける風。
四時すぎ、案の如く樹明君がやつてきてくれた、そして驚くべき悲報をもたらした。――
緑石君の変死! 私は最初どうしても信じられなかつた、そして腹が立つてきた、そして悲痛のおもひがこみあげてきた。
緑石君はまだ見ぬ友[#「まだ見ぬ友」に傍点]のなかでは最も親しい最も好きな友であつた、一度来訪してもらふ約束もあつたし、一度徃訪する心組でもあつた。
それがすべて空になつてしまつた。
海に溺れて死んだ緑石、――私はいつまでもねむれなかつた。
樹明君とビールを飲みながら緑石君の事を話し合つた、どんなに惜しんでも惜しみきれない緑石君である、あゝ。
樹明君が帰つてから、ひとりでくらやみで、あれやこれやといつまでも考へてゐた、……寝苦しかつた。
人生は笑へない喜劇か、笑へる悲劇か、泣笑の悲喜劇であるやうだ。
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※[#丸中黒、1−3−26]酒に関する覚書(二)
酒中逍遙、時間を絶し空間を超える。
飲まずにはゐられない酒[#「飲まずにはゐられない酒」に傍点]はしば/\飲んではならない酒[#「飲んではならない酒」に傍点]であり、飲みたくない酒[#「飲みたくない酒」に傍点]でもある、飲まなければならない酒[#「飲まなければならない酒」に傍点]はよくない酒である。
飲みたい酒[#「飲みたい酒」に傍点]、それはわるくない。
味ふ酒[#「味ふ酒」に傍点]、よいかな、よいかな。
酒好き[#「酒好き」に傍点]と酒飲み[#「酒飲み」に傍点]との別をはつきりさせる要がある。
酒好きで、しかも酒飲みは不幸な幸福人だ[#「不幸な幸福人だ」に傍点]。
※[#丸中黒、1−3−26]酒に関する覚書(三)
酒は酒嚢に盛れ、酒盃は小さいほど可。
独酌三杯、天地洞然として天地なし。
さしつ、さされつ、お前が酔へば私が踊る。
酒屋へ三里、求める苦しみが与へられる歓び。
酒飲みは酒飲めよ、――酒好きに酒を与へよ。
飲むほどに酔ふ、それが酒を味ふ境涯である。
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・かどは食べものやで酒もある夾竹桃
・夜風ふけて笑ふ声を持つてくる
悼 緑石二句
波のうねりを影がおよぐよ
夜蝉がぢいと暗い空
追加数句
・日ざかりのながれで洗ふは旅のふんどし
・いろ/\の事が考へられる螢とぶ
・なんといつてもわたしはあなたが好きな螢《ホウタル》
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七月廿二日[#「七月廿二日」に二重傍線]
昼も暑く夜も暑かつた、今日も我儘ながら休養。
仕事をする人々――田草取り、行商人、等々――に対して、まことにすまないと思ふ。
朝、手紙を二通書いて出す、一つは句稿を封入して白船老へ、一つは緑石君の遺族へお悔状。
途上、運よく出逢つた屑屋さんを引張つてきて新聞紙を売る、代金弐十弐銭也、さつそく買物をする、――ホヤ八銭、タバコ六銭、シヨウチユウ四銭、そして入浴して、まだ一銭余つてゐる!
南無新聞紙菩薩、帰命頂礼。
けふも漬茄子、やつぱりうまい、青紫蘇の香は何ともいへない。
夜は寝苦しかつた。
盆踊の稽古らしい音がきこえる、それは農村のヂ[#「ヂ」に「マヽ」の注記]ヤズだ、老弱男女、みんないつしよに踊れ、踊れ。
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・炎天の水のまう蛇のうね/\ひかる
炎天の下にして悶えつゝ死ぬる蛇
・伸びて蔓草のとりつくものがない炎天
晴れわたり青いひかりのとんぼとあるく
いちにち黒蜂が羽ばたく音にとぢこもる
すこし白んできた空から青柿
青葉ふみわけてきてこの水のいろ
・蚊帳をふきまくる風の暮れると観てゐる
・すつかり暮れた障子をしめて寝る
・よるの青葉をぬけてきこえる声はジヤズ
・きりぎりすも更けたらしい風が出た
・なんぼたゝいてもあけてやらないぞ灯取虫
・落ちたは柿か寝苦しい夜や
・死ぬる声の蝉の夜風が吹きだした
・あちらで鳴くよりこちらでも鳴く夜の雨蛙
□
・空のふかさは木が茂り蜘蛛の網張るゆふべ
・とんぼつるんで風のある空
追加
・あの山こえて雷鳴が私もこえる
[#ここで字下げ終わり]
七月廿三日[#「七月廿三日」に二重傍線]
昨夜も寝苦しかつた、それは暑いためばかりではなかつた。
せつかくよう出来てゐた茄子に虫がついて、しだいに弱つてきた、どんな手当をしてよいか解らないので、灰をふりかけてやつた。
味噌も醤油もなくなつてしまつた、むろん銭はない、今日は蕗、紫蘇、らつきよう、梅干、唐辛、[#「辛、」に「マヽ」の注記]焼塩、――そんなものばかり食べた、何といつてもまだ米があるから、そして塩だけはあるから有難い、飯ばかりの飯[#「飯ばかりの飯」に傍点]、いや空気[#「空気」に傍点]を食べてさへすましたこともあるのだから。
もろ/\の虫、いろ/\の草、さても其中庵はにぎやかである。
禅海さんからハガキが来たが、私製ハガキの規定通りになつてゐないものだから、不足税を三銭徴収された、やつと五厘銅貨で納めたが。
くもり、ばら/\雨、トマトのい[#「い」に「マヽ」の注記]つくしい色を食べる(じつさいうれたトマトの肌はうつくしい)。
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・糸瓜やうやく花つけてくれた朝ぐもり
をのれにひそむや藪蚊にくんだりあはれんだりして
・蝉時雨もう枯れる草がある
・昼しづかな焼茄子も焼けたにほひ
・けふまでは生きてきたへそをなでつつ
・はひまはつた虫は見つけた穴にはいつた
・へちまよ空へのぼらうとする
[#ここで字下げ終わり]
七月廿四日[#「七月廿四日」に二重傍線]
ようねむれた、行乞すべく早う起きたが、ばら/\降つて風模様なので見合せる。
一円ばかり欲しいな、と思ふと同時に、蝉の声はよいな、とも思ふ。
天地うるほひあり、といつたやうな感じ。
自然荘厳[#「自然荘厳」に傍点]――自然浄土[#「自然浄土」に傍点]である。
△梅干のうまさよ、ありがたさよ。
いつもは雀が稀なのに(雀の緑平老に不平をおこさせたほど)今日はたくさん雀がきてゐる、十羽、二十羽、三十羽、まさか風がふくからでもなからう。
午後、樹明君来庵、魚と焼酎とをおごつてくれる、ツマは畑から、トマト、胡瓜、蓮芋、紫蘇、とても豊富である、そして飯の代りとしてウドン、たらふく飲んで食べて酔ふた、あぶない/\。
風が強い、吹きとばされさうだつた、樹明君を途中まで送つて、それから局まで行つてハガキを投凾、そしてフラ/\しながら戻る、戻つて茶を沸かし飯を食べる、なか/\酔が醒めない、ハダカで寝る、アブラムシに笑はれた。
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・郵便屋さんはがきと蠅とをいていつた
・うまくのがれた蠅めが花にとまつてゐる
・風ふく身のまはりおほぜい雀がきてあそぶ
・どちらへあるいてもいぬころぐさの花
・いぬころぐさいぬころぐさと風ふく
・ほろりとひかつて草の露
・風の風車の水車水をくみあげる
・風のなかおとしたものをさがしてゐる
・風のなか買へるだけの酒買うてきた
[#ここで字下げ終わり]
七月廿五日[#「七月廿五日」に二重傍線]
すてきに早起して、佐波川沿岸地方を行乞すべく、湯田まで出かけたが、とう/\降りだしたので、そして止みさうもないので、残念ながら引き返した(それでも一時間あまり途中行乞することは忘れなかつた、それほど事情が切迫してゐたからでもあるし、また、それほど乞食根性に慣らされてゐるからでもある、といつてよからう!)。
よい雨、明るい雨であつた(方々で雨乞をやつてゐたくらゐだから)、まことに慈雨であり喜雨であつた。
また何か事件があつたと見えて、今朝は柳井津橋のほとりで張込の刑事に誰何された、若い、人のよい刑事だつた、私が「二三日行脚してこうと思ふのです」といつたら、「それはよい、おいでなさい」とほがらかにいつてくれた。
合羽をきたので暑かつた、この合羽もずゐぶん古いものだ。
新国道の空をもう精霊蜻蛉が飛びまはつてゐた。
[#ここから1字下げ]
今日の所得
米 六合 銭 九銭 外に句、十三。
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帰庵したのは一時すぎ、法衣をぬぐなり、水をくんで飯を炊く、ひとりもののノンキないそがしさ[#「ひとりもののノンキないそがしさ」に傍点]である。
△童心[#「童心」に傍点]――句心[#「句心」に傍点]――老心[#「老心」に傍点]といふことについて考へる。
山のしづけさ、山のさびしさ。
蝉のうれしさ、蚋のにくさ、ことに血に飢えた藪蚊は。
よい事ばかりはない、よい事をよくない事がうらづける、それが浮世といふものだ。
昼蚊帳を吊つて休養した、あんまり年寄くさいけれど。
あたりまへの事[#「あたりまへの事」に傍点]が好きになつた、平凡のうちに見出される味が本当のものだと思ふ、昔は二二ヶ四でないことを祈つたが、今は二二ヶ四であることを願ふ。
[#ここから2字下げ]
・けふも暑からう蓮の花咲ききつた
・ここも空家で糸瓜の花か
・風が落ちて雨となつた茄子や胡瓜や
・夕立晴れた道はアスフアルトの澄んだ空
・大橋小橋も新らしい国道一直線
・やつぱりお留守でのうせんかづら
青柳おしわけいたゞくや一銭銅貨
・しんじつよい雨がふるいちじくの実も
・よい雨の、草や小供やみんな濡れ
・雑草のよろこびの雨にぬれてゆく
・死ねない杖の二本があちこち
・はたらいてきて水のむ
・蘇鉄の芽も昔ながらの家である
・自動車が通つてしまへば群とんぼ
・むしあつい雨だれの虫がはうてでる
・血がほとばしる、わたしのうつくしい血
・草から追はれて雨のてふてふどこへゆく
・雨が洗つていつたトマトちぎつては食べ
・いつも見て通る夾竹桃のなんぼでも咲いて
・せつせと田草とる大きな睾丸
・けふも夕立てる花のうたれざま
・ぬれてなく蝉よもう晴れる
・向日葵や日ざかりの機械休ませてある(追加)
[#ここで字下げ終わり]
七月廿六日[#「七月廿六日」に二重傍線]
昨夜はずゐぶん降つた、今日も時々降つた、これで水も十分だらう、草にも人にも喜色が見える。
天候も定らないし、法衣も乾かないので休養読書。
トマトを食べる、トマトのうまさがすこし解つたやうに思ふ。
何となく倦怠を覚える(そのくせ食慾はちつとも減じないどころか、ありすぎるほどある、五合の飯をペロリと平らげる)、入浴したら、だいぶ気持がすが/\しくなつた(湯銭が五厘不足とは笑はせる)。
向日葵が咲いてゐる、驕れる姿だ、どことなく成金臭があるけれど嫌いではない。
△酒と句[#「酒と句」に傍点]、この二つは私を今日まで生かしてくれたものである、若し酒がなかつたならば私はすでに自殺してしまつたであらう、そして若し句がなかつたならば、たとへ自殺しなかつても、私は痴呆となつてゐたで
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