酒難[#「酒難」に傍点]は知りぬいてゐる。
今朝、それこそほろりと歯がぬけた、ぬけさうでぬけなかつた歯が。
敬治君が睡眠の足つた上機嫌で県庁へ出張する、私はひとりしづかに読書、『唯物辨證本[#「本」に「マヽ」の注記]読本』
裏山で自殺者が見つかつたといふ、もう腐つて骨になつてゐたさうだが、情死[#「情死」に傍点]だといふ、どこの男か、どんな女か、――それは話題でなくて問題だ[#「話題でなくて問題だ」に傍点]。
たま/\人がきた、それは掛取だつた! 皮肉といへば皮肉である。
蟷螂《カマキリ》の子は可愛い、油虫の子には好感が持てない。
客車便で小さい荷物が来た、森さんからの贈物、桑名の名物、時雨蛤[#「時雨蛤」に傍点]である、ありがたい、うれしい、敬治君と共に味ふ、一杯やりたいな、桑名の殿さん[#「桑名の殿さん」に傍点]でもうたひたいな。
敬治君といつしよに入浴、帰途、米を買うて貰つた、焼酎を飲ませて貰つた、ほろ/\ほろ/\、ぐつすりと寝た。
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・草苺ほのかに朝の水がたゝへ(改作)
・青葉のむかういちはやくカフヱーの灯
 咲いてゐる花を見つけてきてゐるてふてふ
・草の葉の晴れててふてふ三つとなつて
・こゝまで機械がうなつてゐる梅雨空
・うらから仔蟹もはうてくる
   山の情死者を悼む四句
・青葉につゝまれてふたりで死んでゐる
 骨だけとなり梅雨晴るゝ山
 夏木立ふたりで死んで腐つてゐた
・夏山ひそかにも死んでいつたか南無阿弥陀仏
[#ここで字下げ終わり]
必然に、そして自然に、私は私の弟の死態を思ひうかべた。……

 七月一日[#「七月一日」に二重傍線]

今朝はまたずゐぶん早かつた、御飯ができお汁ができてもまだ夜が明けなかつた。
もう七月である、時間といふものは不可思議なものである。
敬治君に教へられて、大根の芽を噛み切る夜盗虫[#「夜盗虫」に傍点]なるものを退治してやつた。
夾竹桃は情熱の女だ、枇杷は野人だ(赤い夾竹桃と小粒の枇杷)、敬坊、うれしいなあ、しづかだなあ。
晴、曇、雨。
昨日、裏山で発見された死人は抱合心中だつたさうな、男が八十、女が四十、夫婦だか親子だか解らないさうだ、先月、小郡の木賃宿に泊つて、それから行方不明だつたさうである、とにかく八十の高齢にしてなほかつ縊死しなければならなかつた事情の深さを考へずにはゐられない、老の涙[#
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