行乞記
北九州行乞
種田山頭火
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【テキスト中に現れる記号について】
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)だん/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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六月三日[#「六月三日」に二重傍線] (北九州行乞)
一年ぶりに北九州を歩きまはるべく出立した、明けたばかりの天地はすが/\しかつた、靄のふかい空、それがだん/\晴れて雲のない空となつた、私は大股に歩調正しく歩いていつた。
嘉川を過ぎると峠になる、山色水声すべてがうつくしい、暑さも眠さも忘れて、心ゆくばかり自然を鑑賞しつゝ自己を忘却した。
十一時すぎて船木着、三時まで行乞、泊つて食べるだけの物資をめぐまれて、かしわやといふ安宿に泊つたが、申分のない宿だつた、おかずもよろしいし、御飯もたつぷりあつた、風呂もわいてゐたし水もよかつた、蒲団もきれいで相客までが好人物ぞろひだつた、これで、木賃料三十銭とは!
こゝろよく酔うて話がはづんだ。
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山ふところの花の白さに蜂がゐる
松風松蝉の合唱すゞし
こゝがすゞしい墓場に寝ころぶ
河の向岸は遊廓、家も女も
田園情趣ゆたか
・水をへだてゝをなごやの灯がまたゝきだした
をとこがをなごに螢とぶ水
今日の行乞所得
米 一升三合
銭 三十八銭
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落葉石[#「落葉石」に傍点]のおもひで(周陽時代)
六月四日[#「六月四日」に二重傍線]
昨夜は興に乗じて焼酎を飲みすぎたので胃の工合はよくないけれど、ぐつすりと眠れたので気分は軽い。
行程六里、厚狭行乞。
山に陽が落ちてから黎々火居へ落ちつく、心からの歓迎をうけた、ありがたかつた。
近来にないうまい酒うまい飯であつた。
ずゐぶんたくさん水を飲んだ。
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飲みすぎの胃袋が梅雨ちかい空
おべんとうひろげるまうへから陽がさす
・水もさつきのわいてあふれる
女房に死なれて子を負うて暑い旅
若竹がこまやかなかげをつくつてゐた
黎々火居二句
夜もふけた松があつて蘭の花
盛花がおちてゐるコクトオ詩抄
本日の所得
米 一升一合
銭 五十六銭
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フクロウはうたふ、ボロキテホウコウ!
六月五日[#「六月五日」に二重傍線]
朝、黎々火君と散歩する、長府は気品のある地である、さすがに士族町である、朝早く、または月の夜逍遙遊するにふさはしい、しづかで、しんみりしてゐて、おちついた気分になる。
覚苑寺、功山寺、忌宮、等々のあたりをそゞろあるきする、青葉若葉、水色水声、あざやかでなつかしい。
心づくしの御馳走を遠慮なくよばれる、ひきとめられるのをふりきつてお暇した。
行乞米を下さいといつてお布施を下さる、写真をとつてもらふ、端書、巻煙草、電車切符を頂戴する、――何から何までありがたい。
黎々火居は家も人もみんなよかつた。
今日は陰暦の端午、柏餅、笹巻餅を味つた、草餅のかをり、それは遠い少年のかをり、伝統日本のかをりだ。
長府から下関へ電車、門司へ船、そしてまた電車でまつしぐらに戸畑へ。
入雲洞居はなつかしい、入雲洞君の飾らない厚意が身にしみる、酒はもとよりいはずもがな。
食後、市街を漫歩する、戸畑市の輪郭だけは解つたから、明日は行乞しようと思ふ。
昨夜も今夜も絹夜具、私にはもつたいないけれど、わざとだまつて寝させていたゞく。
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朝の山が朝の水に
・松が三本、国分寺跡といふ芋畑
水音の山門をくゞる水音
汐風つよくボートが塗りかへられる
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六月六日[#「六月六日」に二重傍線]
病院出勤の入雲洞君といつしよに出発。
風雨が強くなつて行乞どころぢやない、一杯機嫌で八幡へ急いだ。
星城子居に星城子君はゐなかつた。――
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さくらの木ばかりあんたはゐない
[#ここで字下げ終わり]
幸雄さんを訪ねる、私の好きな青年俳人である、こゝでもまた父君母君が酒をすゝめられる。
同道して鏡子居を驚かす、鏡子君はオナゴヤの主人であるがおもしろい人である、酒、ビール、サイダー、蕎麦。……
同業者井上さんのところでまた御馳走になる、鯛のあらひは格別おいしかつた、こゝで星城子君にあへたのはうれしかつた。
鏡子、幸雄、星城子、私の四人連で、電車に乗つて支那料理屋へいつた、チヤンチユウ、サントウカとなつてしまつて、宿屋へ送りこまれた。
風、風、人、人、煙、煙――私には山村がよい、庵がよい、――そして酒、酒。
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押売の押売
これは鏡子君の話、君の門柱には、物貰、押売謝絶の札がうつてゐ[#「ゐ」に「マヽ」の注記]る、あれは或る日或る男がきて、無断でうちつけて、さて十銭ですといつたのださうな、――これこそ押売を排する押売だらう!
[#ここで字下げ終わり]
六月七日[#「六月七日」に二重傍線]
曇、終夜、障子がガタ/\鳴つてゐたことを覚えてゐる、あれだけ飲んでもこれだけ真面目だ、喜んでいゝかどうかはわからないが。
出勤前の星城子君来訪、幸雄さんはそれよりも早く見舞つてくれてゐる。
しみ/″\友情を感じる、道としての句作の力をひし/\感じる。
八幡は労働都市だけあつて、たべもの店が多くて安い、そこで私もサケとビールとシヨウチユウとのカクテルを飲んだ。
いそいで街を離れた、黒崎から左へ曲つてホツとした、人間的臭気の濃厚には堪へきれない私となつてゐた。
遠賀川の青草はよい、遊んでる牛もよい。
笠がやぶれた(緑平老の眼につくほど)。
香春岳は旅人の心をひきつける。
途中、木屋瀬を行乞する、五時前にはもう葉ざくらの緑平居に着いた。
月がボタ山のあなたからのぼつた、二人でしんみりと話しつゞける、葉ざくらがそよいでくれる。
彼の近状をこゝで聞き知つたのは意外だつた、彼が卒業して就職してゐるとはうれしい、幸あれ、――父でなくなつた父の情である。
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・青葉へ無智な顔をさらして女
ぽつきり折れてそよいでゐる竹で
・こゝから路は松風の一すぢ
養老院の松風のよろしさ
・ともかくも麦はうれてゐる地平
牛といつしよに寝て遊ぶ青い草
緑平居
葉ざくらとなつてまた逢つた
ひさ/″\逢つてさくらんぼ
・がつちりと花を葉を持つて泰山木
[#ここで字下げ終わり]
六月八日[#「六月八日」に二重傍線]
名残惜しい別れ、緑平老よ、あんたのあたゝかさはやがてわたしのあたゝかさとなつてゐる。
晴れて暑い、行程六里、身心不調、疲労困憊、やうやくにして行橋の糀屋といふ木賃宿に泊つたが、こゝもよい宿だつた。
アルコールの力を借りて、ぐつすりと睡ることができた、そのアルコールは緑平老のなさけ。
[#ここから2字下げ]
木屋瀬行乞
米弐合に銭弐拾銭
行橋行乞
米四合に銭四十七銭
[#ここで字下げ終わり]
六月九日[#「六月九日」に二重傍線]
朝のうち行橋行乞、行乞相は当然よくなかつた。
小倉までよい道連れ――中年の商人――を得て助かつた、行程五里。
惣参居はおだやかな家庭である、お嬢さんが三味線の稽古をしてゐた、此一事にも惣参居士の心ばえがしのばれる。
二人で湯屋へ行く、湯の空色が気に入つた。
いつものやうに酒を十分いたゞく、お布施もいたゞく、御馳走はなかつたが、温情があまつた。
泊れといはれたが、お断りして安宿に泊つた、三角屋といつて、相客が多くてうるさかつたが、悪い宿ではなかつた。
今夜は飲みすぎた、酔ひすぎた。
小倉はさすがに昔からの城下町だけあつて、とゝなうておちついてゐる。
[#ここから2字下げ]
・かげは楠の若葉で寝ころぶ
・橋の下のすゞしさやいつかねむつてゐた
わかれきて峠となればふりかへり
・風のてふてふのゆくへを見おくる
仲哀洞道
登りつめてトンネルの風
落穂ひろうては鮮人のをとこをなご
・こゝろむなしく旅の煤ふる
[#ここで字下げ終わり]
六月十日[#「六月十日」に二重傍線]
今日も暑い、とても行乞なんか出来ない、電車で門司へ、なつかしい海峡をしたしい下関へ渡る、いつもの岩国屋へ泊る、可もなく不可もないといふところ、遠慮のないのが何よりである。
よう寝られた。
六月十一日[#「六月十一日」に二重傍線]
すつかり夏景色夏心地だ、一刻も早く帰庵したい、そしてわがまゝ[#「わがまゝ」に傍点]きまゝなひとりになりたい。
長府まで電車、長府から小郡まで汽車、やれやれといふ気分だつた。……
八幡で四有三君、小城さん、下関で地橙孫君に逢へなかつたのは残念だつた。
――別事なし――出て歩いても、戻つて来てもこんな気がする。
――やつぱりひとりがよろしい――こんな句が出来る自分を再発見する。
――生死去来は生死去来に任す――どうやらこゝまで達したやうである。
[#改ページ]
六月十一日[#「六月十一日」に二重傍線] 入梅。
三時帰庵した、歩けば二日の行程を汽車は二時間で運んでくれた(こゝで改めて、近代文化のありがたさ、金銭のありがたさを痛感した)。
私はぐつたりと疲れてゐた、帰るなり寝た。
△雑草、雑草、雑草に埋れた気分に浸つて。
飲みすぎたからでもあらう、年のせいでもあらう、暑いためでもあらう、――とにかく私は労れてゐた、そして何はなくとも、私は私の寝床に戻つて、安心して寝たのである!
庵はよいかな、さみしいけれどしづかだ、まづしくてもやすらかである。
夕方樹明来、お土産の雲丹――それが最小の一罎であることを許してくれたまへ――をおかずにして御飯をあげる、それから出かける、君が意気投合したといふ、そして私をよく知つてゐるといふ、新任校長Kさんを訪ねる、生憎差支があつて話にも、むろん酒にもならない、そこでSカフヱーへ、酔うて窟へ。――
よくなかつた、小脱線だつたけれど、久振のワヤだつたけれど、やつぱりよくなかつた。
[#ここから2字下げ]
・ひさ/″\もどれば筍によき/\
[#ここで字下げ終わり]
六月十二日[#「六月十二日」に二重傍線]
朝寝した、樹明君が昨夜の動静を聞きに来た。
夾竹桃がもう咲いてゐる、南国の夏の花だ。
夜は庵で、私の酒をちよんびり飲んだ(樹明君といつしよに)、おだやかな酒だつた、さみしい酒だつた。
雷鳴、驟雨、梅雨らしい天候だつた。
六月十三日[#「六月十三日」に二重傍線]
晴、今年は誰もがいふやうにカラツユかも知れない。
畑の手入。
苦もなく句もない、ノンキな一日だつた。
筍、螢、蛙。……
樹明君は腰が痛くて来られないさうで、原稿紙をくれといふ使が来た、胡瓜苗も送つてくれた。
六月十四日[#「六月十四日」に二重傍線]
晴れたり曇つたり、私はゆつくり昼寝した。
六月十五日[#「六月十五日」に二重傍線]
晴、草取デー。
樹明来、酒と肴とをおごつてくれた。
ほとんど徹夜して身辺を整理した、気分がさつぱりした。
[#ここから2字下げ]
・たれかこいこい螢がとびます
さら/\青葉の明けてゆく風
・風は夜明けのランプまたたく
・こゝろすなほに御飯がふいた
埃まみれで芽ぶく色ともなつてゐる(改作)
[#ここで字下げ終わり]
六月十六日[#「六月十六日」に二重傍線]
昨夜の酒がこたえて胃が悪い。
行乞をやめて野菜の手入をする、樹明君が持つてきてくれた菊を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]したり、胡瓜の棚を拵らへたり。
[#ここから2字下げ]
・から梅雨の蟻の行列どこまでつづく
・朝風、胡瓜がしつかりつかんでゐる
番茶濃きにもおばあさんのおもかげ
・柿の花のぽとりとひとりで
・てふてふうらからおもてへひらひら
街が灯つた青葉を通して
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