遠く近く
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入浴して心気颯爽。
樹明君が胡瓜と着換とを持つて来庵、学校宿直を庵宿直にふりかへたといふ、飯がないから、といふよりも米がないから、F家へいつて五合借りる、醤油がないから酢だけで胡瓜なますをこしらへる、それでも二人でおいしく食べて、蚊帳の中でしんみり話した。
△新聞を配達して来ない、電燈料が払へなくて電燈をとりあげられたやうに、新聞代もたまつたので新聞もとりあげられたらしい、電燈の場合よりも、よりさみしい場合だ。
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改作二句
・月も水底に旅空がある
・まこと雨ふる筍のんびりと
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六月十六日[#「六月十六日」に二重傍線][#「六月十六日」はママ]
晴、ちつとも梅雨らしくない、梅雨は梅雨らしければよいのに。
宿直した樹明君が帰つて行く、私は湯田行乞に出かける。
百足、蛇、蜂、蛞蝓、蝶、蚊、虻、蟻、そして人間!
胡瓜、胡瓜、胡瓜だつた、うますぎる、やすすぎる!
朝の道はよい、上郷の踏切番小屋から乞ひはじめる、田植がなつかしく眺められる、それはすでに年中行事の一つとしての趣味をなくしてゐるが、やはり日本伝統的のゆかしさがないことはない。
△畦の草をしいて食べる田植辨当はうまからう、私もその割子飯[#「割子飯」に傍点]の御馳走になりたいな、土落し[#「土落し」に傍点]によんでくれるうちはないかな。
椹野川の瀬音、土手のさくらんぼ。
夕凪の浅瀬を泳ぐのは鮎か鮠か、負うた子にとつてやる月草のやさしい心。
十一時から二時まで行乞、行乞相はわるくなかつた。
戻つたのが五時過ぎ。――
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暑くるしい塵がたまつて出たときのまま
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だつた、破れた人生の、捨てられた姿だ。
飯は貰うて食べる、煙草は拾うて吸ふ、生きてゐるのでなくて生かされてゐるのである。
△自然的には生かされてゐる人間であるが、社会的には生きてゐなければならない、虫に生存[#「生存」に傍点]があつて人間に生活[#「生活」に傍点]がある所以だ。
△風の如く来り風の如く去る、水の如く雲の如く。
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今日の行乞所得
米 一升四合 銭 弐十七銭
今日の買物
一金四銭 たばこ 一金四銭 古雑誌
一金三銭 はがき 一金五銭 しようゆ
一金十銭 しようちゆう
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これで二三日は死なゝいですみます!
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山は青葉して招魂碑いよ/\白し
・水車ふむほどに太陽のぼるほどに
空が人が田植はじまつてゐる
・なんできたかよ蛇のすずしい眼
みんな留守で燕だけ
・兄がもげば妹がひらふさくらんぼ
□
・なにかそこらで燃えてゐる音の夕凪
ふくらうがよびかける声をきいてゐる
・青葉や青空や大きな胃袋を持つて歩く
・ひとりとなればひとりごと
・あれは竹の皮が落ちる夜の声
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六月十八日[#「六月十八日」に二重傍線]
晴、めづらしく小鳥が来て啼く、しづかな明け暮れ。
休養読書。
枇杷の実がつぶらに色づいてきた、Jさんの子供たちが来てよろこんでうまさうに、もいではたべる、たべてはもぐ。
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・ほつかり朝月のある風景がから[#「から」に傍点]梅雨
夕闇の筍ぽき/\ぬいていつたよ
旧作再録
ぢつとたんぽぽのちる
やつぱり一人がよろしい雑草
どうにもならない矛盾が炎天
線路まつすぐヤレコノドツコイシヨ
焼跡なにか咲いてゐる方へ
埃まみれで芽ぶいたか
送電塔が青葉ふかくも澄んだ空
やつと芽がでたこれこそ大根
すずめおどるやたんぽぽちるや
暮れてつかれてそらまめの花とな
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六月十九日[#「六月十九日」に二重傍線]
ずゐぶん早く起きた、暁天の蛙声はよかつた、ほつかりと朝月があつて空梅雨、何となくニヒリスチツクな風景。
行乞は気分がふさぐから止めにして庵中閑打坐。
すこし梅雨らしく曇つては見せるが、なか/\降つてくれない。
△食べる事[#「食べる事」に傍点]、そして寝る事[#「寝る事」に傍点]をのぞいて、他に何事が私に残つてゐるか!
Jさんが唐辛を持つてきてくれた、何よりの贈物だ。
一杯やりたい慾望、性慾のなくなつた安静。
私の生活もいよ/\単純、簡素、枯淡になつた、これで追想や空想や妄想がなくなると申分ないのだが。
蚯蚓のやうに、土のやすけさを味へ。
野菜に水をやる、雨――自然の偉大を考へさせられる、今更のやうに。
夜、樹明君が袖に螢を一匹つけて来た、どうしても来ずにはゐられないから来たといふ、何といふうれしい言葉だらう。
きりぎりすが鳴きはじめた。
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・朝露しとゞ、行きたい方へ行く
・これでもわたしの胡瓜としそよいでゐる
・菜も草も朝はよいかなそよいでゐる
・窓へ筍伸びきつた
・蜂がとんぼが通りぬけるわたしは閑打坐
どうやら雨となりさうな蛙のコーラス
青葉まぶしく掌をひらく
飯の煮えてきた音のしづけさで
・夕あかりの枇杷の実のうれて鈴なり
・酒がほしいゆふべのさみだれてくれ
・何やらたたく音の暮れがてに
・夜ふけて落ちる木の葉の声は柿の葉
・夜明けの月があるきりぎりす
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六月廿日[#「六月廿日」に二重傍線]
早すぎるほど早く起きて仕度をした、すつかり片づけて、伊佐地方を行乞すべく出かけた、五時頃だつたらう。
裏山の狐が久しぶりに鳴くのを聞いた。
六月廿日[#「六月廿日」に二重傍線]
行乞記
六月廿一日[#「六月廿一日」に二重傍線]
底本:「山頭火全集 第五巻」春陽堂書店
1986(昭和61)年11月30日第1刷発行
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2009年1月15日作成
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