行乞記
室積行乞
種田山頭火

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)半熟飯《ナカゴメ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いよ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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  一鉢千家飯
          山頭火
□春風の鉢の子一つ
□秋風の鉄鉢を持つ

雲の如く行き
水の如く歩み
風の如く去る
          一切空
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 五月十三日[#「五月十三日」に二重傍線] (室積行乞)

まだ明けないけれど起きる、まづ日暦を今日の一枚めくり捨てゝから空模様を見る、有明月の明るさが好晴を保證してゐる。
今日はいよ/\行乞の旅へ旅立つ日だ。
いろんな事に手間取つて出かけるとき六時のサイレン。
汽車賃が足らないから、幸にして、或は不幸にして歩く外ない。
長沢の池はよかつた、松並木もよかつた。
大道――プチブル生活のみじめさをおもひだす。
それから、――それから二十年経過!
佐波川の瀬もかはつてゐた。
若葉がくれの伯母の家、病める伯母を見舞ふことも出来ない甥は呪はれてあれ。
私を見つめてゐた子供が溝に落ちた、あぶない。
暑い風景である。
おもひでははてしなくつゞく。
宮市……うぶすなのお天神様!
肖像画家S夫妻に出くわした、此節は懐工合よろしいらしく、セル、紋付、そして人絹!
富海で、久しぶりに海のよさをきく[#「きく」に傍点]。
大道、宮市、富海――あれこれとおもひでは切れないテープのやうだよ。
お宮の松風の中で昼食、一杯やりたいな。
転身の一路がほしい。
富海行乞、戸田行乞、二時間あまり。
さりとは、さりとは、行乞はつらいね!
S君の家はとりこぼたれてゐた、S君よ、なげくな、しつかりやつてくれ。
自動車、それは乗客には、そして歩くものにはまさに外道車!
旧道はよろしいかな、山の色がうつくしくて、水がうまくて。
今、電話がかゝつてゐるから、行乞の声をやめてくれといふ家もあつた、笑止とはこれ。
一銭から一銭、一握の米から一握の米。
暮れて徳山へついた。
徳山は伸びゆく街だ。
白船居では例のごとし、酒、飯、そしてまた酒。
雑草句会に雑草のハツラツ味がないのはさみしかつた、若人、女性を見分したのは白船老のおかげ、感謝、感謝。
白船居の夢はおだやかだ、おだやかでなければならない。
白船老いたり、たしかに老いたり。
けふいちにちはあるきつゞけた、十里強。
行乞はつらいね。
可愛い子には遍路をさせろ。
行乞は他を知り同時に自を知る。
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 月見草もおもひでの花をひらき
・春まつりの、赤いゆもじで乳母車押してきた
・春もゆくふるさとの街を通りぬける
・はぎとる芝生が春の草
・かきつばた咲かしてながれる水のあふれる
 五月晴、お地蔵さんの首があたらしい
 松蝉があたまのうへで波音をまへ
 たちよればしづくする若葉
・夏山のトンネルからなんとながいながい汽車
・踏切も三角畑の花ざかり
・竹の子みんな竹にして住んでゐる
 はるかに墓が見える椎の若葉も
・松並木ゆくほどに朝の太陽
・こゝでやすまう月草ひらいてゐる(大道)
・音もなつかしいながれをわたる(佐波川)
・ふるさとの山はかすんでかさなつて(宮市)
・水にそうてふるさとをはなれた
・誰もゐない蕗の葉になつてゐる
・線路がひかるヤレコノドツコイシヨ
・春はゆく鉢の子持つてどこまでも
・こゝは水の澄むところ藤の咲くところ
・埃まみれで芽ぶいてゐる
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 五月十四日[#「五月十四日」に二重傍線]

とろ/\まどろんですぐ起きた、そして街から浜を歩いた。
晴は晴だが、時々曇、雨が近いことはたしかだ。
朝から酒、朝酒はうまいこともうまいがこたへることもこたへる。
漣月老を久しぶりに訪ねて、勢のよい君を祝し喜んだ。
九時近くなつて出立、櫛ヶ浜行乞、それから下松、虹ヶ浜、そして室積――六里の道が六十里にも感じられた、何しろ過飲と不眠とのために、さすがの私も今日ばかりは弱つてしまつた。
米はあまり重いから、途中の安宿に預けたが、それだけでも大に助かつた。
室積は普賢市なので、帰る人がぞろ/\ぞろ/\、その場を自動車、自動車、自動車、何もかも埃まみれだ。
多少脚気の気味がある、旅で死んでは困る、私は困らないけれど、周囲の人々が困るから。
暮れるまゝに、やつとせい二居に着いた、学校まで行かないうちに、或る人に偶然教へられて尋ねあてたのはよかつた。
熱い風呂にはいつてさつぱりした、それから酒となつたのは自然で当然で必然だ、おそくまで、酒、鮹、酒、鮹。
やはらかな寝床、やすらかな睡眠。
せい二さんに尊敬と感謝とをさゝげる。
今日は一句もなかつた、昨日数十句あつた反動かも知れない、あるも本当、ないも本当だ。
とにかくこゝろよく酔へてぐつすり眠れた。
こゝから××まで何里ありませうかと訊ねたら、
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おぢいさんは、三里近い
おばあさんは、一里半あまり
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と教へてくれたが、おぢいさんは全然落第、おばあさんはまさに及第だつた、まあ二里位といふところであつたが。
道程を訊ねると、その教へ方によつてその人の智能性情がよく解る、それはメンタルテストといつてもよいほどに。
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  今日の行乞所得
米  一升四合
銭  九銭也
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 五月十五日[#「五月十五日」に二重傍線]

曇、とう/\雨になつた、半月ぶりの雨だらう、室積の人々には、せつかくの最後の書入日が駄目になつて気の毒だが、天を怨む訳もない。
私はこゝへきてゐてよかつた、安心して今日が暮らせる!
普賢様へ詣でる、女子師範校を通りぬけて大師堂へ詣でる。
皷ヶ浦はおだやかに千鳥が啼いてゐた。
学校はひつそりと風景をそなへてゐた。
えにしだの花がしづかだ、月草がふさはしい。
買物客が右徃左徃してゐる、農具や植木や瀬戸物が多い、合羽、竹籠がよく売れる、私はたゞ見て歩いた、買ふ金もなく買ふ気もない。
明るい雨だ、私の心が明るいから。
行きあたりばつたり[#「行きあたりばつたり」に傍点]! さういふ旅が、といふよりも、さういふ生き方が私にはふさはしい。
昼食で酒四本、そして昼寝ぐつすり、何だかせい二さんの厚意に甘えてゐるやうで気が咎める。
五橋羊羮(岩国名物と自称する)を一きれ食べる、容器(竹製)も内容も日本的。
夕方から、サカモリがはじまる、M氏に好感を持つて飲み合つた、ほどよく酔うて安眠。
短冊と半切とを書きなぐつた、自分が、自分といふ人間の出来てゐないことを痛感する、かういふ場合にはいつもかういふ痛感があるのだが。
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 汐風の、すこしはなれてマブの花
・地べたべつとりと浜朝顔の強い風
・やけあと何やら咲いてゐる
・わがまゝきまゝな旅の雨にはぬれてゆく
・松のなか墓もありて
・つかれた顔を汐風にならべて曲馬団の女ら
 やたらにとりちらかしてお祭の雨となつた
 雨となつた枇杷の実の青い汐風
・山しづかにしてあそぶをんな
 つたうてきては電線の雨しづくしては
 警察署の木の実のうれてくる
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 五月十六日[#「五月十六日」に二重傍線]

まだ降つてゐる、残酒残肴を飲んで食べる、うまい/\、そしてM氏のために悪筆を揮ふ。
朝酒は身心にしみわたる、酔うて別れる、誠二さんはすでに出勤、書置を残して、そして周東美人[#「周東美人」に傍点]を連れて!
宿の奥さん、仕出屋の内儀さんの深切に厚くお礼を申上げる。
雨、雨、雨、ふる、ふる、ふる、その中を歩く、持つてきた一本を喇叭飲みする、酔ひつぶれて動けなくなつた、松原に寝ころんでゐたら、通行人が心配して、どうかなさいましたかといふ、まことに恥晒しだつた。
工合よく、近くに安宿があつたのでころげこむ、宿銭がないから(酒と煙草とは貰つてきたのがありあまるほどあるけれど)、すまないと思ひつゝ、誠二さんへ手紙を書いて、近所の子供に持たせてやつた。
誠二さんの返事はありがたかつた、すまない/\、人々に酒と煙草とを御馳走する。
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・松風のみちがみちびいて大師堂
・夏めいた雨がそゝぐや木の実の青さや
 雨音のしたしさの酔うてくる
 これからどこをあるかう雨がふりだした
 ずんぶりぬれて青葉のわたし
  室積松原の宿
木賃料  三十銭
米五合  十一銭
   中ノ上といふところ、
   飯が少ない、
   すこしうるさい、
  今日の行乞所得
米  八合
銭  九銭
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 五月十七日[#「五月十七日」に二重傍線]

霧雨、ぼうとして海も山も見えない。
松原の宿[#「松原の宿」に傍点]といふ気分はよかつた。
早朝、合羽を着て出立、島田を経て呼坂へ、そして勝間へ、行程六里。
薊が咲きつゞいてゐた、要の若葉が美しかつた。
呼坂の附近を行乞壱時間。
旧友井生君を訪ねて旧情を温めた、十年振の再会、話しても話しても話しつきない、君のよさに触れてうれしかつた。
君の祖父君は風雅人だつたといふ、さすがに家構も庭園も調度も趣味的に整頓してゐる。
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・霧雨のしつとりと松も私も
 茨がもう咲いてゐる濁つた水
・ふつたりやんだりあざみのはなだらけ
・あやめあざやかな水をのまう
 なにがなしラヂオに雑音のまじるさへ
・晴れさうな水が湧いてゐる
・うごいて蓑虫だつたよ
 やうやく晴れてきた桐の花
・いちじくの葉かげがあるおべんたうを持つてゐる
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 五月十八日[#「五月十八日」に二重傍線]

雨、曇、そして晴。
昨夜はよい一夜だつた、ありがたい一夜だつた。
下松まで二里、五時間あまり行乞する。
妙見社参詣、溜池に重なりあつてゐる亀はあはれであつた、人間の利己的信仰の具象[#「人間の利己的信仰の具象」に傍点]である。
それから一里ばかり歩いて、先日、米を預けてをいた宿に泊る、村の宿[#「村の宿」に傍点]とでもいはうか、若葉につゝまれて水にのぞんでゐる、よい宿であつたが、同宿の酔漢がうるさかつた。
白蛇[#「白蛇」に傍点]――純白でなくて黄色を帯びてゐた――を見た、あまりよい気持はしなかつた。
同宿のお遍路さんの軽口のなかに、――
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水はいやお茶はにがいし
   酢醤油の外に飲みたいものがある
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その飲みたいものは、さて何でせう!
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 村の宿の印象
水のいろ、若葉のかげ
遍路の世間話、酔ひどれの口説
亭主の強さ、おかみさんの深切
空は晴れてゆく風のさわやか
 木賃料三十銭
 飯はたつぷり
 夕飯 刺身
    煮魚と菜葉
    おしたし
 朝飯 味噌汁
    おろし大根
    菜漬
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 五月十九日[#「五月十九日」に二重傍線]

早く起きて、そこらを歩く、田園の朝景色はよいかな、帰心が水の湧くやうにおこる。
徳山行乞、八時から二時まで。
今日の特種としては、下駄店の主人が間違つて、鉄鉢に入れた十銭白銅貨を返して喜ばせ、しまうたやの娘から五銭白銅貨を戴いて喜んだ事の二つであつた。
途上の買物、――
麦捍[#「捍」に「マヽ」の注記]帽子特価二十五銭、茶碗二個十銭。
帰途、白船居でコツプ酒をよばれる、白船君のよい人であるに間違はないが、奥さんもまたよい人であることに間違はない、だから白船居はいつも春風たいとうだ。
福川まで歩いて、それから汽車、徃路一日が帰途一時間だつた。
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  行乞所得
   米 一升四合
昨日
   銭 二十九銭
   米 二升
今日
   銭 五十五銭
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 五月十九日[#「五月十九日」に二重傍線]

帰庵したのが六時半、夕あかりに雑草がはびこ
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