つてゐるのに驚かされた、あやめが咲いてゐた、棗が若葉を出してゐた。
樹明君のニホヒ[#「ニホヒ」に傍線]は残つてゐたが、姿は見えなかつた(日暦が今日になつてゐたから来庵はタシカ[#「タシカ」に傍線]だ)。
塵がういてゐた、蜘蛛の囲が張りまはされてゐた、その他に別状なし、変化がないといふことはさみしくないことはない。
自分には自分の寝床がいちばんよろしい、ヤレ/\ヤレ/\といふ気持だ。
飯を炊いたら半熟! これはさみしい事実である。
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・さみしさ、半熟飯《ナカゴメ》となつたか
・たんぽゝちらんばかりへもどつてきた
・南天のしづくが蕗の葉の音
[#ここで字下げ終わり]
五月二十日[#「五月二十日」に二重傍線]
曇、晴れさうだ、ゆつくりと朝寝。
一週間のとりかたづけをする。
のんびりと食べたり、考へたり、寝たり、歩いたり。
買物に出て、俄雨に降りこめられた、焼酎一杯の贅沢。
樹明君に帰庵の挨拶をする、早速来庵、酒と下物とを持つて。
久しぶりの会飲、うれしかつた、送つて学校まで。
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晴れるより雲雀はうたふ道のなつかしや
・ぬれるだけぬれてゆくきんぽうげ
今日の買物
一、十五銭 石油三合
一、十五銭 焼酎一合五勺
一、十銭 若布百匁
一、八銭 醤油二合
一、八銭 赤味噌百匁
一、六銭 茹玉子二個
[#ここで字下げ終わり]
五月二十一日[#「五月二十一日」に二重傍線]
雨、ほどよい雨だつた。
昨日、樹明君が持つてきてくれた茄子苗を植ゑる。
今夜も樹明君は来てくれた、一杯やりたいな、しかし我慢する。
敬坊遂に来らず、失望々々。
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・若葉して遠く街がかくれた
[#ここで字下げ終わり]
五月二十二日[#「五月二十二日」に二重傍線]
曇、間もなく晴れた。
身辺整理がなか/\忙しい、掃除、洗濯、畑仕事。
茄子苗はうまくついたらしい、トマト苗――これは昨日樹明君が植ゑてくれた――も好結果らしい、畑を見まはり、山を眺め、雑草、若葉を賞することは、ほんとうにうれしいことだ。
柑橘の花の香がすこし強すぎて困る。
せつかく売りにきた爺さんから豆腐二丁買ふ、五厘銅貨でやつとこさ!
夕方ちよつと樹明来、落ちついた樹明を祝福する。
五月廿三日[#「五月廿三日」に二重傍線]
晴、今朝も寝過した、六時に近かつた。
腹工合が悪いので、行乞は止めにして、洗濯したり畑仕事をしたり、読書したり執筆したりして暮らした。
蕗の佃煮をこしらへる、私の好物である。
裏畑の麦を刈る音、梅をもぐ声、のどかである。
たしかにほとゝぎすが啼いた、若い調子で。
机の場所を変へる、もう蚊帳を吊らなければならなくなつたから、書斉[#「斉」に「マヽ」の注記]を表の四畳半から後の三畳へ移したのである。
アルコールなしの門外不出が三日つゞいた、努めてさうしたのではないが、しようことなしに、いや、おのづからさうなつたのだ。
[#ここから2字下げ]
窓へのぞいて柿の若葉よ
播いてゐるときほとゝぎす
・ほとゝぎすがなけば鴉も若葉のくもり
身のまはりかたづけてさみしいやうな
仲よく空から梅をもいでは食べ
・伸びぬいて筍の青空
・あてなくあるくや蛇のぬけがら
[#ここで字下げ終わり]
どうしても寝つかれないで、とう/\徹夜してしまつた。
井生君から貰つてきた改造と中央公論とを読んで、いろ/\の事を考へないではゐられなかつた、殊にその一つのもの[#「その一つのもの」に傍点]と転換時代[#「転換時代」に傍点]とはその熱力と意気とで私をうつた、私は今更のやうに私の生活について、存在の意義について考へた、今更どうなるものでもないけれど。――
私の句作には私だけの価値、私の生存には私だけの意味があることを私は信じてゐる、信じてはゐるが、同時に私は私といふ人間があまりにみすぼらしいことを恥ぢてゐる、――かういふ私をほんとうに理解してくれる友は誰か!
[#ここから2字下げ]
いつぞやの鉄鉢の句訂正
・霰、鉢の子の中の
冬村君新婚の祝句として
・青葉に青葉が二つのかげ
・竹の子の竹になつてならんでゐる
・空は皐月の、一人ではない
[#ここで字下げ終わり]
五月廿四日[#「五月廿四日」に二重傍線]
今朝も早いも遅いもなかつた、ちつとも眠れなかつたのだから。
老いて眠れない、老いて眼がよくない、――老境しみ/″\だ。
どうも私はクヨ/\しすぎる、ケチ/\しすぎる、ゆうようとして生きろ。
今日も行乞はダメ、新聞を隅から隅まで読む、やめてゐたのだけれど、T配達が好意を持つて、持つてきてくれるのである、とにかく新聞と現代生活とは一日も離れられない。
午後は果して雨となつた、しめやかな雨だ、たま/\発見した十銭白銅一つを持つて出かける、地下足袋を穿いて。
四日ぶりの外出、そして一浴一杯、いつでも湯はいゝな、酒はいゝな、だから、銭はほしいな!
[#ここから2字下げ]
朝が待ち遠い鳥の一声二声で
夜明けの水くめばそこら花のにほひ
・くもりおもたく蛙のなく
小鳥なくや、ひとりごといふ
ひさ/″\もどればやたらに虫が(追加)
・伸びるがまゝの雑草の春暮れんとす
・ひつそり暮れるよ蛙が鳴くよ
[#ここで字下げ終わり]
五月廿五日[#「五月廿五日」に二重傍線]
雨、あがりさうであがらなかつた。
行乞には出かけられない、もう物資が乏しくなつたのに。
あざみをあやめに活けかへる、『見かけはつらき鬼薊、さわれば露の一しづく』か。
裏の雑草の中から、小さい筍が一本、によこりと伸び出てゐた、すまないとは思つたが、煮て食べた、うまくはなかつたが新鮮を味つた。
小鼠の悪戯には困る、一枚しか持たない蒲団の綿をかぢつたり、三八九をかぢつたりする。……
蚊帳の用意は出来てゐたが、今夜から吊りはじめた、昨日は百足が顔を這ふのに驚ろいて眼が覚めた、山家は虫の多いのに閉口する。
今日はいちにち無為無言[#「無為無言」に傍点]だつた。
[#ここから2字下げ]
・あけたてもぎくしやくとふさいでゐる
・雀がころげる草から草へ
・によこりと筍こまかい雨ふる
・雨ふるあやめで手がとゞかない
・葉かげ黒い蝶
・ほきりとたんぽゝの折れてゐる花
・青葉の雨のしんかんと鐘鳴る
・壁に夜蜘蛛がぴつたりとうごかない
[#ここで字下げ終わり]
△酒についての覚書の一つ、――
うまい酒、酔ふ酒であらねばならない、にがい酒、酔はない酒であつてはならない。
五月廿六日[#「五月廿六日」に二重傍線]
曇、后晴れて風が出た、時々雨がふつた。
御飯を炊いてゐると、聞き覚える[#「る」に「マヽ」の注記]のある、そして誰とも思ひだせない声がする、出て見たら、意外にも義庵老師であつた、上京の帰途、立ち寄られたのである、いろ/\話してゐるうちに熊本がなつかしうなつた。
お茶もないし、何も差上げるものがないので、S店へ走つてビールと鑵詰と巻鮨とを借りて来て、朝御飯を食べて貰つた。
八時の汽車に間にあふやう、駅近くまで見送つていつた。
樹明君がやつてきて、冬村新婚宴はいよ/\今晩だといふ、うんと飲んで面白く騷がう。
もう米がなくなつたから、気はすゝまないけれど陶行乞、五時間ばかり歩きまはつた。
[#ここから2字下げ]
米 二升四合
銭 十七銭(外に樹明君が色紙代として二十銭喜捨)
[#ここで字下げ終わり]
今日の買物はよかつた。――
[#ここから2字下げ]
一金七銭 色紙二枚
一金六銭 焼酎五勺
一金十一銭 バツトとなでしこ
一金九銭 ハガキ六枚
一金三銭 草鞋一足
[#ここで字下げ終わり]
六時のサイレンをきいてから樹明居へ出かける、風呂に入れて貰つて、同道して冬村居へ、めでたし冬村君、冬村君御馳走でした、酔うてふらふらして戻つて、そのまゝごろりと寝てしまつた。
[#ここから3字下げ]
祝句
空はさつきの、一人ではない
青葉に青葉がふたつのかげ
[#ここで字下げ終わり]
端午が近づいた、笹の葉を活けて粽をの[#「の」に「マヽ」の注記]しのぶ。
馬刀貝を食べつゝ旦浦時代の追憶にふける。
五月廿七日[#「五月廿七日」に二重傍線]
海軍記念日、上々吉の天気、のんびりした一日だつた。
朝、不三生さんが蜊貝をどつさり持つてきてくれた、しばらく話してゐるところへ樹明君、昨夜の酔態を話しあふべく来庵。
私も昨夜の着物の泥を落すのに苦心した、やかましくいふ人がゐないやうに、やさしくしてくれる人もゐない。
神保さんがくる、豆腐屋さんがくる、今日は賑やかだつた。
物資缺乏、もう塩までなくなつてしまつた、明日はどうでも山口行乞をしなければなるまい。
[#ここから3字下げ]
青葉から電燈線へ蜘蛛の囲
大盃の梅の花を飲む(冬村新婚宴)
[#ここで字下げ終わり]
五月廿八日[#「五月廿八日」に二重傍線]
曇、……行乞は見合せる。……
旧暦の端午である、在来の年中行事は旧暦でないと、季節的に本当でない、したがつて、気分的にも気乗がしない。
朝から、神保さんがやつてきて茶摘みに精出してゐる。
朝は塩気なしですましたが、昼は前のF家から茶碗に一杯の醤油を借りて菜葉を煮る(神保さんが借りてきてくれた、多謝々々)。
昼御飯の仕度をしてゐるところへ、樹明君さうらうとしてやつてくる、酒はつゝしむべきかなと私を悲しませる、そして私をして学校の給仕を通して奥さんに嘘を吐かなければならないやうにした!
昼寝は悪くないけれど、今日の昼寝は長すぎた。
夕方また雨となつた。
寝て起きた樹明君がおとなしく――みすぼらしく帰つた、お互に共通の弱点を持つてゐるのだから、その切なさはよく解る、よく解るだけそれだけ、私自身に鞭つ意味に於て、君に苦言を呈せざるを得ない(伊東君に対しても同様だ)。
石油がなくなつたから、そして買ふことが出来ないから、暮れると直ぐ寝た、寝た方がよい、読むよりも、考へるよりも。
こゝ二三日、どういふものか句が出来ない、それもよからう。
五月廿九日[#「五月廿九日」に二重傍線]
曇つてはゐるけれど、今日はどうしても行乞しなければならない、ずゐぶん早く起きたが、あれこれ手間取つて、出かけたのは六時すぎだつた、九時から二時まで山口市街行乞、それからまた歩いて帰庵、徃きの三里は何でもなかつたけれど、帰りの三里は少々こたえた、幸にして焼酎といふ元気回復薬を飲んだけれど。――
ほんとうに久しぶりに草鞋を穿いた、草鞋でアスフアルトの新国道を歩みしめてゆく心持はよかつた。
山口で、ゆくりなく、川棚温泉で昨夏相識の坊さんに邂逅した、彼は俗坊主だけれど、憎めない人間だ。
帰庵して、胡瓜苗を植ゑ、唐辛苗を植ゑ、種生薑を植ゑ、月見草を植ゑた、イヤハヤ忙しい事。
そしてまた、街へ出かけた、今夜なくてはならない物を買ふために。
[#ここから2字下げ]
今日の行乞所得
銭 六十八銭
合計金九十弐銭
米 一升一合
今日の買物
種生薑 百匁七銭
一金十五銭
胡瓜苗六本五銭、唐辛苗七本三銭
一金十七銭 焼酎壱合五勺
一金八銭 石油二合
一金五銭 醤油一合
一金五銭 塩
一金四銭 なでしこ
一金九銭 ハガキ六枚
・月草を植ゑて一人
・鉢の子の米の白さよ
・注連を張られて巌も五月
・初夏や人は水飲み馬は草喰み
二句追加
・うごかない水へ咲けるは馬酔木の花で
・ゆく春の身のまはりいやな音ばかり
[#ここで字下げ終わり]
五月三十日[#「五月三十日」に二重傍線]
晴、けふも山口へ、十時前から二時過まで行乞、帰途、湯田温泉浴、蓮芋の苗を買うて戻る。
山口の山はさすがによろしい、ことに糸米あたりの山がよろしい、中学時代のおもひでがそこらに残つてゐた、後河原の葉桜もうれしかつた、よくそのあたりを歩いたものだ。
伊勢神楽がおどつてゐた、私と同様に時代錯誤的産物の一つだ、はかないをかしさ[#「はかないをかしさ」に傍点]を覚える。
たま/\鏡にうつつた顔
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