れのへちまがぶらり(留別)
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これは無論、私の作、次の句は玉泉老人から、
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道芝もうなだれてゐる今朝の露
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正さん(宿の次男坊)がいろ/\と心配してくれる(彼も酒好きの酒飲みだから)、私の立場なり心持なりが多少解るのだ、荷造りして駅まで持つて来てくれた、五十銭玉一つを煙草代として無理に握らせる、私としても川棚で好意を持つたのは彼と真道さんだけ。
午後二時四十七分、川棚温泉よ、左様なら!
川棚温泉のよいところも、わるいところも味はつた、川棚の人間が『狡猾な田舎者』であることも知つた。
山もよい、温泉もわるくないけれど、人間がいけない!
立つ鳥は跡を濁さないといふ、来た時よりも去る時がむつかしい(生れるよりも死ぬる方がむつかしいやうに)、幸にして、私は跡を濁さなかつたつもりだ、むしろ、来た時の濁りを澄ませて去つたやうだ。
T惣代を通して、地代として、金壱円だけ妙青寺へ寄附した(賃貸借地料としてはお互に困るから)。
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・ふるさとちかい空から煤ふる(再録)
□
この土《ツチ》のすゞしい風にうつりきて(小郡)
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小郡へ着いたのが七時前、樹明居へは遠慮して安宿に泊る、呂竹さんに頼んで樹明兄に私の来訪を知らせて貰ふ、樹明兄さつそ来[#「そ来」に「マヽ」の注記]て下さる、いつしよに冬村居の青年会へ行く、雑談しばらく、それからとう/\樹明居の厄介になつた。
八月廿八日 小郡町柳井田、武波憲治氏宅裏。
朝から二人で出かける、ちようど日曜日だつた、この離座敷を貸していたゞいた(こゝの主人が樹明兄の友人なので、私が庵居するまで、当分むりやりにをいてもらふのだ)。
駅で手荷物、宿で行乞道具、運送店で荷物、酒屋で酒、米屋で米。
さつそく引越して来て、鱸のあらひで一杯やる、樹明兄も愉快さうだが、私はよつぽど愉快だ。
夜、冬村君が梅干とらつきよう[#「らつきよう」に傍点]を持つて来て下さる、らつきようはよろしい。
一時頃まで話す、別れてから、また一時間ばかり歩く、どうしても寝つかれないのだ。
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・墓へ藷の蔓
・秋風のふるさと近うなつた
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八月廿九日
厄日前後らしい空模様である、風のために本[#「本」に「マヽ」の注記]まで動く、炊事、掃除、読書、なか/\忙しい。
諸方の知友へ通知端書を出す、三十幾つかあつて、ずゐぶん草臥れた。
入浴のついでに、市場でシユンギクとホウレンサウとを二把買つてきて、さつそく汁の実おひたしにして食べた、やつぱり菜食がよいと思ふ。
人のまこと[#「人のまこと」に傍点]、友のなさけ[#「友のなさけ」に傍点]――それを存分に味はひ味つた。
新居第一日は徹夜して朝月のある風景ではじまつた。
あせらずにゆう/\と生きてゆくこと。
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・いちぢくの実ややつとおちついた(再録、改作すべし)
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夜おそく、樹明兄来訪、友達と二人で。
いろ/\の友からいろ/\の品を頂戴した、樹明兄からは、米、醤油、魚、そして酒!
友におくつたハガキの一つ。――
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何事も因縁時節と観ずる外ありませんよ、私は急に川棚を去つて当地へ来ました。
庵居するには川棚と限りませんからね。
こゝで水のよいところに、文字通りの草庵[#「文字通りの草庵」に傍点]を結びませう、さうでもするより外はないから。
山が青く風が涼しい、落ちつけ、落ちつけ、落ちつきませう。
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いつとなく、なぜとなく(むろん無意識的に)だん/\ふるさとへちかづいてくるのは、ほんとうにふしぎだ。
野を歩いて、苅萱を折つて戻つた、いゝなあ。
どこにもトマトがある、たれもそれをたべてゐる、トマトのひろまり方、たべられ方は焼芋のそれを凌ぐかも知れない、いや、すでにもう凌いでゐるかも知れない。
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・風のトマト畑のあいびきで
やうやう妻になりトマトもいでゐる
□
虫がこんなに来ては死ぬる
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八月三十日
風が落ちておだやかな日和となつた、新居三日目の朝である、おさんどんと坊主と、そして俳人としてのカクテル。
今日もまた転居のハガキをかく(貧乏人には通信費が多すぎて困る、といつて通信をのぞいたら私の生活はあまりに殺風景だ)。
樹明兄から、午後一時庵にふさはしい家を見に行かう、との来信、一も二もなく承知いたしました。
大田の敬坊(坊は川棚温泉に於ける私を訪ねてくれた最初の、そして最後の友だつた)から、ありがたい手紙が来た、それに対して、さつそくこんな返事をだしてをいた。――
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……私もいよ/\新らしい最初の一歩(それは思想的には古臭い最後の一歩)を踏みだしますよ、酒から茶へ[#「酒から茶へ」に傍点]――草庵一風の茶味といつたやうな物へ――山を水を月を生きてゐるかぎりは観じ味はつて――とにもかくにも過去一切を清算します。……
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また買物、即ち、バケツ、ゴマイリ、ゴトク、ヒバシ、等、等、一人でも世帯は世帯、一世帯としてのあれやこれやが苦労する、それも誰ゆえ、みんな私自身ゆえ!
酒飲みに酒が飲めなくなり、放浪者が放浪をやめると、それはもう生命がなくなるのではあるまいか。
警戒せよ、石古祖《イシゴソ》(私に残された墓地)が近いぞ。
酒飲みは酒飲めよ、酒は甘露だ、涙でもなければ溜息でもない、さうだ、酒は酒だ、飲めば酔ふのだ。
樹明兄に連れられて、山麓の廃屋[#「山麓の廃屋」に傍点]を見るべく出かけた、夏草ぼう/\と伸びるだけ伸んでゐるところに、その家はあつた、気にいつた、何となく庵らしい草葺の破宅である、村では最も奥にある、これならば『其中庵』の標札をかけても不調和なところはない、殊に電燈装置があつたのは、あんまり都合がよすぎるよ。
帰途、冷たいビール弐本、巻鮨一皿、これだけで二人共満腹、それから水哉居を訪ねる(君は層雲派の初心晩学者として最も真面目で熱心だ)。
樹明兄の人柄が渾然として光を放つた、その光に私はおぼれて[#「おぼれて」に傍点]ゐるのではあるまいか。
其中庵、其中庵、其中庵はどこにある。
廃屋から蝙蝠がとびだした、私も彼のやうに、とびこみませう。
水哉居でよばれた酢章魚はほんとうにおいしかつた、このつぎは鰒だ。
ふけてから、ばら/\と雨の音。
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・稲妻する過去を清算しやうとする
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今夜は寝つかれさうだ、何といつても安眠第一である、そして強固な胃袋、いひかへれば、キヤンプをやるやうなもので、きたないほど本当だ。
八月三十一日
曇后晴。
四時半起床、朝食七時、勤行八時、読書九時、散歩十一時、それから、それから。――
裸体で後仕舞をしてゐたら、虫が胸にとまつた、何心なく手で押へたので、ちくりと螫された、蜂だつたのだ、さつそく、こゝの主人にアンモニヤを塗つて貰つたけれど、少々痛い。
駅まで出かけて、汽車の時間表をうつしてくる、途上で野菜を買ふ、葱一束二銭也(この葱はよくなかつた)。
川棚から小郡へきた時、私の荷物は三個だつた、着物と書物とで竹行李が一つ、蒲団と机とで菰包が一つ、外に何やら彼やらの手荷物一つである、ずゐぶん簡単な身軽だと思つてゐたのに、樹明兄は、私としてはそれでも荷物が多過ぎるといふ、さういへばさうもいはれる。
ざーつと夕立がきた、すべてのものがよろこんでうごく、川棚では此夏一度も夕立がなかつたが。
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・ひとりゐて蜂にさされた
雨の蛙のみんなとんでゐる
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午後、樹明さんが黒鯛持参で来訪(モチ、銘酒註文)、ゆつくり飲む、夕方、山口まで進出して周二居を驚かす、羨ましい家庭であつた、理解ある母堂に敬意を表しないではゐられなかつた。
それから――それからがいけなかつた、徹宵飲みつゞけた、飲みすぎ飲みすぎだ、過ぎたるは及ばざるにしかず、といふ事は酒の場合に於て最も真理だ、もう酒には懲りた、こんな酒を飲んでは樹明さんにすまないばかりでなく世間に対しても申訳ない、無論、私自身に対し、仏陀に対しては頭を石にぶつけるほどの罪業だ。
我昔所造諸惑[#「惑」に「マヽ」の注記]業、皆由無始貪瞋痴、従身口意之所生、一切我今皆懺悔、――ほんとうに懺悔せよ。
九月一日
朝の汽車でいつしよに戻る、そして河へ飛びこんで泳いだ、かうでもしなければ、身心のおきどころがないのだ、午後また泳いだ、六根清浄、六根清浄。
二百十日、大震災記念日、昨日の今日だ、つゝましく生活しよう。
今日も夕立がきた、降れ降れ、流せ流せ、洗へ洗へ、すべてを浄化せよ。
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・後悔の朝の水を泳ぎまはる
ちんぽこにも陽があたる夏草(或はまら[#「まら」に傍点]か)
□
・いやなおもひでのこぼれやすいはなだ(改作)
・朝月にこほろぎの声もととなうた
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とにかく、更生しなければ、私はとても生きてはゐられない、過去一切の董[#「董」に「マヽ」の注記]習を清算せずにはゐられなくなつた。
九月二日
おだやかな雨、ことに昨夜は熟睡したので、のび/\とした気分であつた。
四時に起きて五時に食べ六時には勤行もすました、この調子で其中庵生活は営まれなければならない。
発熱倦怠、身心が痛む、ぢつとしてゐると、ついうと/\とする、甘酸つぱいやうな、痛痒いやうな気分である、考へるでもなく考へないでもなく、生死の問題が去来する、……因縁時節はどうすることも出来ない、生死去来は生死去来だ、死ぬる時は死ぬる、助かる時は助かる。……
事実を活かす[#「事実を活かす」に傍点]、飛躍[#「飛躍」に傍点]よりも漸進[#「漸進」に傍点]、そして持続[#「持続」に傍点]。
快い苦しみ、苦しい快さ(今日一日の気分はかうだつた)。
夕方、樹明さんに招かれて、学校の宿直室で十一銭のお辨当をよばれる、特に鶏卵が二つ添へてある、飯盒を貰つて戻る、御飯蒸器では(飯釜を持たないから)どうも御飯の出来栄がよろしくないので。
ごろりと横になつて、襖の文字を読む、――一関越来二処三処、難関再来一関覚悟、――此家の主人が若うして不治の疾にとりつかれたとき書きつけたのださうな。
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いちじくの実や、やつとおちついた
・ゆふべは雨ふる蓮を掘る
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九月三日
今朝も早かつた、四大不調は不思議に快くなつた、昨夜、樹明さんからよばれたタマゴがきいたのかも知れない、何しろ、薬とか滋養物とかいふものがきゝすぎるほどきく肉体の持主だから。
夕立がきた、夕立を観ず[#「夕立を観ず」に傍点]、といつたやうな態度だつた。
午後、周二さん来訪、予期しないでもなかつた、間もなく敬治君も来訪、予期したやうに、そして樹明兄は間違なく来訪。
汽車辨当で飲んだ、冬村君もやつてきて、小郡に於ける最初の三八九会みたいだつた。
よい雨、よい酒、よい話、すべてがよかつた、しかし一人去り二人去り三人去つて、私はまた独りぼつちになつた、かういふ場合には私だつてやつぱり寂しい、いや人並以上に寂しいのだ、それをこらへて寝た、夢のよくなかつたのは当然である。
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・こばまれて去る石ころみちの暑いこと(川棚温泉留別二句の内)
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九月四日
雨、よう降りますね、風がないのは結構ですね。
午前は、樹明さん、敬治さん、冬村さんと四人連れで、其中庵の土地と家屋とを検分する、みんな喜ぶ、みんなの心がそのまゝ私の心に融け入る。……
午後はまた四人で飲む、そしてそれ/″\の方向へ別れた。
夕方から夕立がひどかつた、よかつた、痛快だつた。
さみしい葬式が通つた。
私はだん/\涙もろくなるやうだ(その癖、自分自身に対しては、より冷静になる)。
飯盒の飯はうまい、しかしこれは独
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