身のうまさだ。
故郷へ一歩近づくことは、やがて死へ一歩近づくことであると思ふ。
――孤独、――入浴、――どしや降り、雷鳴、――そして発熱――倦怠。
私はあまりに貪つた、たとへば食べすぎた(川棚では一日五合の飯だつた)、飲みすぎた(先日の山口行はどうだ)、そして友情を浴びすぎてゐる。……
かういふ安易な、英語でいふ easy−going な生き方は百年が一年にも値しない。
あの其中庵主として、ほんとうの、枯淡な生活に入りたい、枯淡の底からこん/\として湧く真実を詠じたい。
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いつも尿する木の実うれてきた
秋雨の枝をおろし道普請です
・雨ふるふるさとははだしであるく
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九月五日
曇、どうやらかうやら晴れさうである。
つゝましい、あまりにつゝましい一日であつた、釣竿かついで川へ行つたけれど。――
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けふは鮠二つ釣つて焼いて食べて
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彼から返事が来ないのが、やつぱり気にかゝる、こんなに執着を持つ私ではなかつたのに!
ふと見れば三日月があつた、それはあまりにはかないものではなかつたか。――
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・三日月よ逢ひたい人がある(彼女ぢやない、彼だ)
待つともなく三日月の窓あけてをく(彼のために)
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この窓は心の窓だ[#「心の窓だ」に傍点]、私自身の窓[#「私自身の窓」に傍点]だ。
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・三日月、遠いところをおもふ
・いつまで生きる三日月かよ
・三日月落ちた、寝るとしよう
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どうしても寝つかれない、いろ/\の事が考へられる、すこし熱が出てからだが痛い、また五位鷺が通る。
とぶ虫[#「とぶ虫」に傍点]からなく虫[#「なく虫」に傍点]のシーズンとなつた、虫の声は何ともいへない、それはひとりでぢつと聴き入るべきものだ。
味覚の秋[#「味覚の秋」に傍点]――春は視覚、夏は触覚、冬は聴覚のシーズンといへるやうに――早く松茸で一杯やりたいな。
先日は周二さんが果実一籠をお土産として下さつた、そしてみんなで頂戴した、私の食卓にデザートがあるとは珍らしかつた、といふ訳で。
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・木の実草の実みんなで食べる
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トマトからイチヂクへ、といへないこともなからう、どこの畠にもトマトがすがれてをり、そこにもこゝにもイチヂクが色づきつゝある。
九月六日
三時になるのを待つて起きた、暫時読書、それから飯を炊き汁を温める。……
気分がすぐれない、すぐれない筈だ、眠れないのだから。
昨日は誰も訪ねて来ず、誰をも訪ねて行かなかつた、今朝は樹明さんが出勤途上ひよつこり立ち寄られた、其中庵造作の打合せのためである、いつもかはらぬ温顔温情ありがたし、ありがたし。
夕立、入浴、そして鮠釣、今日は十五尾の獲物があつた、さつそく焼いて焼酎を傾けた、考へてみれば、人間ほど無慈悲で得手勝手なものはない、更にまた考へてみれば、朝の水で泳ぎ遊んでゐた魚が、昼にはもう殺されて私の腹中におさまつてゐる、無常とも何ともいひやうがない。
小郡には蓮田が多い、経済的に利益があるためであらうか、その広い青葉をうつ雨の音は快いものだ。
肌寒くなつた、掛蒲団なくては眠れなくなつた、これ私[#「れ私」に「マヽ」の注記]のやうな貧乏な孤独人はキタヱられるのである。
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晴れてよい日の種をまく土をまく
・子のないさみしさは今日も播いてゐる
・夕月に夕刊がきた
□
・まがつた風景そのなかをゆく(再録)
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夜は樹明、冬村の二兄来庵、話題は例によつて、其中庵乃至俳句の事、渋茶をがぶ/\飲むばかりお茶うけもなかつた。
今日うれしくも酒壺洞君から書留の手紙がきた、これで山頭火後援会も終つた訳だ(決算はまだであるが)、改めて、私は発起賛同の諸兄に感謝しなければならない、殊に緑平老の配慮、酒壺洞君の斡旋に対して。
九月七日
朝、天地清明[#「天地清明」に傍点]を感じた、いはゆる秋日和である、寒いほどの冷気だつた。
午前は郵便局まで出かけた、途中いろ/\の品物を買つた、今日に限つたことではないが、小郡の商人はサービスといふことを知らない、言葉は知つてゐようけれど、その意味を知らないといつても過言ではない、何といふ愛想の缺乏だらう、彼等は知人と他人とをあまりに明瞭に区別する、買物高の多少によつて挨拶も扱別も違ふ、等、等(私の接触した限りに於て、そして類推した限りに於て)。
前が酒屋で、隣が豆腐屋、これがこの家の位置だ、端唄のほとゝぎすとは何といふ相違だらう!
夕方の途上で泊客を見たら、何と綺麗だつたらう、新秋、二人相携へて箱根へゆく、――そして彼等の会話、――冷たいわねえ、いゝ時候ですわね――モチ、私の白日夢[#「白日夢」に傍点]の一片である、ハ、ハ、ハ。――
午後はまた魚釣に出かけた、一時間ほど、今日の獲物は本当の雑魚七尾(其内訳は鮠二、ドンコ二、ニゴヅ三、そしてドンコの一は川で洗ふ時ツルリと逃げた、何といふ幸運なドンコだつたらう)それをコリ/\焼(これは私だけの術語で、小魚を丹念に遠火で焼き、噛めばコリ/\音がするまで焼きあげるのである、ちつとも腥くない、それだけ味は劣るが)にして焼酎を一杯やつた、うまかつた、所謂、ほろ/\とろ/\の境[#「ほろ/\とろ/\の境」に傍点]である。
食後、夕べの散歩がてら樹明居へ推参、案の如く不在、一時間ばかり待つたが、待ちきれないで帰る、途中ヒヨツコリ樹明さんと逢ふ、樹明さんは私の所で私を待つてゐて、待ちきれないで帰つて来たのだといふ、二人が別々に二人を待つてゐたのだつた、これも人生の一興たるを失はない。
初めて樹明さんの労働姿を見た、初めて樹明さんの父君と話した、此父にして此子あり、此子にして此父あり、すつかり信服した、大人の風格[#「大人の風格」に傍点]があるとでもいはうか。
樹明さん再度来訪、何だか嬉しくて飲みはじめた、一時頃別れる、二人ともかなり酔うてゐた。
今日の午後は、樹明さんと冬村君とが、いよ/\例の廃屋を其中庵として活かすべく着手したとの事、草を刈り枝を伐り、そしてだん/\庵らしくなるのを発見したといふ、其中庵はもう実現[#「実現」に傍点]しつつあるのだつた、何といふ深切だらう、これが感泣せずにゐられるかい。
明日は私も出かけて手伝はう、其中庵は私の庵ぢやない[#「其中庵は私の庵ぢやない」に傍点]、みんなの庵だ[#「みんなの庵だ」に傍点]。
樹明さんからの贈物、――辛子漬用の長茄子、ニンヂンのまびき菜、酒と罐詰。
真昼の茶碗が砕けた、ほがらかな音だつた、真夜中の水がこぼれた、しめやかにひろがつた。……
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・汲みあげる水のぬくさも故郷こひしく
・枯れようとして朝顔の白さ二つ
石地蔵尊その下で釣る
・暮れてとんぼが米俵編んでゐるところ
・灯かげ月かげ芋の葉豆の葉(改作)
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一つ風景――親牛仔牛が、親牛はゆう/\と、仔牛はちよこ/\と新道を連れられて行く、老婆が通る、何心なく見ると、鼻がない、恐らくは街の女の成れの果だらう、鐘が鳴る、ぽか/\と秋の陽が照りだした、仰げばまさに秋空一碧となつてゐた。……
九月八日
酔中、炊いたり煮たり、飲んだり食べたりして、それを片付けて、そのまゝごろ寝したと見える、毛布一枚にすべてを任しきつた自分を見出した。
雨がをり/\ふるけれど、何となくほゝゑまれる日だ。
彼が変人[#「変人」に傍点]だつたといふことが彼を不幸にしたのである、彼が悪人[#「悪人」に傍点]又は畸人[#「畸人」に傍点]であつたならば、あゝまで不幸にはならなかつたらう(変人の多くは厭人[#「厭人」に傍点]だから)。
其中庵へ行つた、屋根の茸替中だつた[#「茸替中だつた」はママ]、見よ、其中庵はもう出来てゐるのだ、夏草も刈つてあつた、竹、黄橙、枇杷、密[#「密」に「マヽ」の注記]柑、柿、茶の木などが茂りふかく雨にしづもり立つてゐた。……
米はKさんが、塩はIさんがあげます、不自由はさせませんよといつて下さる、さて酒は。――
百舌鳥の最初の声をきいた、まだ秋のさけびにはなつてゐない。
辛子漬をするために、壺、鉢、塩などを買ふ、大根も買つた、久しぶりに大根おろしが食べられる。
塩は安い、野菜も安い、高いのは酒である。
こゝの人々――家主の方々、殊に隣家の主人――は畑作りが好きで、閑さへあれば土いぢりをしてゐる、見てゐて、いかにも幸福らしく、事実また幸福であるに違ひない、趣味即仕事といふよりも仕事即趣味だから一層好ましい。
けさ播いてゆふべ芽をふく野菜もある、昨日播いたのに明日でなければ芽ふかないのもあるといふ、しよつちゆう、畑をのぞいて土をいぢつて、もう生えた、まだ生えないとうれしがつてゐる、私までうれしくなる。
どうも枕がいけない、旅ではずゐぶん枕のために苦労した、枕のよしあし、といふよりもすききらひが私の一日、いや一生を支配するのである!
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・日照雨ぬれてあんたのところまで
ふつたりはれたり傘がさせてよろこぶ子
・鳴いてきてもう死んでゐる虫だ
□
・さみしうてみがく
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ひとりがさみしうなると、私はキツパチをみがいてゐる、だからキツパチのツヤ即ワタシのサミシサ[#「キツパチのツヤ即ワタシのサミシサ」に傍点]である。
いろんな虫がくる、今夜はこほろぎまでがやつてきて、にぎやかなことだつた。
九月九日
相かはらず降つてゐる、そしてとう/\大雨になつた、遠雷近雷、ピカリ、ガランと身体にひゞくほどだつた、多分、どこか近いところへ落ちたのだらう。
午後は霽れてきた、十丁ばかり出かけて入浴。
畑を作る楽しみは句を作るよろこびに似てゐる、それは、産む、育てる、よりよい方への精進である。
出家――漂泊――庵居――孤高自から持して、寂然として独死する――これも東洋的、そしてそれは日本人の落ちつく型(生活様式)の一つだ。
魚釣にいつたが一尾も釣れなかつた、彼岸花を初めて見た。
夕方、樹明兄から珍味到来、やがて兄自からも来訪、一升買つてきて飲む、雛鶏はうまかつた、うますぎた、大根、玉葱、茄子も、そして豆腐も。
生れて初めて、生《ナマ》の鶏肉(肌身)を食べた、初めて河豚を食べたときのやうな味だつた。
Comfortable life 結局帰するところはこゝにあるらしい。
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・起きるより土をいぢつてゐるはだか
ひとり住めば雑草など活けて
・こほろぎがわたしのたべるものをたべた
・くりやまで月かげのひとりで
・月の落ちる方へ見送る
・あさあけ、うごくものがうごくものへ
・蚯蚓が半分ちぎれてにげたよ
□
・水のながれの、ちつとも釣れない
水草さいてゐるなかへ釣針《ハリ》をいれる
[#ここで字下げ終わり]
九月十日
とう/\徹夜してしまつた、悪い癖だと思ふけれど、どうしてもやまない、おそらくは一生やまないだらう、ちようど飲酒癖のやうに。
こゝまで来たらもう仕方がない、行けるところまで行かう。
夜が明ける前の星はうつくしい、星はロマンチツクだ、星を眺めることを人間が忘れないかぎり、人生はうつくしい。
こほろぎがいろ/\の物をたべるには驚いた、胡瓜、茄子、さゝげ、大根、玉葱までたべてゐる、私のたべるものはこほろぎもたべる、彼等は私に対して一種の侵入者だつた!
過ぎたるは及ばざるに如かず――まつたくさうだ、朝もかしわ、昼もかしわ、晩もまたかしわだ、待人不来、我常独在、御馳走がありすぎた!
どうやらかうやらお天気らしい、風呂にいつて髯を剃り、財布をはたいて買物をした。
身辺に酒があると、私はどうも落ちつけない、その癖あまり飲みたくはないのに飲まずにはゐられないのである、旦浦で酒造をしてゐる時、或る酒好老人がいつたことを思ひだした、――ワシは燗徳に[#「徳に」に「マヽ」の
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