焦燥を示すものだつた、人生不如意は知りすぎるほど知つてゐる私であるが、感情的な私はともすれば猪突する、省みて恥ぢ入る外なかつた(造庵について)。
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・ラヂオがさわがしい炎天の花さいてゐて
・日ざかり、われとわがあたまを剃り
・星が光りすぎる雨が近いさうな
・どうしてもねむれない夜の爪をきる
・更けてさまよへばなくよきりぎりす
 殺された蚤が音たてた
・旅のこゝろもおちついてくる天の川まうへ
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今日は特種が一つあつた、私は生来初めて自分で自分の頭を剃つた、安全剃刀で案外うまくやれた、これも自浄行持の一つだらう。

 七月卅一日

いよ/\出かけた、五時一浴して麦飯を二三杯詰めこんで勢よく歩きだしたのである、もう蝉がないてゐる、法衣にとびついた蝉も一匹や二匹ではなかつた。
暑かつた、労れた、行程八里、厚狭町小松屋といふ安宿に泊る(三〇・中)、掃除が行き届いて、老婦も深切だが、キチヨウメンすぎて少々うるさい。
行乞相はよかつた、所得もわるくなかつた、埴生一時間、厚狭二時間、それだけの行乞で食べて飲んで寝て、ノンキに一日一夜生かさせていたゞいたのだから、ありがたいよりも、もつたいなかつた。
明日は是非小郡まで行かう、そして宮市へ、そこで金策しなければならない。……
歩くのはうれしい、水はうまい、強烈な日光、濃緑の山々、人さま/″\の姿。
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・涼しい風人形がころげる
・泳ぎつかれてみんな水瓜をかゝえ
・夾竹桃、そのかげで氷うりだした
 かぼちやごろ/\汐風に
・何と涼しい南無大師遍照金剛
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子のない女は何かペツトを持たずにはゐない、こゝのおばあさんは犬を可愛がつてゐる、もう老ひぼれ犬だ、そのきたない犬を座敷にあげて撫でたり擦つたりしてゐる、夜は抱いて寝るらしい、あれだけのキレイ好きが!

 八月一日

歩いて三里、汽車で三里、そして樹明居だ、いつもかはらぬ友情にひたつた、うれしかつた。
夜は飲んだ、冬村、二三男の二君来訪、四人でおそくまで話しつゞけた。
午前中二時間は厚狭裏町行乞、午後の二時間はまた船木町行乞、時々気分がみだれた、没分暁な奥様、深切なおかみさん、等、等。
昨日は蓮華のうつくしさ、今日は木槿のうつくしさを見た。
糸根(愛寝)といふ和泉式部の古蹟、寝太郎餅といふ名物。
馬占山の最後に一滴の涙をそゝぐ。
朝御飯が最もおいしいほどの健康と幸福とを私は恵まれてゐる、合掌。
樹明居、夏はすゞしく冬はあたゝかい、主人は道としての俳句に精進しつゝある、私は是非とも樹明居の記[#「樹明居の記」に傍点]を書かなければならない(緑平居の記、白船居の記、そして其中庵記[#「其中庵記」に傍点]と共に)。
女の服装(殊に夏季の)が一変しつゝあるのに驚く、老女のアツパツパは感心しませんね。
駅の待合室の電燈の笠で生れて育つた燕はおもしろい。
着いて、逢うて、すぐ風呂があつたとは!
坊ちやん、あなたは暴君ですね、毎日蝉を虐殺する、虐殺されながら蝉は鳴く。
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 空を見てゐる若い女の腹が大きい
・石にとんぼはまひるのゆめみる
・昼寝ふかい村から村へのうせんかづら
・ひるねざめ風があるきり/″\す
 峠下れば青田ふきとほし
・日ざかり、学校の風車まはつたりまはらなかつたり
 山はみどりの、広告文字が夕日にういて
 逢へてよかつた岩からの風に
・水瓜したゝるしたしさよ(樹明居)
 別れる星がすべる
・ふけて雨すこしおちた
 星あかりをあふれくる水をすくふ
[#ここで字下げ終わり]

 八月二日

朝から酒(壁のつくろひは泥だといふがまつたくその通りだ)、宿酔が発散した。
十一時の汽車で大道へ、追憶の糸がほぐれてあれこれ、あれこれといそがしい。
七年目ぶりにS家の門をくゞる、東京からのお客さんも賑やかだつた、久しぶりに家庭的雰囲気につゝまれる。
伯母、妹、甥、嫁さん、老主人、姪の子ら。……
夕食では少し飲みすぎた、おしやべりにならないやうにと妹が心配してゐる、どうせ私は下らない人間だから、下らなさを発揮するのがよいと思ふけれど。
酒は甘露、昨日の酒、今日の酒は甘露の甘露だつた、合掌献盃。
よい雨だが、足らない、降れ、降れ、しつかり降つてくれ。
寿さんの努力で後山がよく開拓されてある、土に親しむ生活、土を活かす職業、それが本当だ。
樹明兄が借して下さつた「井月全集[#「井月全集」に傍点]」を読む、よい本だつた、今までに読んでゐなければならない本だつた、井月の墓は好きだ、書はほんとうにうまい。
石地蔵尊、その背景をなしてゐた老梅はもう枯れてしまつて花木が植ゑてある、こゝも諸行無常を見る、一句手向けよう。
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 あかつきのどこかで何か搗いてゐる
 朝風に竹のそよぐこと
 青田かさなり池の朝雲うごく
・朝風の青柿おちてゐて一つ
 おきるよりよい風のよい水をよばれた
   S家即事
 伯母の家はいまもちろ/\水がながれて
・水でもくんであげるほかない水をくみあげる
 風ふくふるさとの橋がコンクリート
 ふるさとのこゝにもそこにも家が建ち
[#ここで字下げ終わり]

 八月三日

風、雨、しみ/″\話す、のび/\と飲む、ゆう/\と読む(六年ぶりにたづねきた伯母の家、妹の家だ!)。
風にそよぐ青竹を切つて線香入をこしらへた、無格好だけれど、好個の記念品たるを失はない。
省みて疚しくない生活[#「省みて疚しくない生活」に傍点]、いひかへればウソのない生活、あたゝかく生きたい。
東京からまた子供がやつてきた、総勢六人、いや賑やかなこと、東京の子は朗らかで嬉しい、姉――彼等の祖母――が生きてゐたら、どんなに喜ぶだらう!
東京の子が青紫蘇や茗荷の子を摘んでくれた、おいしかつた。
風雨なので、そして引留められるので、墓参を明日に延ばして、さらに一夜の感興を加へた。
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・松もあんなに大きうなつて蝉しぐれ(勅使松)
・やつぱりおいしい水のおいしさ身にしみる
 うれしい雨の紫蘇や胡麻や茄子や胡瓜や
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 八月四日

曇、どうやら風雨もおさまつたので、朝早く一杯いたゞいて出立、露の路を急いで展墓(有富家、そして種田家)、石古祖墓地では私でも感慨無量の体だつた、何もかもなくなつたが、まだ墓石だけは残つてゐたのだ。
青い葉、黄ろい花をそなへて読経、おぼえず涙を落した、何年ぶりの涙だつたらうか!
それから天満宮へ参拝する、ちようど御誕辰祭だつた、天候険悪で人出がない、宮市はその名の示すやうにお天神様によつて存在してゐるのである、みんなこぼしてゐた。
酒垂公園へ登つて瀧のちろ/\水を飲む、三十年ぶりの味はひだつた(おかげで被布を大[#「大」に「マヽ」の注記]の枝にひつかけて裂いたが)。
故郷をよく知るものは故郷を離れた人ではあるまいか。
東路君を訪ねあてる、旧友親友ほどうれしいものはない、カフヱーで昼飯代りにビールをあほつた、夜は夜でおしろいくさい酒をしたゝか頂戴した、積る話が話しても話しても話しきれない。
三田君にちよつと面接、斉藤さんへは電話で挨拶、いろ/\くいちがつたり、こんがらがつたりして、ゆつくり話しあふことが出来なかつたのは残念だつた、またの機会を待たう。
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・ふるさとの蟹の鋏の赤いこと
・ふるさとの河原月草咲きみだれ
・蝉しぐれ、私は幸福である
・ふるさとの水だ腹いつぱい
・ふるさとの空の旗がはたはた
・ひさびさ雨ふりふるさとの女と寝る
・日向草の赤いの白いのたづねあてた
    □
・うぶすなの宮はお祭のかざり
・うぶすな神のおみくじをひく
    □ 展墓
・おもひでの草のこみちをお墓まで
 夏草、お墓をさがす
・すゞしくお墓の草をとる
 お墓の、いくとせぶりの夏草をぬく
    □ 追加
 みんなに話しかける青葉若葉のひかり
[#ここで字下げ終わり]

 八月五日

曇、眼がさめるとまたビールだ、かうしたアルコールはいくらのんでもよろしからう。
名残は尽きないけれど、東路君は勤人、私は行乞坊主なので、再会を約して別れる、八時の列車で小郡へ。――
農学校に樹明さんを訪ねる、いつもかはらぬ温顔温情の持主である、こゝでもまたビールだ、いかな私もビール巻[#「ル巻」に「マヽ」の注記]鮨の方がうまかつた!
樹明さんの紹介で永平さんに初相見した、私たちの道の同行に一人を加へられたことを喜ぶ。
防府で、小郡で、その他で、山頭火後援会の会員が十口くらい出来たのは(いや出来るのは)うれしい。
学校として、農学校は好きだ、動物植物といつしよに学び、いつしよに働らいてゐるから。
樹明居の一夜は一生忘れることの出来ない印象を刻みつけた、酒もよい、肴もよい、家も人も山も風もみんなよかつた、冬村君もよかつた、君のおみやげの梅酒もよかつた、あゝよかつた、よかつた。
あんまり物みながよくて一句も出なかつた。

 八月六日

暁の雨は強かつた、明けても降つたり晴れたりで、とても椹野川へ鮒釣りに行けさうもないので、思ひ切つてお暇乞する、こゝでもまた樹明さんの厚意に涙ぐまされた、駅まで送つて貰つた。
何といろ/\さま/″\のお土産品を頂戴したことよ! 曰く茶卓、曰く短冊掛、曰く雨傘(しかも、それは其中庵の文字入だ)曰く何、曰く何、そして無論、切符から煙草まで、途中の小遣までも。
汽車と自動車だから世話はない、朝立つて昼過ぎにはもう宿にま[#「ま」に「マヽ」の注記]どつた、一浴して一杯やつて、ごろりと寝た。
やつぱり、川棚の湯は私を最もよく落ちつかせてくれる、昨日、学校の廊下で藤[#「藤」に「マヽ」の注記]椅子の上の昼寝もよかつたが、今日の、自分の寝床でのごろ寝もよかつた。
朝湯と昼寝と晩酌[#「朝湯と昼寝と晩酌」に傍点]とあれば人生百パアだ!
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・すゞしく自分の寝床で寝てゐる
・稲妻する夜どほし温泉《ユ》を掘つてゐる
[#ここで字下げ終わり]

 八月七日

まだ雨模様である、我儘な人間はぼつ/\不平をこぼしはじめた。
此宿の老主人が一句を示す。――
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蠅たゝきに蠅がとまる
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山頭火、先輩ぶつて曰く。――
[#ここから3字下げ]
蠅たゝき、蠅がきてとまる
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しかし、作者の人生観といつたやうなものが意識的に現はれてゐて、危険な句ですね、類句もあるやうですね、しかし、作者としては面白い句ですね、云々。
動く、秋意動く(ルンペンは季節のうつりかはりに敏感である、春を冬を最も早く最も強く知るのは彼等だ)。
山に野に、萩、桔梗、撫子、もう女郎花、苅萱、名もない草の花。
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・秋草や、ふるさとちかうきて住めば
・子に食べさせてやる久しぶりの雨
・秋めいた雲の、ちぎれ雲の
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焼酎一杯あほつたせいか、下痢で弱つた、自業自得だ。

 八月八日 川棚温泉、木下旅館。

立秋、雲のない大空から涼しい風がふきおろす。
秋立つ夜の月(七日の下弦)もよかつた。
五六日見ないうちに、棚の糸瓜がぐん/\伸んで、もうぶらさがつてゐる、糸瓜ういやつ、横着だぞ!
バラツク売家を見にゆく、其中庵にはよすぎるやうだが、安ければ一石二鳥だ。
今日はめづらしく一句もなかつた、それでよろしい。

 八月九日

朝湯のきれいなのに驚かされた、澄んで、澄んで、そして溢れて、溢れてゐる、浴びること、飲むこと、喜ぶこと!
野を歩いて持つて帰つたのは、撫子と女郎花と刈萱。
夜、椽に茶卓を持ちだして、隣室のお客さんと一杯やる、客はうるさい、子供のやうに(後記)。
よいお天気だつた、よすぎるほどの。
あゝあゝうるさい、うるさい、こんなにしてまで私は庵居しなければならないのか、人はみんなさうだけれど。
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・炎天の電柱をたてようとする二三人
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独身者は、誰でもさうだが、旅から戻つてきた時、
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