べてを観る[#「私は酒を以てすべてを観る」に傍点]、山を眺めては一杯やりたいな、野菜のよいのを見るとしんみり飲みたいなあと思ふ、これだけあれば一合やれる、これで一本買へるなと考へる、笑はれても実際だから仕方がない。
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・紫陽花もをはりの色の曇つてゐる
・つゆけく犬もついてくる
・ゆふ雲のうつくしさはかなかなないて
[#ここで字下げ終わり]
私は今、庵居しようなどゝいふ安易な気分に堕した自分を省みて恥ぢてゐる、悔いてもゐる、しかも庵居する外ない自分を見直して嘆いてゐる、私はやむなく背水の陣を布いた、もう血戦(自分自身に対して)する外ない。
緑平老へ、そしてS子へ、S女へ手紙を書いた、書きたくない手紙だつた、こんな手紙を書かなければならない不徳を憤つた。
眠れない、眠つたと思へば悪夢だ。
アルコールが私に対して、だん/\魅力を失ひつゝあることは、むしろ悲しい事実だらう。
[#ここから2字下げ]
・蠅取紙の蠅がまだ鳴いてゐる
[#ここで字下げ終わり]
七月廿一日
曇、しかし朝蝉が晴れて暑くなることを予告しつゝある。
山へ空へ、樹へ草へお経をあげつゝ歩かう。
黒井行乞、そのおかげで手紙を差出すことが出来た。
安岡町まで行くつもりだつたが、からだの工合がよくないのでひきかへした、暑さのためでもあらうが、年のせい[#「せい」に傍点]でもあらうて。
[#ここから2字下げ]
(草木塔)[#「(草木塔)」は底本では、俳句の上に横書き]
・朝早い手を足を伸ばしきる
・伸ばしきつた手で足で朝風
・いちりん咲いてゐててふてふ
・あつさ、かみそりがようきれるかな
[#ここで字下げ終わり]
物を粗末にすれば物に不自由する[#「物を粗末にすれば物に不自由する」に傍点](因果応報だ)、これは事実だ、少くとも私の事実[#「私の事実」に傍点]だ!
[#ここから2字下げ]
・夏のゆふべの子供をほしがつてゐる
・墓へも紫陽花咲きつゞける
[#ここで字下げ終わり]
七月廿二日
朝曇、日中は暑いけれど朝晩は涼しい、蚊がゐなければ千両だ。
感情がなくなれば人間ぢやない、同時に感情の奴隷とならないのが人間的だらう。
さみしくいらだつからだへ蠅取紙がくつついた、句にもならない微苦笑だつた。
[#ここから2字下げ]
・泣いてはなさない蝉が鳴きさわぐ
・何やら鳴いて今日が暮れる
・水瓜ごろりと垣の中
・虫のゆききのしみじみ生きてゐる
□
・朝の木にのぼつてゐる
[#ここで字下げ終わり]
七月廿三日
土用らしい土用日和である、暑いことは暑いけれど、そこにわだかまり[#「わだかまり」に傍点]がないので気持がよい。
隣室のお客さん三人は私の同郷人だ、純粋なお国言葉をつかうてゐる、彼等と話しあつてゐると、何だか血縁のものに接してゐるやうな気がする(私としては今のところ、身上をあかしたくないから、同郷人であることが暴露しないやうに警戒しなければならない)。
当地には温泉情調といつたやうなものはあまりたゞようてゐない、むろん、私には入湯気分といつたやうなものはないが。
今日も私はいやしい私[#「いやしい私」に傍点]を見た、自分で自分をあはれむやうな境地は走過しなければならない。
子供はうるさいものだとしば/\思はせられる、此宿の子はちよろ/\児でちつとも油断がならない、お隣の子は兄弟妹姉そろうて泣虫だ、競争的に泣きわめいてゐる、子供といふものはうるさいよりも可愛いのだらうが、私には可愛いよりもうるさいのである。
[#ここから2字下げ]
(山水経)[#「(山水経)」は底本では、俳句の上に横書き]
・のびのびてくさのつゆ
・つゆけくもせみのぬけがらや
・事がまとまらない夕蝉になかれ(此一句は事実感想そのまゝである)
[#ここで字下げ終わり]
夕食後、M老人を訪ねて、土地借入證書に捺印を頼んだら、案外にも断られた、何とかかとか言訳は聞かされたけれど、然諾を重んじない彼氏の立場には同情すると同時に軽蔑しないではゐられなかつた、それにしても旅人のあはれさ、独り者のみじめさを今更のやうに痛感したことである。
これで造庵がまた頓挫した、仕方がない、私は腰を据えた、やつてみせる、やれるだけやる、やらずにはおかない。……
敬治さん、幸雄さんのたよりはほんとうにうれしかつたのに!
今日は暑かつた、華氏九十七度を数へた地方もあるといふ、しかし私はありがたいことには、樹木の多い部屋で寝ころんでゐられるのだから。
幸雄さんの供養で、焼酎を一杯ひつかける、饅頭を食べる、端書を十枚差出すことが出来た。
七月廿四日
今日も暑からう、すこし寝過した、昨夜の今朝で、何となく気分がすぐれない。
野の花を活けた、もう撫子が咲いてゐるが、あの花には原始日本的情趣[#「原始日本的情趣」に傍点]があると思ふ。
幸雄さんへ手紙を書く、昨夜、M老人にふられたから、もう一人どうでもかうでも保證人を打出し[#「し」に「マヽ」の注記]なければならないのである(さういふ次第だから、書くにも気のすゝまない、貰つてもうれしく手[#「く手」に「マヽ」の注記]紙である)、度々幸雄さんを煩はしてほんとうにすまないことである。
――百雑砕――
燃ゆる陽を浴びて夾竹桃[#「夾竹桃」に傍点]のうつくしさ、夏の花として満点である。
色身を外にして法身なし[#「色身を外にして法身なし」に傍点]、しかも法身は色身にあらず、法身とは何ぞや。
貧時には貧を貧殺せよ[#「貧時には貧を貧殺せよ」に傍点]。
私は拾ふ、落ちた物を拾ふ、落した物[#「落した物」に傍点]を拾ふにあらず、捨てたる物[#「捨てたる物」に傍点]を拾ふなり。
緑平老からの来信は私に安心と落ち着きとを与へてくれた。
[#ここから2字下げ]
・朝曇朝蜘蛛ぶらさがらせてをく
・この木で二円といふ青柿のしづかなるかな
・蒸暑い木の葉いちまい落ちた
・私の食卓、夏草と梅干と
[#ここで字下げ終わり]
今日は梅干とランキヨウとで食べた、もう三週間あまり魚を買はない、野菜が一等おいしい。
嫁と姑[#「嫁と姑」に傍点]、これはあまりにも古い課題だ、そしていつも新らしい課題だ(今日、昼寝覚に、婆さん連中の会話を聞いて)。
夕涼み、軽い心、軽いからだ、軽い話、涼しい。
さみしさはうるさいにまさる[#「さみしさはうるさいにまさる」に傍点]。
――一箇半箇――
捨猫がうろついてゐる、彼女は時々いら/\した声で鳴く、自分の運命を呪ふやうな、自分の不幸を人天に訴へるやうに鳴く、そして食べるものがないので、夜蝉を捕へる、その夜蝉がまた鳴く、断末魔の悲鳴をあげる。……
安いものは[#「安いものは」に傍点]、マツチ、釘、浴衣、そして。――
近眼と老眼とがこんがらがつて読み書きに工合がわるくて困る、そのたびに、年はとりたくないなあと嘆息する。
[#ここから2字下げ]
・よいゆふべとなりゆくところがない
青炎郎君にかへし
夾竹桃、そのおもひでの花びら燃えて
[#ここで字下げ終わり]
七月廿五日
何と朝飯のうまいこと! (現在の私には、何物でも何時でもうまいのだが)私はほんとうに幸福だ!
茗荷の子三把で四銭、佃煮にして置く、当分食卓がフクイクとしてにほふだらう、これもまた貧楽[#「貧楽」に傍点]の一つ。――
怪我をするときは畳の上でもするといふ、まつたくさうだ、今朝、私は縁側でしたゝか向脛をうつた、痛い、痛い。
こゝの息子さんと土用鰻釣に出かける約束をしたので、釣竿を盗伐すべく山林を歩いてゐると、仏罰覿面、踏抜をした、こん/\と血が流れる、真赤な血だ、美しい血だ、傷敗けをしない私は悠々として手頃の竹を一本切つた、いかにも釣れさうな竿だ、しかし私は盗みを好かない、随つて盗みの罰を受け易い、どうも盗みの興味が解らない。
[#ここから2字下げ]
・押売が村から村へ雲の峰
[#ここで字下げ終わり]
七月廿六日
相かはらず暑い、夕立がやつて来さうでなか/\やつて来ない、草も木も人もあえいでゐる。
約束通り、こゝの息子さんと溜池へ釣りに行く、鰻は釣れないで鮒が釣れた、何と薄倖な鮒だつたらう、せい/″\三時間位だつたが、ずゐぶんくたぶれた。
[#ここから2字下げ]
・朝から暑い野の花をさがしあるく
・すゝき活けて誰かを待つてゐる
・蟻や蝉やいちにち孫を遊ばせる
□
・水底の雲から釣りあげた
・赤い夕日に釣つてやめようともしない
[#ここで字下げ終わり]
七月廿七日
今日は土曜[#「曜」に「マヽ」の注記]の丑の日。
鰻どころか、一句もない一日だつた!
だが、夕方になつて隣室から客人から、蒲焼一片を頂戴した。
まことに鰻ひときれの丑の日だつた!
[#ここから2字下げ]
・暑さ、泣く子供泣くだけ泣かせて
[#ここで字下げ終わり]
だから、駄句一つの一日でもあつた!
七月廿八日
晴、風がすが/\しい、そして何となく雨の近い感じがする、今日はきつとよいたよりがあるだらう。
よいたよりといへば、昨日うけとつたたよりはうれしいものであつた、緑平老からのたよりもうれしかつたが、幸雄さんからのそれは殊にうれしかつた、それは温情と好意とにあふれてゐた。
頭痛がする、頑健そのものゝやうな私も暑さと貧しさとでだいぶ弱つたらしい、だがまゐつたのぢやない。
野百合と野撫子とを活けた、百合はうつくしい、撫子は村娘野嬢のやうな風情でなくて(百合のやうに)深山少女といつた情趣である、好きな花だ、一目何でもないけれど、見てゐるとたまらなくよいところがある、西洋撫子はとても/\だ。
正さん――この宿の次男で、私の新らしい友達の一人――の新居を訪ねる、井戸を掘つてゐる、よい水が湧いて出るといつて喜んでゐる、掘つた穴の底には水が溜つて、そして蛙がもう二三匹飛び込んでゐる、これが文字通りの井底蛙[#「井底蛙」に傍点]だ。
暑い、暑い、貧乏は暑いものだと知つた。
貧乏はとう/\切手を貼らない手紙をだす非礼を敢てせしめた、それを郵便集配夫がわざ/\持つてきて見せた厚意には汗が流れずにはすまなかつた、それでなくても暑くてたまらないのに、――そしてまた、次のやうな嫌味たつぷりの句を作らないではゐられなかつた。
[#ここから2字下げ]
・炎天のポストへ無心状である
・貧しさは水を飲んだり花を眺めたり
□
・炎天、夫婦となつて井戸も掘る
・掘ればよい水が湧く新所帯で
□
すゞしくなでしこをつんであるく
[#ここで字下げ終わり]
昔――といつても徳川時代――には大酒飲を酒桶とよんださうな、酒が飲めない酒好きは徳利になりたがる、酒桶には及びもないが!
長い暑い一日がやうやく暮れて、おだやかな夕べがくる、茶漬さら/\掻きこんで出かける、どこへといふあてもない、何をしようといふのでもない、訪ねてゆく人もなければ訪ねてくる人もない現在の境涯だ、たゞ歩くのである、たゞ歩く外ないから。――
七月廿九日
朝曇、日中は照りつけるだらう。
修證義読誦、芭蕉翁発句集鑑賞、その気品の高いことに於て、純な点に於て、一味相通ずるものがある、厳かにして親しみのある作品といふ感じである、約言すれば日本貴族的[#「日本貴族的」に傍点]である。
みんなよく水瓜を食べる、殊に川棚水瓜だ、誰もが好いてゐる、しかし私の食指は動かない、それだけ私は不仕合せだ。
隣室の旅人[#「旅人」に傍点](半僧半俗の)から焼酎と葡萄とをよばれる、久振にアルコールを飲んだので、頭痛と胃痛とで閉口した。
私はたしかにアルコールから解放された、ニコチンからも解放されつゝある、酒を飲まなくなり、煙草も喫はなくなつたら、さて此次は何をやめるか!
山百合、山桔梗、撫子、苅萱、女郎花、萩、等等等、野は山はもう秋のよそほひをつけるに忙しい。
[#ここから3字下げ]
とんぼくはえてきた親つばめ子つばめ
あをむけば蜘蛛のいとなみ
[#ここで字下げ終わり]
七月三十日
晴、晴、晴、一雨ほしいなあ!
緑平老から来信、それは老の堅実を示し、同時に私の
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