□
・墓から墓へ夕蜘蛛が網を張らうとする
・墓に紫陽花咲きかけてゐる
・夕焼小焼牛の子うまれた
・家をめぐり蛙なく新夫婦である
[#ここで字下げ終わり]

 七月九日

空は霖雨、私は不眠、相通ずるものがあるやうだ。
あの晩からちつとも飲まないので、一杯やりたくなつた!
星城子さんの厚情によつて、飯田さん仙波さん寄与の懐中時計が到着した、私が時計を持つといふことは似合はないやうでもあるが、すでに自分の寝床をこしらへつゝある今日、自分の時計を持つことは自然でもあらう(その時計の型や何かは、私の望んだほど時代おくれでもなくグロテスクでもなけれど、三君あればこそ私の時計があつたのである、ありがたい/\、たゞ口惜しいのはチクタクがちよい/\と睡ることである、まさか、私のところに来たといふので、酔つぱらつたのでもあるまい!)。
動かない時計はさみしく、とまる時計はいらだゝしいものである。
うれしいたよりが二つあつた、樹明君から、そして敬治君から。
花ざくろを活ける、美しい年増女か!
石を拾ふついでに、白粉罎を拾うた、クラブ美の素といふレツテルが貼つてあつた、洗つても洗つてもふくいく[#「ふくいく」に傍点]としてにほふ、なまめかしい、なやましいにほひだ、しかし酒の香ほどは好きでない、むろん嫌いではない、しばらくならば(これは印肉入にする)。
夕方になつて腹が空いてくると、ひつかけたくなる、大急ぎで、詰めこんで、アルコール虫をママで抑へつけた!
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・おちつかない朝の時計のとまつてる
・旅路はいろ/\の花さいて萩
[#ここで字下げ終わり]
夜は宿の人々と雑談する、行乞の話、酒の話、釣の話、等、等、――此家の人々はみんな好人物である、かういふ人々と親しくして余生を送ることができるやうになつた私の幸福を祝さう。
当地に草庵をつくるについて、今更のやうに教へられたことは、金の魅力、威力、圧力、いひかへれば金のきゝめ[#「金のきゝめ」に傍点]であつた。
私は私にふさはしくない、といふよりも不可能とされてゐた貯金[#「貯金」に傍点]を始めることになつた、保證人に対する私の保證物として!(毎月壱円)
そして、私がしみ/″\と感じないではゐられないことは、仏教の所謂、因縁時節[#「因縁時節」に傍点]である、因縁が熟しなければ、時節が来なければ、人生の事はどうすることも出来ないものである。

 七月十日

ほんとうによくふると、けさはおもつた、頭痛がしてぼんやりしてゐた。
夢精! きまりわるいけれど事実だから仕方がない、もつともそれだけ vital force が残つてるのだらう!
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 水をたゞようて桐一葉
・夕焼うつくしい旅路もをはり
    □
・青葉ふかくいち高い樹のアンテナ
・ゆふべのラヂオの泣きたうなつた
[#ここで字下げ終わり]

 七月十一日

四時前に起きた、掃除して、湯にはいつて、朝課諷経してゐるうちに、やうやく夜が明けた。
すなほでない自分[#「すなほでない自分」に傍点]を見た、同時に自分の乞食根性を知つた。……
今日はどうやらお天気らしいので近在を行乞するつもりだつたが、どうしたわけか(酒どころか煙草すらのめないのに)、痔がわるくて休んだ、コツ/\三八九復活刊行の仕事をやつた。
晴れて急に暑くなつた、ぢつとしてゐて、汗がたら/\流れる、いよ/\真夏を感じる、私はどんなに暑くても苦しくても、冬よりは夏をえらぶ、私の肉体が寒さよりも暑さに対して抵抗強いからでもあるが、浴衣一枚で何のこだわりもない生活が好ましいからである。
[#ここから2字下げ]
・ふたゝびこゝに花いばら散つてゐる
・この汽車通過、青田風
・旅の法衣がかわくまで雑草の風
[#ここで字下げ終わり]
夜は妙青寺の真道長老を訪ねて暫時閑談、雪舟庭の暗さから青蟇の呼びかけるのはよかつた、螢もちらほら光る、すべてがしづかにおちついてゐる。
正法眼蔵啓迪を借りて戻る、これはありがたい本であり、同時におもしろい本である(よい意味で)。
また不眠だ、すこし真面目に考へだすと、いつも眠れなくなる、眠れなくなるやうな真面目は嘘だ、少くとも第二義的第三義的だ。
しかし不眠のおかげで、千鳥の声をたんまりと聴くことができた。
どこかそこらで地虫もないてゐる、一声を長くひいてはをり/\なく、夏の底の秋を告げるやうだ。

 七月十二日

雨、降つたり降らなかつたりだが、小月行乞はオヂヤンになつた、これでいよ/\空の空になつた。
啓迪[#「啓迪」に傍点]を読みつゞける、元古仏の貴族的気禀[#「元古仏の貴族的気禀」に傍点]に低頭する。……
[#ここから2字下げ]
・なく蠅なかない蠅で死んでゆく
・長かつた旅もをはりの煙管掃除です
[#ここで字下げ終わり]
ありがたい品物が到来した、それはありがたいよりも、私にはむしろもつたいないものだつた、――敬治君の贈物、謄写器が到来したのである、それは敬治君の友情そのものだつた、――私はこれによつてこれから日々の米塩をかせぎだすのである。
今夜も千鳥がなく、虫がなく。……

 七月十三日

雨、雨、雨、何もかもうんざりしてゐる、無論、私は茶もなく煙草もなく酒もなくてぼんやりしてゐるが。
正法眼蔵啓迪「心不可得」の巻拝読。
白雲去来、そして常運歩(其中庵は如何)。
とう/\我慢しきれなくなつて、おばさんからまた金二十銭借る、それを何と有効につかつたことか――郵券二銭一枚、ハガキ二枚、撫子一包、そして焼酎一合!
私もどうやらかうやらアルコールから解放[#「アルコールから解放」に傍点]されさうだ、といつて、カルモチンやアダリンはまつぴら/\。
午後、ぶら/\歩いて、谷川の水を飲んだり、花を摘んだりした、これではあまりに安易すぎる、といつて動くこともできない、すこしいら/\する。
[#ここから2字下げ]
・ひとりなれば山の水のみにきた
・山の仏には山の花
[#ここで字下げ終わり]

 七月十四日

曇、まだ梅雨模様である、もう土用が近いのに。
今日も、待つてゐる手紙がない、旅で金を持たないのは鋏をもがれた蟹のやうなものだ。手も足も出ないから、ぼんやりしてる外ない、造庵工事だつて、ちつとも、捗らない、そのためでもあるまいが、今日は朝から頭痛がする。……
山を歩く、あてもなしに歩きまはつた、青葉、青葉、青葉で、ところ/″\躑躅の咲き残つたのがぽつちりと赤いばかり。
めづらしく句もない一日[#「句もない一日」に傍点]だつた、それほど私の身心はいぢけてゐるのだらうか。

 七月十五日

一切憂欝、わづかに朝湯が一片の慰藉だ。
たゞ暑い、空つぽの暑さだ。
南無緑平老菩薩、冀はくは感応あれ。
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・暑く、たゞ暑くをる
・蜩のなくところからひきかへす
・あすはよいたよりがあらう夕焼ける
    □
・食べるもの食べきつたかなかな
[#ここで字下げ終わり]
夕の散歩で四句ほど拾ふたが、今年はじめて蜩を聴いたのはうれしかつた、峰と峰とにかこまれたゆふべの松の木の間で、そこにもこゝにも蜩がしづかにしめやかに鳴きかはしてゐた(みん/\蝉は先日来いくたびも聴いたが)。

 七月十六日

曇、此頃は、日和癖とでもいふのか、午前中は雨模様、午後になると晴、頭痛がして困る。――
朝の散歩はよい、ことに朝の山路を逍遙する時は一切を忘れて一切に合してゐる気分になる、歯朶がうつくしい、池水がおだやかだ、頬白の声がすが/\しい、物みなよろし[#「みなよろし」に傍点]とはこの事だ。
そこにもこゝにも句が落ちてゐる、かくべつ拾ひたいとも思はないが、その二つ三つ。
[#ここから2字下げ]
・朝の土から拾ふ
・山奥の蜩と田草とる(これは昨夕)
・夜どほし浴泉《ユ》があるのうせんかつら
・青すゝきどうやら風がかはつた
[#ここで字下げ終わり]
晴れた、晴れた、お天気、お天気、みんなよろこぶ、私も働かう、うんと働かう、ほんとうに遊びすぎた。
[#ここから2字下げ]
・けふの散歩は蜩ないて萩さいて
・かんがへがまとまらないブトにくはれる
・山のいちにち蟻もあるいてゐる
[#ここで字下げ終わり]
何だかノスタルヂヤにでもかゝつたやうだ、これも造庵や生活やすべてがチグハグになつてゐるせいかも知れない。
[#ここから2字下げ]
・はだかしたしくはだかをむける(大衆浴場)
・夏の夜のヱンヂンのようひゞく
[#ここで字下げ終わり]

 七月十七日

晴、小月町行乞、往復九里は暑苦しかつたけれど、道べりの花がうつくしかつた、うまい水をいくども飲んだ、行乞はやつぱり私にふさはしい行だと思つた。
行乞所得はよくなかつたが、句の収穫はわるくなかつた。――
[#ここから2字下げ]
・ぴつたり身につけおべんたうあたゝかい
・朝の水にそうてまがる
・すゞしく蛇が朝のながれをよこぎつた
・禁札の文字にべつたり青蛙
・このみちや合歓の咲きつゞき
・石をまつり水のわくところ
・つきあたつて蔦がからまる石仏
・いそいでもどるかなかなかなかな
・暮れてなほ田草とるかなかな
・山路暮れのこる水を飲み
[#ここで字下げ終わり]
一銭のありがたさ、それは解りすぎるほど解つてゐる、体験として、――しかも万銭を捨てゝ惜まない私はどうしたのだらう!
なぜだか、けふは亡友I君の事がしきりにおもひだされた、彼は私の最初の心友だつた、彼をおもひだすときは、いつも彼の句と彼の歌とをおもひだす、それは、――
[#ここから1字下げ]
□おしよせてくだけて波のさむさかな
 我れん[#「我れん」に「マヽ」の注記]ちさう籠るに耳は眼はいらじ
    土の蚯蚓のやすくもあるかな
[#ここで字下げ終わり]
労れて戻つて(此宿へは戻つたといつてもいゝ、それほど気安くて深切にして下さる)そして酒のうまさは!
[#ここから2字下げ]
・つかれた脚を湯が待つてゐた
・雲がいそいでよい月にする
[#ここで字下げ終わり]

 七月十八日

晴れて暑い、ぢつとしてゐて汗がにじみでる、湯あがりの暑さは、裸体になることの嫌いな私でも、褌一つにならずにはゐられない。
昨日の行乞所得の残金全部で切手と端書とを買つた、それでやうやく信債の一部を果した。
酒が好きなために仏門に入るやうになり、貧乏になつたために酒毒から免かれてゐる、世の中の事は変なものであるわい(酒のために自己共に苦しみ悩んだ事はいふまでもないが)。
[#ここから2字下げ]
・朝からぴよんぴよん蛙
・穂すゝきへけふいちにちの泥を洗ふ
・月あかり撰りわける夏みかんの数
    □
・聴くでもないおとなりのラヂオ泣いてゐる
[#ここで字下げ終わり]

 七月十九日

晴、いよ/\天候もきまつたらしい、私の心もしつかりしてくれ、晩年の光[#「晩年の光」に傍点]を出せ!
此宿の漬物はなか/\うまい(木賃自炊だが、朝の味噌汁と漬物とは貰へる、今日此頃の私は無一文だから漬物でお茶漬さら/\掻きこんでゐる)、殊に今朝は茗荷がつけてあつた、何ともいへない香気だ、暑さを忘れ憂欝を紛らすことが出来る。
夏は浅漬がよい、胡瓜、茄子、キヤベツ、何とか菜、時々らんきようも悪くない、梅干もありがたい。
[#ここから2字下げ]
 山の夏みかんもぐより売れた
 山からもいで夏みかんやばらばら雨
・朝は涼しい茗荷の子(夏茗荷である)
・はだかではだかの子をだいてゆふべ
[#ここで字下げ終わり]

 七月廿日

曇、土用入だから、かん/\照ればよいのに。
朝の山へ、蜘蛛の囲を分けて登つて萩を採つて来て活けた、温湯に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]したが、うまく水揚げしてくれるとうれしい。
昨夜はとろり[#「とろり」に傍点]としたゞけだつた、こんなでは困る。
盆草――精霊草。
人間は(いや、あらゆる生物は程度の差こそあれ)自分の好きなものを中心として(或は基本として)万事万物を観察する(または換算する)、それが自然でもあり真実でもある、といふ訳で、私は酒を以てす
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