。
雨につけ風につけ、私はやつぱりルンペンの事を考へずにはゐられない、家を持たない人、金を持たない人、保護者を持たない人、そして食慾を持ち愛慾を持ち、一切の執着煩悩を持つてゐる人だ!
ルンペンは固より放浪癖にひきずられてゐるが、彼等の致命傷は、怠惰[#「怠惰」に傍点]である、根気がないといふことである、酒も飲まない、女も買はない、賭博もしない、喧嘩もしない、そしてたゞ仕事がしたくない[#「仕事がしたくない」に傍点]、といふルンペンに対しては長大息する外ない、彼等は永久に救はれないのだ。
今日も焼酎一合十一銭、飛魚二尾で五銭、塩焼にしてちびり/\、それで往生安楽国!
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・夏めいた灯かげ月かげを掃く
・障子に箒の影も更けて
・わいてあふれるなかにねてゐる
・生えてあやめの露けく咲いてる
□
・重さ、かきなやむ四人の大地
魚店風景
ならべられてまだ生きてゐる
□
・笠ぬげば松のしづくして
□
・しぼんだりひらいたりして壺のかきつばた
・こゝろふさぐ夜ふけて電燈きえた(事実そのものをとつて)
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六月廿一日 同前。
昨夜来の風雨がやつと午後になつてやんだ、青葉が散らばり草は倒れ伏してゐる。
水はもう十分だが、この風では田植も出来ないと、お百姓さんは空を見上げて嘆息する。
私にはうれしい手紙が来た、それはまことに福音であつた、緑平老はいつも温情の持主である。
自分でも気味のわるいほど、あたまが澄んで冴えてきた、私もどうやら転換するらしい、――左から右へ、――酒から茶へ[#「酒から茶へ」に傍点]!
何故生きてるか、と問はれて、生きてるから生きてる[#「生きてるから生きてる」に傍点]、と答へることが出来るやうになつた、此問答の中に、私の人生観も社会観も宇宙観もすべてが籠つてゐるのだ。
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これで田植ができる雨を聴きつゝ寝る
・いたゞきは立ち枯れの一樹
・蠅がうるさい独を守る
・ひとりのあつい茶をすゝる
・花いばら、こゝの土とならうよ
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六月廿二日 同前。
晴曇さだめなし。
小串へゆく、もう夾竹桃が咲いてゐた、松葉牡丹も咲いてゐた。
あんまり神経がいらだつので飲んだ、そして飲みすぎた、当面の興奮はおさまつたが、沈衰がやつてきた、当分また苦しみ悩む外ない。
笑へない喜劇、泣けない悲劇、それが私の生活ではないか。
寺領借入の交渉が頓挫した、時々一切を投げだしたいやうな気分になる、こんなにまでして庵居しなければならないのか。……
子供はほんたうに騷々しい、耳をふさいでゐた。
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夫婦で親子で畑の草とる
・握つてくれた手のつめたさで葉ざくら
・ひとりをれば蠅取紙の蠅がなく
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六月廿三日 同前。
空模様のやうに私の心も暗い、降つたり照つたり私の心も。……
ふりかへらない私[#「ふりかへらない私」に傍点]であつたが、いつとなくふりかへるやうになつた、私の過去はたゞ過失の堆積、随つて、悔の連続[#「悔の連続」に傍点]だつた、同一の過失、同一の悔をくりかへし、くりかへしたに過ぎないではないか、あゝ。
払ふべきものは払つた、といつてはいひすぎる、払へるだけは払つた[#「払へるだけは払つた」に傍点]。
多少、ほがらかになつたやうである。
六月廿四日 同前。
やうやく晴となつた。
妹から心づくしの浴衣と汗の結晶とを贈つてくれた、すなほに頂戴する。
血は水よりも濃いといふ、まつたくだ、同時に血は水よりもきたない。
小串へ出かけて、予約本二冊を受取る、俳句講座と大蔵経講座、これだけを毎月買ふことは、私には無理でもあり、贅沢でもあらう、しかし、それは読むと同時に貯へるため[#「読むと同時に貯へるため」に傍点]である、此二冊を取り揃へて置いたならば、私がぽつかり死んでも、その代金で、死骸を片づけることが出来よう、血縁のものや地下の人々やに迷惑をかけないで、また、知人をヨリ少く煩はして、万事がすむだらう(こんな事を考へて、しかもそれを実行するやうになつたゞけ、私は死に近づいたのだ)。
近来、水――うまい水を飲まない、そのためでもあらうか、何となく身心のぐあいがよろしくない、よい水、うまい水、水はまことに生命の水[#「生命の水」に傍点]である、あゝ水が飲みたい。
蠅取紙のふちをうろ/\してゐる蠅を見てると、蠅の運命[#「蠅の運命」に傍点]、生きもののいのち、といつたやうなものを考へずにはゐられない。
終日終夜、湯を掘つてゐる、その音が不眠の枕にひゞいて、頭がいたんできた。
今日は書きたくない手紙[#「書きたくない手紙」に傍点]を三通書いた、書いたといふよりも書かされたといふべきだらう、寺領借入のために、いひかへれば、保證人に対して私の身柄について懸念ないことを理解せしめるために、――妹に、彼に、彼女に、――私の死病と死体との処理について。――
欝々として泥沼にもぐつたやうな気分だ、何をしても心が慰まない、むろん、かういふ場合にはアルコールだつて無力だ、殊に近頃は酒の香よりも茶の味はひの方へ私の身心が向ひつゝあることを感じてゐる(それは肉体的な、同時に、精神的なものに因してゐると思ふ)。
六月廿五日 同前。
晴后曇、梅雨の或る日は、といつたやうな気分。
朝焼はうつくしかつた(それは雨を予告するのだが)、自然のうつくしさが身心にしみいるやうだつた。
朝、青草――壺に投※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]すために――五六本を摘んだ、露も蜘蛛もいつしよに。
燕の子が、いつのまにやら巣立つてゐる、それらしいのがをり/\軒端近く来ては囀づる。
水田もまた、いつのまにやら、いちめんの青田となつてゐる、そして蛙が腹いつぱいの声でうたうてゐる。
生きのよい鯖が一尾八銭だつた、片身は刺身、片身は塩焼にして食べた、おいしかつた、焼酎一合十一銭、水を倍加して飲んだがうまくなかつた。
たしかにアルコールに対する執着がうすらぎつゝある、酒を飲まないのでなくて飲めなくなるらしい、うれしくもあり、かなしくもあり、とはこのことだ。
捨てられて仔猫が鳴きつゞけてゐる、汝の運命のつたなきを鳴け、といふ外ない。
新聞配達の爺さんが、明日からは魚も持つてまゐりますから買うて下さいといふ、新聞と生魚!
調和しないやうで調和してゐると思ふ。
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・待つてゐるさくらんぼ熟れてゐる
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六月廿六日 同前。
曇、近郊散策、気分よろし、御飯がうまい、但し酒はうまくない、これも人生の悲喜劇一齣だらう。
蚤はあたりまへだが、虱のゐたのにはちよいと驚いた、蠅や蚊はもちろん。
今日は日曜日なので一夜泊り、或は一日遊びの浴客がちらほら歩いてゐる、あまりモダンぶりのものは見うけない、こゝにインバイがゐないやうに(カフヱーの女給や芸妓のエロサービスは知らないが)、それはこゝにふさはしいお客さんばかりだ。
妙青禅寺の本堂で、観世流の謡会があつた、日本的でよいと思ふけれど、ほんたうの味は解らない。
青龍園――妙清[#「清」に「マヽ」の注記]寺境内、雪舟築くところ――を改めて鑑賞する、自然を活かす[#「自然を活かす」に傍点]、いひかへれば人為をなるたけ加へないで庭園とする点に於てすぐれてゐると思ふ、つゝじとかきつばたとの対照融和である(萩が一株もう咲いてゐた)。
門前の老松もよいが、大タブもよい、その実はうれしいものだ。
午後はあてどもなく山から山へ歩く、雑草雑木[#「雑草雑木」に傍点]が眼のさめるやうなうつくしさだ、粉米のやうな、こぼれやすい花を無断で貰つて帰つた。
おばさんが筍を一本下さつた、うまい、うまい筍だつた、それほどうまいのに焼酎五勺が飲みきれなかつた!(明日は間違なく雨だよ!)
ほんたうに酒の好きな人に悪人がゐないやうに、ほんたうに花を愛する人に悪人はゐないと思ふ。
改造社の俳句講座所載、井師の放哉紹介の記録を読んで、放哉は俳句のレアリズムをほんたうに体現した最初の、そして或は最大の俳人であると今更のやうに感じたことである。
『刀鋒を以て斬るは敗る、刀盤を以て斬るは勝つ』捨身剣[#「捨身剣」に傍点]だ、投げだした魂の力を知れ。
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緑平老に
・ひさしぶり逢へたあんたのにほひで(彼氏はドクトルなり)
□
・梅雨晴の梅雨の葉のおちる
□
蠅取紙
・いつしよにぺつたりと死んでゐる
・山ふかくきてみだらな話がはづむ
・山ふところのはだかとなる
・のぼりつくして石ほとけ
・みちのまんなかのてふてふで
・あの山こえて女づれ筍うりにきた
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晩に土落《どろおと》し(田植済の小宴)、の御馳走を頂戴した(御相伴といふ奴だ)、煮しめ一皿、まだ飯一椀、私に下さる前に、牛が貰つたか知ら!(此地方は山家だから牛ばかりだ)
今朝はめづらしくどこからも来信がなかつた、さびしいと思つた、かうして毎日々々遊んでゐるのはほんたうに心苦しい、からだはつかはないけれど、心はいつもやきもきしてゐる、一刻も早く其中庵が建つやうにと祈つてゐる。……
近頃また不眠症にかゝつて苦しんでゐる、遊んで、しかも心を労する私としては、それは当然だらうて。
六月廿七日 同前。
曇、梅雨らしく。
朝蜘蛛がぶらさがつてゐる、それは好運の前徴だといはれる、しかし、今の私は好運をも悪運をも期待してゐない、だいたい、さういふものに関心をあまり持つてゐない、が、事実はかうだつた、東京から送金して貰つた、同時に彼女から嫌な手紙を受取つたのである。
二三日前からの寝冷がとう/\本物になつたらしい、発熱、倦怠、自棄――さういつた気持がきざしてくるのをどうしようもない。
小串へ出かける、月草と石ころとを拾うてきた、途中、老祖母の事が思ひだされて困つた、父と私と彼女と三人が本山まゐりした時の事が、……八鉢旅館の事、馬の水[#「馬の水」に傍点]の事。……
近来、妙な句ばかり出来る、私も老いぼれたのかも知れない、まだ老いぼれるには早すぎるが!
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・安宿のざくろたくさん花つけた
□
・六月六日、こゝにおちついた雨(追加)
蠅取紙
・大きな声で死ぬるほかない
鑿泉工事
・掘りさげる土の底からふきあがる
鮮人ルンペン
拾ふことの、生きることの、袋ふくれる
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六月廿八日 同前。
晴、時々曇る、終日不快、万象憂欝。
不眠が悪夢となつた、恐ろしい夢でなくて嫌な夢だから、かへつてやりきれない。
何もかも苦い、酒も飯も。
最後の晩餐[#「最後の晩餐」に傍点]! といふ気分で飲んだ、飲めるだけ飲んだ、ムチヤクチヤだ、しかもムチヤクチヤにはなりきれないのだ。
何といふみじめな人間だらうと自分を罵つた、――こんなにしてまで、私は庵居しなければならないのでせうか――と敬治君に泣言を書きそへた。
六月廿九日
晴、寝床からおきあがれない、悪夢を見つゞける外ない自分だつた。
寝てゐて、つく/″\思ふ、百姓といふものはよく働らくなあ、働らくことそのことが一切であるやうに働らいてゐる。
私は悔恨の念にたへなかつた。
六月卅日 同前。
曇、今日も門外不出、すこしは気軽い。
あさましい夢を見た(それは、ほんとうにあさましいものだつた、西洋婦人といつしよに宝石探検に出かけて、途中、彼女を犯したのだ!)。
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・かつと日が照り逢ひたうなつた
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私は、善良な悪人[#「善良な悪人」に傍点]に過ぎない。……
△ △ △ △
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自戒三条
一、自分に媚びるな
一、足らざるに足りてあれ
一、現実を活かせ
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いつもうまい[#「うまい」に傍点]酒を飲むべし、うまい酒は多くとも三合を超ゆるものにあらず、自他共に喜ぶなり。
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