ないもの」に傍点]、気取つていへば、在るもの[#「在るもの」に傍点]をそのまゝ人間的に活かすのである。
いつぞやは、缺げた急須を拾うて水入とし、空罎[#「罎」に「マヽ」の注記]を酢徳利とした、平ぺつたい石は文鎮に、形の好きなのを仏像の台座にした。
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・冴える眼に虫のいろ/\
・山ほとゝぎすいつしか明けた
・朝風、みんなうごく
・しめやかな山とおもへば墓がある
・春蝉に焼場の灰のうづたかく
    □
・よう泣く子につんばくろ
    □
・いつまで生きよう庵を結んで
・ありつたけ食べて出かける(行乞)
・食べるものもなくなつた今日の朝焼
   楠の森三句
 注連を張られ楠の森といふ一樹
・大楠の枝から枝へ青あらし
・大楠の枝垂れて地にとゞく花
    □
・蜂のをる花を手折る
・田植唄もうたはず植ゑてゐる
・ひつかけようとする魚のすい/\澄んで
・梅雨の月があつて白い花
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 六月十五日 同前。

午前は晴、午後は雨、これでどうやら本格的な梅雨日和となつた訳だ、空梅雨ではあるまいかと心配してゐた農夫の顔に安心と喜悦との表情が浮んでゐる、私も梅雨季は梅雨季らしい方を好いてゐる、行乞が出来ないので困ることは困るけれど。
昨日の夕方、私に下関への道を訊ねたルンペン(東京から歩いてきたといつた、歯切れのいゝ中年男だつた)の顔が、どういふ訳からか、今日まざ/\と思ひ浮べられた。
午前は松谷の松原を散歩した、一句も拾へなかつたが、石を一つ拾つた。
昨日今日はまことにきゆう/\うつ/\である、酒の代りにがぶ/\茶を飲み、たび/\湯にはいつた。……
酒をやめるよりも煙草はやめにくいといふ、まつたくその通りだ、胃さへいつぱいならば、酒を忘れてゐられるが、煙草は、手を動かし足を動かし、食べるたびに飲むたびに、歩く時も寝てゐる時も、一服やりたくなつて、やらずにはゐられない。
貧しさと卑しさとは仲のよい隣同士であることを体験した。
しばらくおたよりがないから気にかゝる、とI君がいつてきた(三日間ハガキを出さないものだから)、ハガキを買ふ銭もない、とは私の口からはいへない、それでなくても私は、貧乏を売物にしてゐるやうな気がして嫌でならないのだ、嘘をいふのは嫌だが、此場合、本当をかくことは私の潔癖が、或は見得坊が許さない、明日でも金が手に入つたら、工合がわるかつたものだから、とか何とかいつてごまかしておかうか(私はもつと、もつと卒直でなければならないのだけれど)。
小包が来た、酒壺洞君からだ、うれしかつた、君には嫌な半面がある代りに、極めて良い一面がある、まだ若いから仕方なからう。
こゝに滞留してゐて、また家庭といふものゝうるさいことを見たり聞いたりした、独居のさびしさは群棲のわずらはしさを超えてゐる。
このあたりは、ほんたうにどくだみが多い、どくだみの花を[#「を」に「マヽ」の注記]家をめぐり田をかこんで咲きつゞいてゐる。
自殺した弟を追想して悲しかつた、彼に対してちつとも兄らしくなかつた自分を考へると、涙がとめどもなく出てくる、弟よ、兄を許してくれ。
昨日も今日も連句の本を読む、連句を味ふために、俳句を全的に味ふために。
どうやら『其中庵の記』が書けさうになつた。
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・竿がとゞかないさくらんぼで熟れる
・花いちりん、風がてふてふをとまらせない
・梅雨の縞萱が二三本
    □
・水は澄みわたるいもりいもりをいだき
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だん/\心境が澄みわたることを感じる、あんまり澄んでもいけないが、近来あんまり濁つてゐた。
清澄[#「清澄」に傍点]、寂静[#「寂静」に傍点]、枯淡[#「枯淡」に傍点]、さういふ世界が、東洋人乃至日本人の、つゐの棲家ではあるまいか(私のやうな人間には殊に)。
柿、栗、蕗、筍、雑木、雑草、杜鵑、河鹿、蜩、等々々。
いづれも閑寂の味はひ[#「閑寂の味はひ」に傍点]である。
さみしい夜が、お隣の蓄音器によつて賑つた、唐人お吉、琵琶歌、そして浪花節だ、やつぱりおけさ節が一等よかつた。

 六月十六日 同前。

降りみ降らずみ、寝たり起きたり。
予期しないゲルトが少しばかり手に入つた、酒を買ふたり、頭を剃つたり、胡瓜もみをこしらへたり、いやはや忙しい事だつた、嬉しい事だつた。
土地借入について保證人になつて貰ふべく、森野老人を訪ねる、即座に快諾して下さつた。
森野老人に感謝すると同時に、木村幸雄さんに感謝しなければならない。
今夜、はじめて温泉饅頭を食べた、うまい、そしてたかい。
御飯とお香々、――ありがたし、ありがたし。
銭といふものの便利を感じすぎるほど感じた、私は金銀[#「金銀」に傍点]そのものを、その他の物[#「物」に傍点]以上に有難いとは思はない、貨幣は勤労の表徴[#「勤労の表徴」に傍点]として尊いのである、物の価値は物そのものにある[#「物の価値は物そのものにある」に傍点]。
今日といふ今日は、私として、最も有効に金を遣つたと思ふ。
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・働らき働らき牛を叱つて
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数日たまつてゐた返事を書いてだしたので、ほつとした、はがき十枚、手紙弐通。
五日ぶりに酒を飲んだが、あんまりうまくなかつた、うれしいやうでもあり、さびしいやうでもある、とにかく酒を清算することが私を清算することの第一歩であることはたしかだ。
久しぶりに、ほんたうに久しぶりに、今夜は水を飲んだ、うまくない水である、だいたい、川棚といふところは水がよくない、飲める井戸は数ヶ所しかない、これからは谷川の水を飲まう、水は私を清浄にする、私の生活から、むしろ、私の心から水をとりのぞけば、私はきたなくなるばかりだ。

 六月十七日 同前。

梅雨日和、終日読書、さうする外ないから。
アイバチといふ魚を買つた、十銭、うまくていやみがなかつた(ナマクサイモノを食べたのは、何日目だつたかな)、そしてうどん玉二つ、五銭、これもおいしかつた、今晩は近来の御馳走だつた。
このあたりも、ぼつ/\田植[#「田植」に傍点]がはじまつた、二三人で唄もうたはないで植ゑてゐる、田植は農家の年中行事のうちで、最も日本的であり、田園趣味を発揮するものであるが、此頃の田植は何といふさびしいことだらう、私は少年の頃、田植の御馳走――煮〆や小豆飯や――を思ひだして、少々センチにならざるを得なかつた、早乙女のよさも永久に見られないのだらうか。
お隣の蓄音器がまたうたひだした、浪花節、肉弾三勇士のなかの、赤い夕日に照らされて、の唄にはほろりとした、あのうたはたしかに我々の心にひゞく、大和民族の血潮を沸き立たせるものを持つてゐる、私にはヂヤズよりも快感を与へる。
土地借入には当村在住の保證人二名をこしらへなければならないので、嫌々ながら、自己吹聴をやり自己保證をやつてゐるのだが、さてどれだけの効果があるかはあぶないものだ、本人が本人の事をいふほどアテになるものはなく同時にアテにならないものもない。
一も金、二も金、三もまた金だ、金の力は知りすぎるほど知つてゐるが、かうして世間的交渉をつづけてゐると、金の力をあまり知りすぎる!
私の生活は――と今日も私は考へた――搾取[#「搾取」に傍点]といふよりも詐取[#「詐取」に傍点]だ、いかにも殊勝らしく、或る時は坊主らしく、或る時は俳人らしくカムフラーヂユして余命を貪つてゐるのではないか。
法衣を脱ぎ捨てゝしまへ、俳句の話なんかやめてしまへよ。
それにしても、やつぱりさみしい、さみしいですよ。
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 さみしいからだをずんぶり浸けた
・水田青空に植ゑつけてゆく
 人の声して山の青さよ
・一人で黙つて植ゑてゐる
 夏草いちめんの、花も葉も刈り
・とう/\道がなくなつた茂り
・ひとりきてきつゝき(啄木鳥)
・こゝの土とならうお寺のふくろう
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 六月十八日 同前。

快晴、梅雨季には珍らしいお天気でもあるし、ちようど観音日でもあるので、狗留孫山へ拝登、往復六里、山のよさ、水のうまさを久しぶりに味つた。
道を間違へて、半里ばかり岨路を歩いたのは、かへつてうれしかつた、岩に口づけて腹いつぱい飲んだ水、そのあたりいちめんにたゞようてゐる山気、それを胸いつぱい吸ひこんだ、身心がせいせいした。
狗留孫山修禅寺、さすがに名刹だけあるが、参詣者が多いだけそれだけ俗化してゐる、参道の杉並木、山門の草葺、四面を囲む青葉若葉のあざやかさ、水のうつくしさ、――それは長く私の印象として残るだらう。
田植を見て『土落し』を思ひだした、それは私が少年時代、郷里の農家に於ける年中行事の一つであつた、一日休んで田植の泥を落すのである、何といふ、なつかしい思出だらう。
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・朝戸あけるより親燕
・こゝもそこもどくだみの花ざかり
・水田たゝへようとするかきつばたのかげ
・梅雨晴れの山がちゞまり青田がかさなり
・つゝましくこゝにも咲いてげんのしようこ
    □
・お寺まで一すぢのみち踏みしめた
・うまい水の流れるところ花うつぎ
・山薊いちりんの風がでた
・水のほとり石をつみかさねては(賽の河原)
 霽れて暑い石仏ならんでおはす
 夏草おしわけてくるバスで
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昨日も今日もまたサケナシデー、すこし切ない。
近頃、ひとりごと[#「ひとりごと」に傍点]をいふやうになつた、年齢の加減か、独居のせいか、何とかいふ支那の禅師の話を思ひだしておかしかつたり、くやしかつたりしたことである。

 六月十九日 同前。

曇、時々照る、歩けば暑い、汗が出た、田部、岡林及、岡町行乞、往復六里、少々草臥れた。
朝の早いのは、私自身で感心する、今日も四時起床、一浴、読経回向、朝食、――六時まへに出立して三時すぎにはもう戻つて来た、山頭火未老!
今日の行乞相(十日目の行乞である)はよほどよかつたが、おしまひがすこしすなほでなかつた、反省すべし。
途中、菅生のところ/″\にあやめが咲いてゐた、『あやめ咲くとはしほらしや』である、山つゝじを折つてきた、野趣(山趣?)横溢、うれしい花である。
九州地方はよく茶をのむ、のみすぎる方だらう、隣家のものがちよつと来てもすぐ茶をくむぐらゐ、本県人、概して中国人はあまり茶をのまない、普通ならば、茶でも出さなければならない場合でも、ださないですましてゐる。
此地方には馬は見あたらない、牛ばかりだ、牛を先立てゝ、ゆつたりと歩いてゆく農夫の姿は、山村風景になくてはならないものだ。
此宿は気安くて深切で、ほんたうによろしいけれど、子供がうるさい、たつた一人の孫息子で、母親が野良仕事に精出すので、おばあさんが守をしてゐるが、彼女も忙しくて、そして下手糞だ、のみならず、此孫息子はかなりのヂラ(方言、駄々ツ児と同意義)、いやはや、よく泣く、泣く、誰よりも、それが私に徹[#「徹」に「マヽ」の注記]える、困る、ほんたうに困る。
笠から蜘蛛がぶらさがる、小さい可愛い蜘蛛だ、彼はいつまで私といつしよに歩かうといふのか、そんなに私といつしよに歩くことが好きなのかよ。
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・梅雨の満月が本堂のうしろから
・傾いた月のふくろうとして
    □
 けふから田植をはじめる朝月
・朝の虫が走つてきた
・朝月にもう一枚は植ゑてしまつた
・炎天の影ひいてさすらふ
 さみしい道を蛇によこぎられる
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今夜は行乞所得で焼酎を買ふことが出来た(十方の施主、福寿長久であれ、それにしても浄財がそのまゝアルコールとなりニコチンとなることは罰あたりである)、そしてほろ[#「ほろ」に傍点]/\酔ふた(とろ[#「とろ」に傍点]/\まではゆけなかつた、どろ[#「どろ」に傍点]/\へは断じてゆかない)。

 六月廿日 同前。

雨、梅雨もいよ/\本格的になつた、それでよい、それでよい、終日閉ぢ籠つて読書する、これが其中庵だつたら、どんなにうれしいだらう、それもしばらくのしんぼうだ、忍辱精進、その事、その事
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