パとボウヤ
旅の人とし休んでゐる栴檀の花や葉や
まいにちいちにち掘る音を聞かされる(温泉掘鑿)
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六月八日 同前、吉見行乞。
夜が明けきらないのに眼がさめたので湯へゆく、けふもよい日の星がキラ/\光つてゐる。……
朝湯千両[#「朝湯千両」に傍点]、朝酒万両[#「朝酒万両」に傍点]。
朝から子供が泣きわめく、あゝ、あゝ、あゝ。
吉見まで三里歩いて行乞三時間、また三里ひきかへす、私の好きな山道だからちつとも苦にならない。
満目の青山、汝の見るに任す、――といつた風景、いつまでもあかずに新緑郷を漫歩する。
農家は今頃よつぽど忙しい、麦刈り、麦扱ぎ、そして蚕だ、蚕に食はせるためには人間は食う隙がない、そして損だ!
今日の行乞相は最初悪くして最後がよかつた、彼等が悪いので私も悪かつた、私が善いので彼等も善かつた、行乞中はいつも感応[#「感応」に傍点]といふ事を考へさせられないことはない。
暑かつた、真ツ陽に照らされて、しばらく怠けてゐたゝめに。
禁札(世間師を拒絶する)いろ/\、今日の禁札は(吉見の一部では)婦人会の名に於て[#「婦人会の名に於て」に傍点]謝絶してあつた(私はいつもそんなものは無視して行乞するが)。
口で嘘をいふのは造作ないが、からだがホントウをいふ、いひかへれば、言葉よりも動作にヨリ真実的なものがある。
こゝはおもしろいところだ、妙青寺山門下の宿で、ドンチヤン騒ぎをやつてゐる、そしてしづかだ!
私は一人で墓地を歩くのが好きだ、今日もその通りだつた、いゝ墓があるね、ほどよく苔むしてほどよく傾いて。――
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・墓まで蔓草の伸んできた
□
水にはさまれて青草
・山畑かんらんやたらひろがる
・松かげ松かぜ寝ころんだ
・茅花穂に出てひかる
・山ゆけば水の水すまし
□
・地べた歩きたがる子を歩かせる
□
さみしうて夜のハガキかく
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川棚温泉の缺点は、風がひどいのと、よい水[#「よい水」に傍点]のないことだ、よい水を腹いつぱい飲みたいなあ!
大根一本一銭、キヤベツ一玉四銭だつた。
教育のない父が、貧乏な父が、とかく子にむつかしい、嫌味たつぷりの名をつける、気をつけて御覧、まつたくさうだから。
緑平老から、いつもかはらぬあたゝかいたよりがあつた、層雲六月号、そこには私のために井師のともされた提灯が照つてゐた。……
六月九日 同前。
晴、といつても梅雨空、暗雲が去来する。
今日は寺惣代会が開かれる日だ、そして私に寺領の畠を貸すか貸さないかが議せられる日だ。
昨夜もあまり睡れなかつたので、頭が重い。
アルコールよりカルモチン――まつたくさういふ気分になりつゝある、飲まないのではない、飲めなくなつたのだ(肉体的に)、意志が弱いと胃腸が強い、さりとはあんまり皮肉だつたが、その皮肉も真実[#「真実」に傍点]になつたらしい、少くとも事実[#「事実」に傍点]にはなつた、健全な胃腸は不健全な飲食物を拒絶する!
年をとると、身体のあちらこちらがいけなくなる、私は此頃、それを味はひつゝある。
川棚温泉には犬が多い、多すぎる。
野を歩いてゐたら、青蘆のそよいでゐるのに心をひかれた、こんなにいゝものがあるのに、何故、旅館とか料理屋とかは下らない生花に気をとられてゐるのだらう、もつたいない、明早朝さつそく私はそれを活けやう。
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・柿の葉柿の実そよがうともしない
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六月十日 同前。
晴、めづらしい晴だつたが、それだけ暑かつた。
朝、宿の主人が、昨夜の寺惣代会では、私の要求は否定されたといふ、私はしみ/″\考へた、そして嫌な気がした、自然と人間、個人と大地。……
野を歩いて青蘆を切つて来て活けた、何といふすが/\しさ、みづ/\しさぞ、野の草はみんなうつくしい、生きてゐるから。
つばくろがよくうたふ、此宿にも巣をかけて雛をかへしてゐる。
此宿もいろ/\の生き物を持つてゐる――人間の子、猫の子、燕の子、牛、私、そして花嫁さん!
彼女から送つてくれた荷物が来た、フトン、ヤクワン、キモノ、ホン、チヤワン、ヰハイ、サカヅキ、ホン、カミ、等、等、等。
その荷物の中から二通の手紙が出て来た、一つは彼に送金した為替の受取、他の一つはS子からのたより、前者はともかくも、後者はちよんびり私を動かした、悪い意味に於て、――なるほど、私は彼女が書いてゐるやうに、心の腐つた人[#「心の腐つた人」に傍点]であらうけれど、――これは故意か偶然か、故意にしては下手すぎる、私には向かない、偶然にしてはあまりに偶然だ。
子供が子猫をおもちやにして遊んでゐる、その子猫は首玉を握りしめられて半死半生になつてゐる、小さい暴君と小さい犠牲、人間の残忍と畜生の弱さだ。
夕方散歩する、いそがしい麦摺機の響、うれしさうな三味の音と唄声。
今日はいやにゲイシヤガールがうろ/\してゐる。
私の因縁時節到来[#「私の因縁時節到来」に傍点]! 緑平老へ手紙を書きつゝ、そんな感じにうたれた。
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ふたゝびこゝで白髪を剃る
どうでもこゝにおちつきたい夕月
・朝風の青蘆を切る
□
・これだけ残つてゐるお位牌ををがむ
□
・あるだけの酒のんで寝る月夜
・吠えてきて尾をふる犬とあるく
・まとも一つの灯はお寺
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昨夜は幾夜ぶりかでぐつすり眠つたが、今夜はまた眠れないらしい、ゼイタク野郎め!
若夫婦の睦言が、とぎれ/\に二階から洩れてくる、無理もない、彼等は新婚のほや/\だ。
どうしてもねむれないから、また湯にはいる、すべてが湯にとける、そしてすべてがながれてゆく。……
六月十一日 同前。
快晴、明日は入梅だといふのに、これはまた何といふ上天気だらう、暑い陽がきら/\照つた。
農家は今が忙しい真盛りだ、麦刈、麦扱(今は発動機で麦摺だが)、やがてまた苗取、田植。
しかし今年はカラツユかも知れない、此地方のやうな山村山田では水がなくて困るかも知れないな、どうぞさういふ事のないやうに。――
歯が悪くなつて、かへつて、物を噛みしめて食べるやうになつた(しようことなしに)、何が仕合になるか解つたものぢやない。
此宿の裏長屋に、仔猫が四匹生れてゐる、みんな可愛い姿態を恵まれてゐる、毎日、此宿の孫息子にいぢめられてゐるが、親猫は心配さうに鳴いてゐるより外ない、その仔猫を夕方、舞妓が数人連れて貰ひに来た、悪口いつては気の毒だが、仔猫仔猫を貰ひに来た、ソモサン!
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・からつゆから/\尾のないとかげで
いつしよにびつしより汗かいて牛が人が
・ゆふぐれは子供だらけの青葉
仔猫みんな貰はれていつた梅雨空
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また文なしになつた、宿料はマイナスですむが、酒代が困る、やうやくシヨウチユウ一杯ひつかけてごまかす。
やつぱり生きてゐることはうるさいなあ[#「やつぱり生きてゐることはうるさいなあ」に傍点]、と同時に、死ぬることはおそろしいなあ[#「死ぬることはおそろしいなあ」に傍点]、あゝ、あゝ。
六月十二日 同前。
曇、今日から入梅。
山を歩いて山つつじを採つて戻る、野の草といつしよに、――花瓶に活けて飽かず眺める。
川棚名物の『風』が吹きだした(湯ばかりが名物ぢやない)。
十六銭捻出して、十一銭は焼酎一合、五銭は撫子一包、南無緑平老如来!
リヨウマチ再発、右の腕が痛い。
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・明けてゆく鎌を研ぐ
・枝をおろし陽のあたる墓
・山の花は山の水に活けてをき
客となり燕でたりはいつたり
考へてをれば燕さえづる
・旅のペンサキも書けなくなつた
・ころげまはる犬らの青草
・ひとりの湯がこぼれる
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六月十三日 同前。
朝のうちは梅雨空らしかつたが、やがてからりと晴れた、そして風も相変らず吹いた。
三恵寺へまた拝登する、いかにも山寺らしい、坐禅石といふ好きな岩があつた、怡雲和尚(温泉開基、三恵寺中興)の墓前に額づく、国見岩といふ巨岩も見た、和尚さん、もつと観光客にあつてほしい。
酒はもとより、煙草の粉までなくなつた、端書も買へない、むろん、お香香ばかりで食べてゐる、といつて不平をいふのぢやない、逢茶喫茶[#「逢茶喫茶」に傍点]、逢酒喫酒の境涯だから[#「逢酒喫酒の境涯だから」に傍点]――しかし飲まないより飲んだ方がうれしい、吸はないより吸ふた方がうれしい、何となくさみしいとは思ふのである。
南無緑平老如来、御来迎を待つ!
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妙青禅寺
もう山門は開けてある
梅雨曇り子を叱つては薬飲ませる
子猫よ腹たてゝ鳴くかよ
子をさがす親猫のいつまで鳴く
仔牛かはいや赤い鉢巻してもろた
三恵寺
樹かげすゞしく石にてふてふ
迷うた山路で真赤なつゝじ
牛小屋のとなりで猫の子うまれた
・家をめぐつてどくだみの花
働きつめて牛にひかれて戻る
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今日は句数こそ沢山あるが、多少でも自惚のある句は一つもない、蒼天々々。
どうやら寺領が借れるらしい、さつそく大工さんと契約しよう、其中庵まさに出来んとす、うれしい哉。
六月十四日 同前。
晴、朝の野べから青草を貰つてきて活ける、おばさんから貰つて活けてをいた花は、すまないけれど、あまり感じよくないから。
青草はよい、葉に葉をかさねて、いき/\としてゐる。
来信数通、みんなうれしいたよりであるが、殊に酒壺洞君、緑平老、井師からの言葉はうれしかつた。
返事を書かうと思つても端書がない、切手を買ふ銭がない、緑平老への返事は急ぐので、やうやくとつておきの端書一枚を見つけて、さつそく書いた。
貧乏は望ましいものでないが、かういふ場合には、私でも多少の早敢[#「早敢」に「マヽ」の注記]なさを覚える。
嚢中まさに一銭銅貨一つ、読書にも倦いたし、気分も落ちつかないので、楠の森見物に出かける、天然記念保護物に指定されてあるだけに、ずゐぶんの老大樹である、根元に大内義隆の愛馬を埋葬したといふので、馬霊神ともいふ、ぢつと眺めてゐると尊敬と親愛とが湧いてくる。
往復二里あまり、歩いてよかつた、気分が一新された、やつぱり私には、『歩くこと』が『救ひ』であるのだ。
途上、切竹が捨てゝあつたので拾つて戻つた、小刀で削つて衣紋竹を拵らへた、その竹を活かしたのだが、ナマクサ法衣をひつかけられては、竹は泣くかも知れない。
河があつた、小魚が泳いでゐる、釣心がおこつた、いつか釣竿かたいでやつてきたい(漁猟の中では、私は釣が一番よいと思ふ、一番好きだ)。
君よ、ナマクサと嘲るなかれ、セツシヨウを説くなかれ、ナマクサ坊主は遂にナマクサ坊主なり!
うしろ姿は鬼、こちら向いたら仏だつた、これは或る日の行乞途上の偶感である。
君は不生産的[#「不生産的」に傍点]だからいけないと、或る人が非難したのに対して、俺は創造的[#「創造的」に傍点]だよと威張つてやつた。
けふもサケナシデーだつた、いやナツシングデーだつた、時々、ちよいと一杯やりたいなあと思つた、私は凡夫、しかも下下の下だ、胸中未穏在、それは仕方がない、酒になれ、酒になれ通身アルコールとなりきれば、それはそれでまたよろしいのだが、そこまでは達しえない、咄、撞酒糟漢め。
夕方また歩いた、たゞ歩いた。
自から嘲る気分から、自からあはれみ自からいたはる気分へうつりつゝある私となつた、さて、この次はどんな私になるだらうか。
いつからとなく私は『拾ふこと』を初めた、そしてまた、いつからとなく石を愛するやうになつた、今日も石を拾うて来た、一日一石[#「一日一石」に傍点]としたら面白いね。
拾う――といつても遺失物を拾ふといふのではない(東京には地見[#「地見」に傍点]といふ職業もあるさうだが)、私が拾ふのは、落ちたるもの[#「落ちたるもの」に傍点]でなくして、捨てられたもの[#「捨てられたもの」に傍点]、見向かれないもの[#「見向かれ
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