行乞記
(三)
種田山頭火
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)土落《どろおと》し
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一服|盛《モ》りましよか
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]した。
[#…]:返り点
(例)慎[#「慎」に傍点][#レ]独[#「独」に傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)だん/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−
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鶏肋抄
□霰、鉢の子にも(改作)
□山へ空へ摩訶般若波羅密多心経(再録)
□旅の法衣は吹きまくる風にまかす(〃)
雪中行乞
□雪の法衣の重うなる(〃)
□このいたゞきのしぐれにたゝずむ(〃)
□ふりかへる山はぐ[#「はぐ」に「マヽ」の注記]れて(〃)
――――
□水は澄みわたるいもりいもりをいだき
□住みなれて筧あふれる
鶏肋集(追加)
□青草に寝ころべば青空がある
□人の子竹の子ぐいぐい伸びろ(酒壺洞君第二世出生)
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六月一日 川棚、中村屋(三五・中)
曇、だん/\晴れて一きれの雲もない青空となつた、照りすぎる、あんまり明るいとさへ感じた、七時出立、黒井行乞、三里歩いて川棚温泉へ戻り着いたのは二時頃だつたらうか、木下旅館へいつたら、息子さんの婚礼で混雑してゐるので、此宿に泊る、屋号は中村屋(先日、行乞の時に覚えた)安宿であることに間違はないが、私には良すぎるとさへ思ふ。
すべてが夏だ、山の青葉の吐息を見よ、巡査さんも白服になつた、昨日は不如帰を聴き今日は早松茸を見た、百合の花が強い香を放ちながら売られてゐる。
笠の蜘蛛[#「笠の蜘蛛」に傍点]! あゝお前も旅をつゞけてゐるのか!
新らしい日、新らしい心、新らしい生活、――更始一新して堅固な行持、清浄な信念を欣求する。
樹明君からの通信は私をして涙ぐましめた、何といふ温情だらう、合掌。
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・ほうたるこいほうたるこいふるさとにきた
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此宿はよい、ていねいでしんせつだ、温泉宿は、殊に安宿はかういふ風でなければならない、ありがたい/\。
六月二日 同前。
雨、そして関門地方通有の風がまた吹きだした、終日、散歩(土地を探して)と思案(草庵について)とで暮らした。
午後、小串へ出かけて、必要缺ぐべからざるもの[#「必要缺ぐべからざるもの」に傍点]を少々ばかり買ふ。
山ほとゝぎす、野の花さま/″\。
老慈師から、伊東君から、その他から、ありがたいたよりがあつた。
隣室の奥さん――彼女はお気の毒にもだいぶヒステリツクである――から御馳走していたゞいた。
自己を忘ず[#「自己を忘ず」に傍点]――そこまで徹しなければならない。
こゝはうれしい、しづかにしてさびしくない[#「しづかにしてさびしくない」に傍点]。
だん/\酒から解放される、といふよりもアルコールを超越しつゝある、至祷至祝。
緑平老から貰つた薬を、いつのまにやら、みんな飲んでしまつた、私としては薬を飲みすぎる、身心がおとろへたからだらうが、とにかく薬を多く飲むほど酒を少く飲むやうになつたわい。
昨夜はよく寝られたのに、今夜はどうしても眠れない、暁近くまで読書した。
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家をさがすや山ほとゝぎす
月草いちめん三味線習うてゐる
・ばたり落ちてきて虫が考へてゐる
・旅のつかれの夕月がほつかり(改作再録)
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六月三日 同前。
雨、まるで梅雨のやうだ、歩いたり、考へたり、照会したり、交渉したり……、たゞ雨露を凌ぐだけの庵を結ぶのもなか/\である。
早朝、雷雨に起きて焼香し読経する。
温泉饅頭を坊ちやんに、心経講話をパパに送つてあげる(伊東君にあてゝ)。
夕方、一風呂浴びて一本傾けて、そしてぶら/\歩く、こゝにも温泉情調[#「温泉情調」に傍点]はある、カフヱーと自称するもの二軒、百貨店と自称するもの一軒、食堂二三軒、そこかしこに三味線の音がする、……いやまて、ビリヤード二軒、射的場も一軒ある。……
妙青寺拝登、長老さんにお目にかゝつて土地の事、草庵の事を相談する(義庵老慈師の恩寵を感じる)、K館主人にも頼む、すぐ俳句の話になる、彼氏も一風かはつた男だ、N館主人も[#「人も」に「マヽ」の注記]頼む、彼は何だか虫の好かない男だ、とにかく成行に任せる、さうする外ない私の現在である。
山はうつくしい、茶臼山から鬼ヶ城山へかけての新緑はとてもうつくしい、希くはそれをまともに眺められるところに庵居したいものだ。
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・鉄鉢かゞやく
・着飾らせて見せてまはつてゐる
・水音、なやましい女がをります
・暗さ匂へば螢
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夜、浴場で下駄をとりかへられた、どちらも焼杉(客用)だつたが、私の方がよかつた、宿に対して気の毒なので、穿き減らされた下駄の焼印を辿つて、その宿屋へ行つてとりかへしてきた、ちと足元に気をつけなさいと皮肉一口投げつけてをいて、――まことに脚下照顧[#「脚下照顧」に傍点]はむつかしい(此句は足元御用心とでも訳すべきだらう)。
今夜もまた睡れさうにないから、寝酒を二三杯ひつかけたが、にがい酒だつた、今夜の私[#「今夜の私」に傍点]としては。――
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アルコールよりカルモチン
ちよつと一服|盛《モ》りましよか
[#ここで字下げ終わり]
六月四日 同前。
曇后晴、読んだり歩いたり考へたり、そして飲んだり食べたり寝たり、おなじやうな日がつゞくことである。
午後、小串まで出かける、新聞、夏帽、シヨウガ、壺を買ふ、此代金五十一銭也。
帰途、八幡の木村さんから紹介されて、森野老人を訪ねる、初対面の好印象、しばらく話した、桑の一枝を貰つてステツキとする、久しぶりにうまい水を頂戴する、水はいゝなあ、先日来、腹中にたまつてゐたものがすーつと流れてしまつたやうにさへ感じた。
人は人中[#「人は人中」に傍点]、田は田中[#「田は田中」に傍点]、といひますから……とは老人の言葉だつた。
此宿も一日二日はよかつたが、三日四日と滞在してゐると、だん/\アラが見えてくる、だいたい嬶天下らしいが、彼女はよいとして亭主なるものは人好きの悪い、慾張りらしい、とにかく好感の持てるやうな人間ぢやない。
今夜も睡れない、ちよつと睡つてすぐ覚める、四時がうつのをきいて湯にはいる、そして下らない事ばかり考へる、もしこゝの湯がふつと出なくなつたら、……といつたやうな事まで考へた。
杜鵑がなく、『その暁の杜鵑』といふ句を想ひだした、私はまだ/\『合点ぢや』と上五をつけるほど落ちついてゐない。
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・梅雨雲の霽れまいとする山なみふるさと
仲よく連れて学校へいそぐ梅雨ぐもり
・どこまでも咲いてゐる花の名は知らない
・晴れきつた空はふるさと
旅から旅へ河鹿も連れて
更けて流れる水音を見出した
[#ここで字下げ終わり]
隣室の客の会話を聞くともなしに聞く、まじりけなしの長州辯だ、なつかしい長州辯、私もいつとなく長州人に立ちかへつてゐた。
カルモチンよりアルコール、それが、アルコールよりカルモチンとなりつゝある、喜ぶべきか、悲しむべきか、それはたゞ事実だ、現前どうすることもできない私の転換だ。
六月五日 同前。
朝は霧雨、昼は晴、夕は曇つて、そしてとう/\また雨となつた。
朝の草花――薊やらみつくさ[#「みつくさ」に傍点]やら――を採つてきて壺に投げ※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]した。
今日は日曜日であり、端午のお節句である、鯉幟の立つてゐる家では初誕生を祝ふ支度に忙しかつた(私のやうなものでも、かうして祝はれたのだ!)。
方々からたより[#「たより」に傍点]があつた、その中で、妹からのそれは妙に腹立たしく、I君からのそれはほんたうにうれしかつた(それは決して私が私情に囚はれたゝめではないことを断言する)。
隣室のヒステリー夫人ます/\ヒステリツクとなる、宿の人々も困り、私たちも困る。
萩の客人から、夏密[#「密」に「マヽ」の注記]柑についていろ/\の事を聞いた、柿と鴉と弓との話は面白かつた。
山下老人を訪ね、借りたい妙青寺の畠を検分する、夜、ふたゝび同道して寺惣代の武永老人を訪ねて、借入方を頼んだ。
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・おしめ影する白い花赤い花
おとなりが鳴ればこちらも鳴る真昼十二時
・お寺のたけのこ竹になつた
□
・こゝに落ちつき山ほとゝぎす(再作)
[#ここで字下げ終わり]
今夜もまた睡られないで困つた、困つた揚句は真夜中の湯にでもはいる外なかつた。
六月六日 同前。
雨風だ、こゝはよいところだが、風のつよいのはよくないところだ。
まるで梅雨季のやうな天候、梅雨もテンポを早めてやつてきたのかも知れない。
さみしさ、あつい湯にはいる、――これは嬉野温泉での即吟だが、こゝでも同様、さみしくなると、いらいらしてくると、しづんでくると、とにかく、湯にはいる、湯のあたゝかさが、すべてをとかしてくれる。……
安宿にもいろ/\ある、だん/\よくなるのもあれば、だん/\わるくなるのもある(後者はこの中村屋、前者はあの桜屋)、そして、はじめからしまゐまで、いつもかはらないのもある(この例はなか/\むつかしい)。
今夜はこの宿は夫婦喧嘩をして、やたらに子供を泣かしてゐる、坊や泣くな、お客がなくなるよ!
隣室の萩老人とおそくまで話す、話してゐるうちに、まざ/\といやしい自分を発見した。
鰒の中毒には、日本蝋[#「日本蝋」に傍点]、または、海賊のクロミ[#「海賊のクロミ」に傍点]が適薬ださうな、人助けのためにも覚えてをきたいと思つた。
源三郎君から来信、星を売り月を売る商売をはじめます(天体望遠鏡を覗かせて見料を取るのださうである)、これには私も覚えず微苦笑を禁じえなかつた。
[#ここから3字下げ]
捨てたものにしづかな雨ふる
[#ここで字下げ終わり]
六月七日 木下旅館(三〇・上)
転宿、チヨンビリ帰家穏座のこゝち。
壺を貸して下さつたので、すい葉とみつ草とを摘んで来て活ける、ほんによいよい。
午前は午[#「は午」に「マヽ」の注記]後は晴。
小串へ行つて、買物をする、財布を調べて、考へ考へ、あれこれと買つた、茶碗、大根おろし、急須、そして大根三本、茶一袋、――合計金四十三銭也、帰途、お腹が空いたので、三ツ角の茶店で柏餅を食べる、五つで五銭。
草花を摘みつゝ、柏餅を食べつゝ、酒を飲みつゝ、考へる。――
うつくしいものはうつくしい、うまいものはうまい、それが何であつても、野の草花であつても一銭饅頭であつてもいゝのである、物そのものを味ふのだから[#「物そのものを味ふのだから」に傍点]。
飲める時には、飲める間は飲んだがよいぢやあないか、飲めない時には、飲めなくなつた場合には、ほがらかに飲まずにゐるだけの修行が出来てゐるならば。
私も酒から茶へ[#「酒から茶へ」に傍点]向ひつゝあるらしい、草庵一風の茶味、それはあまりに東洋的、いや、日本的だけれど山頭的[#「頭的」に「マヽ」の注記]でないこともある。
茶道に於ける、一期一会[#「一期一会」に傍点]の説には胸をうたれた、そこまで到達するのは実に容易ぢやない。
日にまし命が惜しくなるやうに感じる、凡夫の至情[#「凡夫の至情」に傍点]だらう、かういふ土地でかういふ生活が続けられるやうだから!
此宿はよい、ホントウのシンセツ[#「ホントウのシンセツ」に傍点]がある、私は自炊をはじめた、それも不即不離の生活の一断面だ。
[#ここから2字下げ]
朝の水くみあげくみあげあたゝかい
・いちご、いちご、つんではたべるパ
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