ことも出来ないものである。

 七月十日

ほんとうによくふると、けさはおもつた、頭痛がしてぼんやりしてゐた。
夢精! きまりわるいけれど事実だから仕方がない、もつともそれだけ vital force が残つてるのだらう!
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 水をたゞようて桐一葉
・夕焼うつくしい旅路もをはり
    □
・青葉ふかくいち高い樹のアンテナ
・ゆふべのラヂオの泣きたうなつた
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 七月十一日

四時前に起きた、掃除して、湯にはいつて、朝課諷経してゐるうちに、やうやく夜が明けた。
すなほでない自分[#「すなほでない自分」に傍点]を見た、同時に自分の乞食根性を知つた。……
今日はどうやらお天気らしいので近在を行乞するつもりだつたが、どうしたわけか(酒どころか煙草すらのめないのに)、痔がわるくて休んだ、コツ/\三八九復活刊行の仕事をやつた。
晴れて急に暑くなつた、ぢつとしてゐて、汗がたら/\流れる、いよ/\真夏を感じる、私はどんなに暑くても苦しくても、冬よりは夏をえらぶ、私の肉体が寒さよりも暑さに対して抵抗強いからでもあるが、浴衣一枚で何のこだわりもない生活が好ましいからである。
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・ふたゝびこゝに花いばら散つてゐる
・この汽車通過、青田風
・旅の法衣がかわくまで雑草の風
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夜は妙青寺の真道長老を訪ねて暫時閑談、雪舟庭の暗さから青蟇の呼びかけるのはよかつた、螢もちらほら光る、すべてがしづかにおちついてゐる。
正法眼蔵啓迪を借りて戻る、これはありがたい本であり、同時におもしろい本である(よい意味で)。
また不眠だ、すこし真面目に考へだすと、いつも眠れなくなる、眠れなくなるやうな真面目は嘘だ、少くとも第二義的第三義的だ。
しかし不眠のおかげで、千鳥の声をたんまりと聴くことができた。
どこかそこらで地虫もないてゐる、一声を長くひいてはをり/\なく、夏の底の秋を告げるやうだ。

 七月十二日

雨、降つたり降らなかつたりだが、小月行乞はオヂヤンになつた、これでいよ/\空の空になつた。
啓迪[#「啓迪」に傍点]を読みつゞける、元古仏の貴族的気禀[#「元古仏の貴族的気禀」に傍点]に低頭する。……
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・なく蠅なかない蠅で死んでゆく
・長かつた旅もをはりの煙管掃除です
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ありがたい品物が到来した、それはありがたいよりも、私にはむしろもつたいないものだつた、――敬治君の贈物、謄写器が到来したのである、それは敬治君の友情そのものだつた、――私はこれによつてこれから日々の米塩をかせぎだすのである。
今夜も千鳥がなく、虫がなく。……

 七月十三日

雨、雨、雨、何もかもうんざりしてゐる、無論、私は茶もなく煙草もなく酒もなくてぼんやりしてゐるが。
正法眼蔵啓迪「心不可得」の巻拝読。
白雲去来、そして常運歩(其中庵は如何)。
とう/\我慢しきれなくなつて、おばさんからまた金二十銭借る、それを何と有効につかつたことか――郵券二銭一枚、ハガキ二枚、撫子一包、そして焼酎一合!
私もどうやらかうやらアルコールから解放[#「アルコールから解放」に傍点]されさうだ、といつて、カルモチンやアダリンはまつぴら/\。
午後、ぶら/\歩いて、谷川の水を飲んだり、花を摘んだりした、これではあまりに安易すぎる、といつて動くこともできない、すこしいら/\する。
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・ひとりなれば山の水のみにきた
・山の仏には山の花
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 七月十四日

曇、まだ梅雨模様である、もう土用が近いのに。
今日も、待つてゐる手紙がない、旅で金を持たないのは鋏をもがれた蟹のやうなものだ。手も足も出ないから、ぼんやりしてる外ない、造庵工事だつて、ちつとも、捗らない、そのためでもあるまいが、今日は朝から頭痛がする。……
山を歩く、あてもなしに歩きまはつた、青葉、青葉、青葉で、ところ/″\躑躅の咲き残つたのがぽつちりと赤いばかり。
めづらしく句もない一日[#「句もない一日」に傍点]だつた、それほど私の身心はいぢけてゐるのだらうか。

 七月十五日

一切憂欝、わづかに朝湯が一片の慰藉だ。
たゞ暑い、空つぽの暑さだ。
南無緑平老菩薩、冀はくは感応あれ。
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・暑く、たゞ暑くをる
・蜩のなくところからひきかへす
・あすはよいたよりがあらう夕焼ける
    □
・食べるもの食べきつたかなかな
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夕の散歩で四句ほど拾ふたが、今年はじめて蜩を聴いたのはうれしかつた、峰と峰とにかこまれたゆふべの松の木の間で、そこにもこゝにも蜩がしづかにしめやかに鳴きかはしてゐた(みん/\蝉は先日来いくたびも聴いたが)。

 七月十六日


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