た、――光風霽月だ。
これで今年は三本の歯がなくなつた訳である、惜しいとは思はないが、何となくはかない気持だ。
くちなしの花を活ける、花の色も香も好きである、野の貴公子といつた感じがある。
[#ここから2字下げ]
・ほつくりぬけた歯を投げる夕闇
・何だかなつかしうなるくちなしさいて
[#ここで字下げ終わり]

 七月七日

雨、空は暗いが私自身は明るい、其中庵[#「其中庵」に傍点]が建ちつゝあるのだから。――
しかし今日も行乞が出来ないので困る、手も足も出ない、まつたくハガキ一枚もだせない。
時々、どしやぶり、よう降るなあ!
昨日も今日も、そして明日も恐らくは酒なし日。
どこの家庭を見ても、何よりも亭主の暴君ぶりと妻君の無理解とが眼につく、そしてそれよりも、もつと嫌なのは子供のうるさいことである。
歯痛がやんだら手足のところ/″\が痛みだした、一痛去つてまた一痛、それが人生だ!
[#ここから2字下げ]
・くもりおもたくおのれの体臭
・けさはあめの花いちりん
・畦豆も伸びあがる青田風
・雨の山越え苗もらひに来た
・青田青田へ鯉児を放つ
[#ここで字下げ終わり]

 七月八日

雨、少しづゝ晴れてくる。
痔[#「痔」に傍点]がよくなつた、昨春以来の脱肛が今朝入浴中ほつとりとおさまつた、大袈裟にいへば、十五ヶ月間反逆してゐた肉塊が温浴に宥められて、元の古巣に立ち戻つたのである、まだしつくりと落ちつかないので、何だか気持悪いけれど、安心のうれしさはある。
とにかく温泉の効験があつた、休養浴泉の甲斐があつたといふものだ、四十日間まんざら遊んではゐなかつたのだ。
建ちさうで建たないのが其中庵でござる[#「建ちさうで建たないのが其中庵でござる」に傍点]、旅では、金がなくては手も足も出ない。
ゆつくり交渉して、あれやこれやのわずらひに堪へて、待たう待たう、待つより外ない。
臭い臭い、肥臭い、こゝでかしこで肥汲取だ、西洋人が、日本は肥臭くて困るといふさうだが、或る意味で、我々日本人は糞尿の中に生活してる[#「我々日本人は糞尿の中に生活してる」に傍点]!
[#ここから2字下げ]
・朝の道をよこぎるや蛇
・朝しづくの一しづくである
    □
 田植じまひは子を連れて里へ山越えて
    □
・梅雨あかり、ぱつと花のひらきたる
    □
・鯉の児放つや青田風
・曇の日、釣りあげたはいもり
    □
・墓から墓へ夕蜘蛛が網を張らうとする
・墓に紫陽花咲きかけてゐる
・夕焼小焼牛の子うまれた
・家をめぐり蛙なく新夫婦である
[#ここで字下げ終わり]

 七月九日

空は霖雨、私は不眠、相通ずるものがあるやうだ。
あの晩からちつとも飲まないので、一杯やりたくなつた!
星城子さんの厚情によつて、飯田さん仙波さん寄与の懐中時計が到着した、私が時計を持つといふことは似合はないやうでもあるが、すでに自分の寝床をこしらへつゝある今日、自分の時計を持つことは自然でもあらう(その時計の型や何かは、私の望んだほど時代おくれでもなくグロテスクでもなけれど、三君あればこそ私の時計があつたのである、ありがたい/\、たゞ口惜しいのはチクタクがちよい/\と睡ることである、まさか、私のところに来たといふので、酔つぱらつたのでもあるまい!)。
動かない時計はさみしく、とまる時計はいらだゝしいものである。
うれしいたよりが二つあつた、樹明君から、そして敬治君から。
花ざくろを活ける、美しい年増女か!
石を拾ふついでに、白粉罎を拾うた、クラブ美の素といふレツテルが貼つてあつた、洗つても洗つてもふくいく[#「ふくいく」に傍点]としてにほふ、なまめかしい、なやましいにほひだ、しかし酒の香ほどは好きでない、むろん嫌いではない、しばらくならば(これは印肉入にする)。
夕方になつて腹が空いてくると、ひつかけたくなる、大急ぎで、詰めこんで、アルコール虫をママで抑へつけた!
[#ここから2字下げ]
・おちつかない朝の時計のとまつてる
・旅路はいろ/\の花さいて萩
[#ここで字下げ終わり]
夜は宿の人々と雑談する、行乞の話、酒の話、釣の話、等、等、――此家の人々はみんな好人物である、かういふ人々と親しくして余生を送ることができるやうになつた私の幸福を祝さう。
当地に草庵をつくるについて、今更のやうに教へられたことは、金の魅力、威力、圧力、いひかへれば金のきゝめ[#「金のきゝめ」に傍点]であつた。
私は私にふさはしくない、といふよりも不可能とされてゐた貯金[#「貯金」に傍点]を始めることになつた、保證人に対する私の保證物として!(毎月壱円)
そして、私がしみ/″\と感じないではゐられないことは、仏教の所謂、因縁時節[#「因縁時節」に傍点]である、因縁が熟しなければ、時節が来なければ、人生の事はどうする
前へ 次へ
全33ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング