いたので読書してゐた、しかし何としても頭がいたいので、夕方、それは四時すぎだつた、ぶらりと釣竿と魚籠《ビク》とを持つて出かけた、そして草の上の樹蔭によい場所があつたので、そこへしが[#「しが」に「マヽ」の注記]んで、釣ることよりも考へることをつゞけてゐた、ちつとも釣れない、やうやく雑魚一尾釣りあげたきりなので、見切をつけて戻つてくる、樹明さんが待つてゐた、草刈の寸暇をぬすんで(草刈男、墓刈番は[#「墓刈番は」はママ]こちらにあります)、鮒の洗身を持つてきて下さつた。
やあ、やあで十分である、それだけで一切が通じる、草刈姿と芋の葉と鮒、――日本的百パアである。
例によつて一杯のんだ(焼酎二合)、そして別れた。
……ふと眼がさめて見たら十時半だつた、本式に寝て、二度目の眼がさめたのが四時、それからそれへ。……
昨夜、樹明兄を見送つて、日記を書きはじめたのは覚えてゐる、書いてゐるうちに前後不覚になつたらしい。
意識がなくなる、といつては語弊がある、没意識[#「没意識」に傍点]になるのである(それは求めて与へられるものぢやない、同時に、拒んで無くなるものでもない)。
その日記を通して自己勘検をやつてみる。
案山子二つ、……赤いとあるだけではウソだ。
その前のところに、――即今無――とある、無意味だ、といふよりも缺陥そのものだ、無無無[#「無無無」に傍点]といつた方がよいかも知れない、とにかくムーンだから!
辛子漬《カラシヅケ》云々は、私といふ人間が御飯ぐらゐは炊けることを証明した事実である。
雑草の句の下の文句が百姓とあるのは、用意のない嫌味だ、それだけに却つて嫌味たつぷり。
お祭の句なんどは全然問題にならない。
その他の句は、長門峡とか、時計とか赤いとか、何とかかとかうるさいばかりだ。
昨日の今日で頭がわるくない、痔もわるくない、腹も胃も、手も足も、――あゝすこしばかり行乞流転したい。
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改
お祭ちかい朝の道を大勢で掃いてゆく
・萩の一枝にゆふべの風があつた
曇り日の時計かつちりあつてゐる
案山子、その一つは赤いべゞ着せられてゐる
改訂再録
・とかくして秋雨となつた
鶏頭の赤さ並んでゐる
・咲いて萩の一枝に風がある
けふからお祭の朝の道みんな
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