だす、木の葉猿。
宿の子供にお年玉を少しばかりやつた、そして鯉を一尾家の人々におごつた。
嚢中自無銭、五厘銅貨があるばかり。
酒壺洞文庫から借りてきた京洛小品を読む、井師の一面がよく出てゐる、井師に親しく面したやうな気持がした。
飲んで寝て食べて、読んで考へて、そして何にもならない新年だつたが、それでよろしい。
私が欣求してやまないのは、悠々として迫らない心である、渾然として自他を絶した境である、その根源は信念であり、その表現が句である、歩いて、歩いて、そこまで歩かなければならないのである。
一月二日[#「一月二日」に二重傍線] 時雨、行程六里、糸田、緑平居。
今日は逢へる――このよろこびが私の身心を軽くする、天道町(おもしろい地名だ)を行乞し、飯塚を横ぎり、鳥尾峠を越えて、三時にはもう、冬木の坂の上の玄関に草鞋をぬいだ。
この地方は旧暦で正月をする、ところ/″\に注連が張つてあつて国旗がひら/\するぐらゐ、しかし緑平居に於ける私はすつかりお正月気分だ。
[#ここから3字下げ]
風にめさめて水をさがす(昨夜の句)
[#ここで字下げ終わり]
自戒三則――
[#ここから2字下げ]
一、腹を立てないこと
二、嘘をいはないこと
三、物を無駄にしないこと(酒を粗末にするなかれ!)
[#ここで字下げ終わり]
今日は、午前は冬、午後は春だつた。
一月三日[#「一月三日」に二重傍線] 晴曇さだめなし、緑平居。
終日閑談、酒あり句あり、ラヂオもありて申分なし。
[#ここから2字下げ]
ボタ山の間から昇る日だ
・ラヂオでつながつて故郷の唄
[#ここで字下げ終わり]
香春岳は見飽かぬ山だ、特殊なものを持つてゐる、山容にも山色にも、また伝説にも。
一月四日[#「一月四日」に二重傍線] 晴、行程わづかに一里、金田、橋元屋(二五・上)
朝酒に酔つぱらつて、いちにち土手草に寝そべつてゐた、風があたゝかくて、気がのび/\とした。
夜もぐつすり寝た。
此宿の食事はボクチンにはめづらしいものだつた。
一月五日[#「一月五日」に二重傍線] 晴、行程九里、赤間町、小倉屋(三〇・中)
歩いた、歩いて、歩いて、とう/\こゝまで来た、無論行乞なんかしない、こんなにお天気がよくて、そして親しい人々と別れて来て、どうして行乞なんか出来るものか、少しセンチになる、水をのんでも涙ぐましいやうな気持になつた。
一月六日[#「一月六日」に二重傍線] 晴、行程三里、神湊、隣船寺。
赤間町一時間、東郷町一時間行乞、それから水にそうて宗像神社へ参拝、こんなところにこんな官幣大社があることを知らない人が多い。
神木楢、石牌無量寿仏、木彫石彫の狛犬はよかつた。
水といつしよに歩いてゐさへすれば、おのづから神湊へ出た、俊和尚を訪ねる、不在、奥さんもお留守、それでもあがりこんで女中さん相手に話してゐるうちに奥さんだけは帰つて来られた、遠慮なく泊る。
[#ここから2字下げ]
・蘭竹もかれ/″\に住んでゐる
咲き残つたバラの赤さである
・つきあたつて墓場をぬけ
[#ここで字下げ終わり]
一月七日[#「一月七日」に二重傍線] 時雨、休養、潜龍窟に蛇が泊つたのだ。
雨は降るし、足は痛いし(どうも脚気らしい)、勧められるまゝに休養する、遊んでゐて、食べさせていたゞいて、しかも酒まで飲んでは、ほんたうに勿躰ないことだ。
[#ここから2字下げ]
・松のお寺のしぐれとなつて
・遠く近く波音のしぐれてくる
[#ここで字下げ終わり]
一月八日[#「一月八日」に二重傍線] 雪、行程六里、芦屋町 [#「 」に「マヽ」の注記] (三〇・下)
ぢつとしてゐられなくて、俊和尚帰山まで行乞するつもりで出かける、さすがにこのあたりの松原はうつくしい、最も日本的な風景だ。
今日はだいぶ寒かつた、一昨六日が小寒の入、寒くなければ嘘だが、雪と波しぶきとをまともにうけて歩くのは、行脚らしすぎる。
[#ここから2字下げ]
・木の葉に笠に音たてゝ霰
・鉄鉢の中へも霰
[#ここで字下げ終わり]
こゝの湯銭三銭は高い、神湊の弐銭があたりまへだらう、しかし何といつても、入浴ほど安くて嬉しいものはない、私はいつも温泉地に隠遁したいと念じてゐる、そしてそれが実現しさうである、万歳!
この宿もよくない、ボクチンには驚ろくほどのちがひがある、すまないと思ふほど優遇してくれるところもあれば、木石かと思ふほど冷遇するところもある、ボクチンのいゝところは、独善主義でやりぬけるところだらう。
同宿の二人の朝鮮人のうち、老鮮人は風采も態度もすべて朝鮮人的で好きだつた、どうぞ彼の筆が売れるやうに。
もう一人の同宿者もおもしろかつた、善良な世間師だつた、相当に物事を知つてる人だつた、早くから床を並べて話し続けた。
途上で、
前へ
次へ
全38ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング