いへない冷たいものだ。
今日はさすがの私も飲まなかつた(飲んだのはアルコールでなくて水ばかりだつた)、飲みたくもなく、また飲めもしなかつた。
早く嬉野温泉に落ちつきたい、そして最少限度の要求に於て、最少範囲の情実に於て余生を送りたい。
三月廿八日[#「三月廿八日」に二重傍線] 曇后晴、病痾やゝ怠る、宿は同前、滞在。
午近くまで寝てゐたが、行乞坊主が行乞しないのは一種の堕落だと考へて、三時間ばかり市街行乞、今日一日の生存費だけ頂戴した、勿躰ないことである、壮健な男一匹が朝から晩まで働らき通して八十銭位しか与へられないではないか(日傭人足)、私は仏陀の慈蔭、衆生の恩恵に感謝せずにはゐられないのである(これを具体的にいへば袈裟のおかげである)。
今日は少しばかり飲んだ、昨日一日だけ飲まなかつたのが、一ヶ年間禁酒してゐたやうに感じた(いつぞや三日ばかり禁酒してゐた時はそんなに感じなかつたのに)、ほんたうに、酒好きの酒飲みは助からない、救はれない。
今日、行乞中、いたゞかなければならない一銭をいたゞかなかつた、そしていたゞいてはならない五十銭をいたゞかなかつた――行乞相はよかつたのである、与へられるだけ、与へられるまゝに受けるべき行乞でなければならない、行乞はほんたうにむづかしいと思ふ。
こゝには滞在しすぎた、シケたゝめでもある、病んだゝめでもある、しかしだらしなかつたゝめでもある、明朝は是非出立しよう。
夜に入つてからまた雨となつた、風さへ加はつた、雨は悪くないけれど、風には困る、雨は身心を内に籠らせる、風は身心を外へ向はしめる、風は法衣を吹きまくるやうに、私自身をも吹きまくる、旅人に風はあまりに淋しい。
今夜の同宿者はタケの三人連れ(タケとは尺八の事、随つて虚無僧の事)、何の彼のと喧嘩ばかりしてゐる、他の男は家出した息子を探してゐるといふ、こゝにも性の問題、血縁の問題がある、私は気の毒に思ふと同時にあさましく感じる。
独り住むほど寂しきはなくまた安らけきはない、そして私に於てはその安らかさが寂しさを償うて余りあり。……
[#ここから1字下げ、折り返して7字下げ]
三月廿九日[#「三月廿九日」に二重傍線] からりと晴れてゐる、まだ腹工合はよくないが、いよいよ出立した、停滞する勿れ、行程三里、相ノ浦、川添屋(三〇・中)
[#ここから3字下げ]
物乞ふとシクラメンのう
前へ
次へ
全75ページ中40ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング