ない、あたゝかい方々ばかりだつた。
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闘牛児居即詠
・ひとりで生え伸びて冬瓜の実となつてゐる
花柳菜たくさん植えて職が見つからないでゐる
垣根へ□□げられた芙蓉咲いて
・朝の茶の花二つ見つけた
・菊一株のありてまだ咲かない
可愛い掌《テ》には人形として観音像
すこし風が出てまづ笹のそよぐ
子供むしつては花をならべる
日を浴びて何か考へてござる
紅足馬居即事
お約束の風呂の煙が秋空へ
・夕顔白くまた逢うてゐる
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十月廿二日[#「十月廿二日」に二重傍線] 曇、行程三里、福島、富田屋(三〇・上)
おだやかな眼ざめだつた、飲み足り話し足り眠り足つたのである、足り過ぎて、疲れと憂ひとを覚えないでもない、人間といふものは我儘な動物だ。
八時出立、途中まで紅闘二兄が送つて下さる、朝酒の酔が少しづゝ出てくる、のらりくらり歩いてゐるうちに、だるくなり、ねむくなり、水が飲みたくなり、街道を横ぎらうとして自動車乗りに奴鳴りつけられたりする(彼があまりに意地悪い表情をしたので、詫の言葉が口から出なかつた)、二里ばかり来て、路傍の林の中へ分け入つて一寝入り、それからお辨当を食べる、バツトと朝日とをかはる/″\喫ふ、みんな紅足馬さんからの贈物である。
少しばかり行乞して、この宿の前へ来たので、すぐ泊る、合[#「合」に「マヽ」の注記]客は多いけれど、みんな好人物、そして家の人々も好人物、のんきに話し合ひ笑ひ合ふ、今夜は飲まなかつた、さすがに昨夜は飲み足りたのだ。
油津で同宿したことのある尺八老とまた同宿になつた、髯のお遍路さんは面白い人だ、この人ぐらい釣好きはめつたにあるまい、修行そつちのけ、餌代まで借りて沙魚釣だ、だいぶ釣つて来たが自分では食べない、みんな人々へくれてやるのである、――ずゐぶん興味のある話を聞いた、沙魚の話、鯉の話、目白飯の話、鹿打失敗談、等、等、等――彼はさらに語る、遍路は職業としては二十年後てゐる、云々、彼はチヤームとか宣伝とか盛んにまた新しい語彙を使ふ。
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・ふりかへらない道をいそぐ
・吠える犬吠えない犬の間を通る
・何となくおちつけない顔を洗ふ
草の中の犬ころはもう死んでゐる
落葉しいて寝て樹洩れ日のしづか
山に寝そべれば山の蚊が
・草鞋かろく別れの言葉もかろく
そのおべんたうをかみしめてあなたがたのこと
いたゞいたハガキにこま/″\書いておくる
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十月廿三日[#「十月廿三日」に二重傍線] 曇、雨、佐土原町行乞、宿は同前。
あぶないお天気だけれど出かける、途中まで例の尺八老と同行、彼はグレさんのモデルみたいな人だ、お人好しで、怠け者で、酒好きで、貧乏で、ちよい/\宿に迷惑もかけるらしい。
降りだしたので正味二時間位しか行乞出来なかつた、やつと宿銭と飯米とを貰つて帰つてきた、一杯ひつかけたのと尺八老に一杯あげたのとだけは食ひ込みだ、煙草は貰つてきた朝日とバツト、それも一本づつ同宿者におせつたいした。
行乞中、不快事が一つ、快心事が一つ、或る相当な呉服店の主人の非人情的態度と草鞋を下さつたお内儀さんの温情とである(草鞋は此地方に稀なので殊に有難かつた)。
シヨウチユウと復縁したおかげで、朝までぐつすりと寝た、金もなく心配もなしに。
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めくらの爺さんで唄うたうてゐる
穿いて下さいといふ草鞋を穿いて
笠に巣喰うてゐる小蜘蛛なれば
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まだ孤独気分にかへれない、家庭気分を嗅いだ後はこれだから困る、一人になりきれ、一人になりきれ。
十月廿四日[#「十月廿四日」に二重傍線] 雨、滞在、休養、宿は勿論同前(上)
雨、風まで吹く、同宿者七人、みんな文なしだから空を仰いで嘆息してゐる、しかし元来のんき人種だから、火もない火鉢を囲んで四方八方の話に笑ひ興じる(たゞし例の釣好きのお遍路さんはお札くばりの爺さんから餌代五銭出して貰つて出かけた、そして沙魚三十尾ばかりの獲物を提げて得々として帰つて来た、私もその一二尾の御馳走になつた)。
長い退屈な一日だつた、無駄話は面白いけれど、それも続けると倦いてくる、――ヤキ宿で死んでいつた人の話はみんなをしんみりさせた、そしてめい/\の臨終の有様を心に描かせら[#「せら」に「マヽ」の注記]しい、鯉を盗んで、それをその所有者に食べさせた話はみんなを腹から笑はせた、旅籠に泊つて金が足らないでびく/\した話、雨に濡れながら門附けした話、テキヤとヘンロとの合同金儲けの話などもとりどりに興味ふかく聞くことが出来た。
晩酌には、同病相憐むといつた風で、尺八老に一杯おせつたいした、彼の笑顔は焼酎一合のお礼としては勿躰ないほどよかつた。
明日は晴れる、晴れてくれ、晴れなければ困るといふ気分で、みんな早くから寝た、私だつて明日も降つたら、宿銭はオンリヨウだ(オンリヨウとはマイナスの隠語である)。
十月廿五日[#「十月廿五日」に二重傍線] 晴曇、行程三里、高鍋町、川崎屋(三五・中上)
晴れたり曇つたり、かはりやすい秋空だつた、七時過ぎ出発する、二日二夜を共にした七人に再会と幸福を祈りつゝ、別れ/\になつてゆく。
私はひとり北へ、途中行乞しつゝ高鍋まで、一時過ぎに着く、二時間ばかり行乞、此宿をたづねて厄介になる、聞いた通りに、気安い、気持よい宿である。
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山風澄みわたる笠をぬぐ
蓮の葉に雨の音ある旅の夕ぐれ
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今日は酒を慎しんだ、酒は飲むだけ不幸で、飲まないだけ幸福だ、一合の幸福は兎角一升の不幸となりがちだ。
今夜は相客がたつた一人、それもおとなしい爺さんで、隣室へひつこんでしまつたので、一室一人、一燈を分けあつて読む、そして宿のおばあさんがとても人柄で、坊主枕の安らかさもうれしかつた。
世間師がいふ晩の極楽飯、朝の地獄飯は面白い、晩はゆつくり食べたり飲んだり話したりして寝る楽しみに恵まれてるが、朝はいそがしく食べて嫌がられる労働をくりかへさなければならないのである、いね/\と人にいはれつ年の暮(路通)のみじめさを毎日味ははなければならないのである。
修行者の集つたところでは、その話題はいつもきまつてゐる、曰く宿のよしあし、手の内のよしあし、そしてお天気のよしあし、また世間師の享楽もきまつてゐる、寝る事と食べる事、少し甲斐性のあるのが、飲む事、景気のいゝのが、買ふ事打つ事。
十月廿六日[#「十月廿六日」に二重傍線] 晴、行程四里、都濃町、さつま屋(三〇・中上)
ほんとうに秋空一碧だ、万物のうつくしさはどうだ、秋、秋、秋のよさが身心に徹する。
八時から十一時まで高鍋町本通り行乞、そして行乞しながら歩く、今日の道は松並木つゞき、見遙かす山なみもよかつた、四時過ぎて都濃町の此宿に草鞋をぬぐ、教へられた屋号は「かごしまや」だつたが、招牌には「さつまや」とあつた、隣は湯屋、前は酒屋、その湯にはいつて、その酒屋へ寄つて新聞を読ませて貰つた。
此宿もわるくない(昨日の宿は五銭高い以上のものがあつたが)、掃除の行き届いてゐるのが何よりも気持がよい、軒先きを流れる小川の音がさう/\として聞えるのもよい。
米の安さ、野菜の安さはどうだ、米一升十八銭では敷島一個ぢやないか、見事な大根一本が五厘にも値しない、菜葉一把が一厘か二厘だ、私なども困るが――修業者はとてもやつてゆけまい――農村のみじめさは見てゐられない。
行乞相はよかつたりわるかつたり、恥づかしいけれどそれが実相が[#「が」に「マヽ」の注記]仕方がない、持寂定ならばそれは聖境だ、私は右したり左したり、上つたり下つたり、倒れたり起きたり、いつも流転顛動だ。
たま/\鏡を見る、――何といふ醜い黒い顔だらう、この顔を是認するほど私の心地はまだ開けてゐない、可憐々々。
途上、店頭で柚子を見つけて一つ買つた、一銭也、宿で味噌を分けて貰つて柚子味噌にする、代二銭也。
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・まつたく雲がない笠をぬぎ
よいお天気の草鞋がかろい
警察署の芙蓉二つ三つ咲いて
・秋空、一点の飛行機をゑがく
・見あぐればまうへ飛行機の空
・けふのべんとうは橋の下にて
旅の法衣で蠅めがつるむ
刈田の青草ぐい/\伸びろ
・大石小石かれ/″\の水となり
もぎのこされた柿の実のいよ/\赤く
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早く寝たが、蚤がなか/\寝せない、虱はまだゐないらしい、寝られないまゝに、同宿の人々の話を聞く、競馬の話だ、賭博本能が飲酒本能と同様に人生そのものに根ざしてゐることを知る(勿論、色、食の二本能以外に)。
十月廿七日[#「十月廿七日」に二重傍線] 晴、行程三里、美々津町、いけべや(三〇・中)
いゝお天気である、午前中は都農町[#「都農町」はママ]行乞、それからぼつ/\歩いて二時過ぎ美々津町行乞、或る家で法事の餅をよばれる、もつと行乞しなければ都合が悪いのだが、嫌になつたので、丁度出くわした鮮人の飴売さんに教へられて此宿に泊る、予期したよりもよかつた。
けさはまづ水の音に眼がさめた、その水で顔を洗つた、流るゝ水はよいものだ、何もかも流れる、流れることそのことは何といつてもよろしい。
同宿者の一人、老いかけやさんは異色があつた、縞のズボンに黒の上衣、時計の鎖をだらりと下げてゐる、金さへあれば飲むらしい、彼もまた『忘れえぬ人々』の一人たるを失はない。
途上、がくね[#「ね」に「マヽ」の注記]んとして我にかへる――母を憶ひ弟を憶ひ、更に父を憶ひ祖母を憶ひ姉を憶ひ、更にまた伯父を憶ひ伯母を憶ひ――何のための出家ぞ、何のための行脚ぞ、法衣に対して恥づかしくないか、袈裟に対して恐れ多くはないか、江湖万人の布施に対して何を酬ゐるか――自己革命のなさざるべからざるを考へざるを得なかつた(この事実については、もつと、もつと、書き残しておかなければならない)。
村の共同浴場、一銭風呂といふのを宿のおばさんに教へられて、行つてみたが駄目だつた、まだ沸いてゐなかつた、それにしても丘をのぼり、墓場を抜け、農家の間を抜けて、風呂場へ行くとは面白いではないか。
今日も此宿で、修行遍路ではやつてゆけない実例と同宿した、こんなに不景気で、そしてこんなに米価安では誰だつて困る、私があまり困らないですむのは、袈裟の功徳と、そして若し附け加へることを許されるならば、行乞の技巧とのためである。
入浴、そして一杯ひつかける、――これで今日の命の終り!
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・ひとりきりの湯で思ふこともない
旅のからだでぽり/\掻く
[#ここで字下げ終わり]
十月廿八日[#「十月廿八日」に二重傍線] 曇、雨、行程三里、富高町、成美屋(特二五・上)
おぼつかない空模様である、そしてだいぶ冷える、もう単衣ではやりきれなくなつた、君がなさけの袷を着ましよ!
行乞には早すぎるので(四国ではなんぼ早くてもかまはない、早くなければいたゞけない、同行が多いから)、紅足馬さんから貰つてきた名家俳句集を読む、惟然坊句集も面白くないことはないけれど、隠者型にはまつてゐるのが鼻につく、やつぱり良寛和尚の方がより親しめる。
八時から十一時まで美々津町行乞、とう/\降りだした、濡れて峠を越える、三度も四度も雨やどりして、此宿についたのが四時、お客さんでいつぱいなので裏の隠宅――といへば名はいゝがその実はバラツク小屋――に泊めてもらう、相客は老遍路さん一人、かへつて遠慮がなくてよろしい。
今日の行乞相は、現在の私としては、まあ満点に近い方だつた、我といふものがなかつたとはいへないが、ないに近い方だつた、そして泊つて食べる(その上に酒一本代)だけは頂戴することが出来た。
[#ここから2字下げ]
・墓がならんでそこまで波がおしよせて
いざり火ちら/\して旅はやるせない
やるせない夢のうちから鐘が鳴りだした
朽ちてまいにち綻びる旅の法衣だ
眼がさめたら小さくなつて寝ころんでゐた
覗いてる豚の顔にも秋風
・
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