けふのべんたうも草のうへにて
 波の音しぐれて暗し
 食べてゐるおべんたうもしぐれて
 朝寒夜寒物みななつかし
 しぐるゝやみんな濡れてゐる
 さんざしぐれの山越えてまた山
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ずゐぶん降つた、どしや降りだ、雷鳴さへ加はつて電燈も消えてしまつた、幸にして同宿の老遍路さんが好人物だつたので、いろ/\の事を話しつゞけた、同行の話といふものは(或る意味に於て)面白い。
夜長ゆう/\として煙管をみがく――といふやうなものが出来た、これは句でもない、句でないこともない、事実としては、同行の煙管掃除の金棒を借りて煙管掃除をしたのである。

 十月廿九日[#「十月廿九日」に二重傍線] 晴、行程二里、富高、門川行乞、坂本屋(三〇・中上)

降つて降つて降つたあとの秋晴だ、午前中富高町行乞、それから門川まで二里弱、行乞一時間。
けふの行乞相もよかつた、しかし一二点はよくなかつた、それは私が悪いといふよりも人間そのものの悪さだらう! 四時近くなつたので此宿に泊る、こゝにはお新婆さんの宿といつて名代の宿があるのだが、わざと此宿に泊つたのである、思つたよりもよい宿だ、いわしのさしみはうまかつた。
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 あぶないきたない仕舞湯であたゝまる
・からりと晴れた朝の草鞋もしつくり
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なか/\よい宿だが、なか/\忙しい宿だ、稲扱も忙しいし、客賄も忙しい、牛がなく猫がなく子供がなく鶏がなく、いやはや賑やかなことだ、そして同宿の同行は喘息持ちで耄碌してゐる、悲喜劇の一齣だ。

 十月三十日[#「十月三十日」に二重傍線] 雨、滞在、休養。

また雨だ、世間師泣かせの雨である、詮方なしに休養する、一日寝てゐた、一刻も早く延岡で留置郵便物を受取りたい心を抑へつけて、――しかし読んだり書いたりすることが出来たので悪くなかつた、頭が何となく重い、胃腸もよろしくない、昨夜久しぶりに過した焼酎のたゝりだらう、いや、それにきまつてゐる、自分といふ者について考へさせられる。
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今日一日、腹を立てない事
今日一日、嘘をいはない事
今日一日、物を無駄にしない事
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これが私の三誓願である、腹を立てない事は或る程度まで実践してゐるが、嘘をいはない事はなかなか出来ない、口で嘘をいはないばかりでなく、心でも嘘をいはないやうにならなければならない、口で嘘をいはない事は出来ないこともあるまいが、体《カラダ》でも嘘をいはないやうにしなければならない、行持が水の流れるやうに、また風の吹くやうにならなければならないのである。
行乞しつゝ腹を立てるやうなことがあつては所詮救はれない、断られた時は、或は黙過された時は自分自身を省みよ、自分は大体供養を受ける資格を持つてゐないではないか、応供は羅漢果を得てゐるものにして初めてその資格を与へられるのである、私は近来しみ/″\物貰ひとも托鉢とも何とも要領を得ない現在の境涯を恥ぢ且つ悲しんでゐる。
そして物を無駄にしない事は一通りはやれないことはない、しかししんじつ物を無駄にしない事、いひかへれば物を活かして使ふことは難中の難だ、酒を飲むのも好きでやめられないなら仕方ないが、さて飲んだ酒がどれだけの功徳(その人にとつては)を発揮するか、酒に飲まれて酒の奴隷となるのでは助からない。……
今日は菊の節句である、家を持たない私には節句も正月もないが、雨のおかげでゆつくり休んだ。
降る雨は、人間が祈らうが祈るまいが、降るだけは降る、その事はよく知つてゐて、しかも、空を見上げて霽れてくれるやうにと祈り望むのが人間の心だ、心といふよりも性だ、こゝに人間味といつたやうなものがある。
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・いつも十二時の時計の下で寝かされる
 いちにち雨ふり故郷のこと考へてゐた
 夕闇の猫がからだをすりよせる
 牛がなけば猫もなく遍路宿で
・餓えて鳴きよる猫に与へるものがない
 どうやら霽れるらしい旅空
・尿するそこのみそはぎ花ざかり
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けふまでまとまらなかつたものがこれだけまとまつた、これも雨で休んだゝめである、雨を憎んだり愛したり、煩悩即菩提だ、といへないこともあるまいよ。
同宿の老遍路さんが耄碌してゐると思つたのは間違だつた、彼は持病の喘息の薬だといふので、アンポンタン(いが茄子の方語)を飲んだゝめだつた、その非常識、その非常識の効験は気の毒でもあり、また滑稽でもあつた、――いづれにしても悲喜劇の一齣たるを免かれないものだつた。
此宿には猫が三匹ゐる、どれも醜い猫だが、そのうちの一匹はほんたうによく鳴く、いつもミヤアミヤア鳴いてゐる、牝猫ださうなが、まさか、夫を慕ひ子を慕うて鳴くのでもなからう。
今晩のお菜は姫鮫のぬた、おいしかつた、シヨウチユウ一本なかるべからざる次第である。
一日降りつゞけて風さへ加はつた、明日の天候も覚束ない、まゝよどうなるものか、降るだけ降れ、吹くだけ吹け。

 十月卅一日[#「十月卅一日」に二重傍線] 曇后晴、行程四里、延岡町、山蔭屋(三〇・中上)

風で晴れた、八時近くなつて出発、途中土々呂を行乞して三時過ぎには延岡着、郵便局へ駆けつけて留置郵便を受取る、二十通ばかりの手紙と端書、とり/″\にうれしいものばかりである(彼女からの小包も受取つた、さつそく袷に着換へる、人の心のあたゝかさが身にしみこむ)。
今日は風が騒々しかつた、少し熱のある身体で行乞するのは少し苦しかつた、これも死ねない人生の一片だらう。
此地方の子供はみんな跣足で学校へゆく(此地方に限らず、田舎はどこでもさうだが)、学校にはチヤンと足洗ひ場がある、ハイカラな服を着てハイカラな靴を穿いた子供よりもなんぼう親しみがあるか知れない、また、此地方にはアンテナを見ることが稀だ、それだけ近代文化は稀薄だともいへやう。
此宿も悪くない、二三年前山蔭で同宿したことのある若い世間師に再会した、彼は私をよく覚えてゐた、私も彼をよく覚えてゐた、世の中は広いやうで狭い、お互に悪い事は出来ませんなあ、といつて挨拶をかはしたことだつた。
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 ゆき/\て倒れるまでの道の草
・酔ひざめの星がまたゝいてゐる(野宿)
 風が出てうそ寒い朝がやつてきた
・夕寒の豚をひきずりまはし
・すこし熱がある風の中を急ぐ
 跣足の子供らがお辞儀してくれた
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三日振に湯に入つて髯を剃つて一杯ひつかけた、今夜はきつといゝ夢をみることだらう!

 十一月一日[#「十一月一日」に二重傍線] 曇、少雨、延岡町行乞、宿は同前。

また雨らしい、嫌々で九時から二時まで延岡銀座通を行乞、とう/\降りだした、大したことはないが。
例の再会の人とは今朝別れる、彼は南へ、私は北へ――そして夕方また大分で同宿したことのあるテキヤさんと再会した、逢うたり別れたり、さても人のゆくへはおもしろいものである。
同宿の土方でテキヤさんはイカサマ賽を使ふことがうまい、その実技を見せて貰つて、なるほど人はその道によつて賢しだと感心した。
昨日も今日も行乞相は悪くなかつた、しかしまだ/\境に動かされるところがある、いひかへれば物に拘泥するのである、水の流れるやうな自然さ、風の吹くやうな自由さが十分でない、もつとも、そこまで行けばもう人間的ぢやなくなる、人間は鬼でもなければ仏でもない、同時に鬼でもあれば仏でもある。
隣室の老遍路さんは同郷の人だつた、故郷の言葉を聞くと、故郷が一しほ懐かしくなつて困る。……
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空たかくべんたういたゞく
光あまねく御飯しろく
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女房に逃げられて睾丸を切り捨てた男――その男が自身の事をしやべりつゞけた、多分、彼はその女房の事で逆上してゐるのだらう、何にしても特種たるを失はなかつた。
Gさんに、――我々は時々『空』になる必要がありますね、句は空なり、句不異空といつてはどうです、お互にあまり考へないで、もつと、愚になる、といふよりも本来の愚にかへる必要がありますね。
どうやら雨もやんだらしい、明日はお天気に自分できめて寝る、私にもまだ明日だけは残つてゐる、来月はないが、もちろん来年もないが。

 十一月二日[#「十一月二日」に二重傍線] 曇、后晴、延岡町行乞、宿は同前。

九時から一時まで辛うじて行乞、昨夜殆んど寝つかれなかつたので焼酎をひつかける、それで辛うじて寝ついた――アルコールかカルモチンか、どちらにしても弱者の武器、いや保護剤だ。
同宿の同郷の遍路さんとしみ/″\語つた、彼は善良なだけそれだけ不幸な人間だつた、彼に幸福あれ。

 十一月三日[#「十一月三日」に二重傍線] 晴、稍寒、延岡町行乞、宿は同前。

だいぶ寒くなつた、朝は曇つてゐたが、だん/\晴れわたつた、八時半から三時半まで行乞する、近来の励精である。
今日の行乞相はたしかに及第だ、乞食坊主としてのすなほさ[#「すなほさ」に傍点]とほこり[#「ほこり」に傍点]とを持ちつゞけることが出来た、勿論、さういふものが残つてゐるほど第二義的であることは免れないけれど。
いよ/\シヨウチユウとも縁切りだ。
うるかを買はうと思つたがいゝのがなかつた、松茸を食べたいと思ふが、もう季節も過ぎたし、だいたい此地方では見あたらない、此秋は松茸食べなかつたゞけぢやない、てんで見ることも出来なかつた、それにしても故郷の香り高い味はひを思ひださずにはゐられない。
新来のお客さん四人、みんな同行だ、話題は相変らず、宿の事、修行の事、そしてヨタ話。
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ふる郷の言葉なつかしう話しつゞける
けふも大空の下でべんたうをひらく
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 十一月四日 晴、行程十里と八里、三重町、梅木屋(三〇・中上)

早く起きる、茶を飲んでゐるところへ朝日が射し込む、十分に秋の気分である、八時の汽車で重岡まで十里、そこから小野市まで三里、一時間ばかり行乞、そして三重町まで八里の山路を急ぐ、三国峠は此地方では峠らしい峠で、また、山路らしい山路だつた、久振に汗が出た、急いだので暮れきらう[#「らう」に「マヽ」の注記]ちに宿へ着くことが出来た。
今日の道はほんたうによかつた、汽車は山また山、トンネルまたトンネルを通つた、いちだな[#「いちだな」に傍線]としげをか[#「しげをか」に傍線]との間は八マイル九分といふ長さだつた、歩いた道はもつとよかつた、どちらを見ても山ばかり、紅葉にはまだ早いけれど、どこからともなく聞えてくる水の音、小鳥の声、木の葉のそよぎ、路傍の雑草、無縁墓、吹く風も快かつた。
峠を登りきつて、少し下つたところで、ふと前を見渡すと、大きな高い山がどつしりと峙えてゐる、祖母岳だ、西日を浴びた姿は何ともいへない崇美だつた、私は草にすはつてぢつと眺めた、ゆつくり一服やつた(実は一杯やりたかつたのだが)、そこからまた少し下ると、一軒の茶店があつた、さつそく漬物で一杯やつた、その元気でどん/\下つて来た。
汽車賃五十銭は仕方なかつたが、『みのり』はたしかに贅沢だつた、しかしそれが今日は贅沢でなくなつた、それほど急いで山を楽しんだのである、山を前に悠然として一服、いや一杯やる気持は何ともいへない。
小野市といふ村町では、見事な菊を作つて陳列してゐる家が多かつた、菊はやつぱり日本の花、秋の花だと思つた。
山道が二つに分れてゐる、多分右がほんたうだらうとは直感したが、念のために確かめたいと思つて四方を見まはすけれど誰もゐない、たゞ大きな黒い牛が草を食んでゐる、そして時々不審さうに私を見る、私も牛を見る、私はあまり牛といふ動物を好かないが、その牛には好感が持てた、道を教へてくれ、牛よ。
行乞してゐると、人間の一言一行が、どんなに人間の心を動かすものであるかを痛感する、うれしい事でも、おもしろくない事でも。
此宿はよくないだらうと予期して泊つたのだが、予期を裏切つて悪くなかつた、何でも見かけにはよらないものだ。
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・休む外ない雨のひよろ/\
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