行動について法文通りの取締をするさうだ)。
今日は中学校の運動会、何しろ物見高い田舎町の事だから、爺さん婆さんまで出かけるらしい、それも無理はない、いや、よいことだと思ふ。
隣室の按摩兼遍路さんは興味をそゝる人物だつた、研屋さんも面白い人物だつた、昨夜の「山芋掘り」も亦異彩ある人物だつた、彼は女房に捨てられたり、女房を捨てたり、女に誑されたり、女を誑したりして、それが彼の存在の全部らしかつた、いはゞ彼は愚人で、そして喰へない男なのだ、多少の変質性と色情狂質とを持つてゐた。
畑のまんなかに、どうしたのか、コスモスがいたづらに咲いてゐる、赤いの、白いの、弱々しく美しく眺められる。
今日はまた、代筆デーだつた。あんまさんにハガキ弐枚、とぎやさんに四枚、やまいもほりさんに六枚書いてあげた、代筆を[#「筆を」に「マヽ」の注記]くれやうとした人もあるし、あまり礼もいはない人もある。
夕べ、一杯機嫌で海辺を散歩する、やつぱり寂しい、寂しいのが本当だらう。
行乞してゐる私に向つて、若い巡査曰く、托鉢なら托鉢のやうに正々堂々とやりたまへ、私は思ふ、これでずゐぶん正々堂々と行乞してゐるのだが。
隣室に行商の支那人五人組が来たので、相客二人増しとなる、どれもこれもアル中毒者だ(私もその一人であることに間違ひない)、朝から飲んでゐる(飲むといへばこの地方では藷焼酎の外の何物でもない)、彼等は彼等にふさはしい人生観を持つてゐる、体験の宗教とでもいはうか。
コロリ往生――脳溢血乃至心臓麻痺でくたばる事だ――のありがたさ、望ましさを語つたり語られたりする。
人間といふものは、話したがる動物だが、例の山芋掘りさんの如きは、あまり多く話す、ナフ売りさんはあまりに少く話す、さて私はどちらだつたかな。
酒壺洞君の厚意で、寝つかれない一夜がさほど苦しくなかつた、文芸春秋はかういふ場合の読物としてよろしい。
支那人――日本へ来て行商してゐる――は決して飲まない、煙草を吸ふことも少い、朝鮮人はよく飲みよく吸ひ、そしてよく喧嘩する(日本人によく似てゐる)、両者を通じて困るのは、彼等の会話が高調子で喧騒で、傍若無人なことだ。
夢に、アメリカへ渡つて、ドーミグラスといふ町で、知つたやうな知らないやうな人に会つて一問題をひきおこした、はて面妖な。
十月十二日[#「十月十二日」に二重傍線] 晴、岩川及末吉町行乞、都城、江夏屋(四〇・中)
九時の汽車に乗る、途中下車して、岩川で二時間、末吉で一時間行乞、今日はまた食ひ込みである。
[#ここから2字下げ]
・年とれば故郷こひしいつく/\ぼうし
安宿のコスモスにして赤く白く
一本一銭食べきれない大根である
・何とたくさん墓がある墓がある
海は果てなく島が一つ
・はだかでだまつて何掘つてるか
秋寒く酔へない酒を飲んでゐる
今日のうれしさは草鞋のよさは
一きれの雲もない空のさびしさまさる
波のかゞやかさも秋となつた
砂掘れば砂のほろ/\
線路へこぼるゝ萩の花かな
秋晴れて柩を送る四五人に
・岩が岩に薊咲かせてゐる(鵜戸)
・何といふ草か知らないつゝましう咲いて
まづ水を飲みそれからお経を
・言葉が解らないとなりにをる
秋晴れの菜葉服を出し褪めてゐる
・こころしづ[#「しづ」に「マヽ」の注記]山のおきふし
・家を持たない秋がふかうなつた
・捨てゝある扇子をひらけば不二の山
旅の夫婦が仲よく今日の話
行乞即事
秋の空高く巡査に叱られた
・その一銭はその児に与へる
[#ここで字下げ終わり]
今夜は飲み過ぎ歩き過ぎた、誰だか洋服を着た若い人が宿まで送つてくれた、彼に幸福あれ。
藷焼酎の臭気はなか/\とれないが、その臭気をとると、同時に辛味もなくなるさうな、臭ければこそ酔ふのだらうよ。
世を捨てゝ山に入るとも味噌醤油酒の通ひ路なくてかなはじ、といふ狂歌(?)を読んだ、山に入つても、雲のかなたにも浮世があるといふ意味の短歌を読んだこともある、こゝも山里塵多しと語[#「と語」に「マヽ」の注記]句も覚えてゐる、田の草をとればそのまゝ肥料《コヤシ》かな――煩悩即菩提、生死去来真実人、さてもおもろい人生人生。
夕方また気分が憂欝になり、感傷的にさへなつた、そこで飛び出して飲み歩いたのだが、コーヒー一杯、ビール一本、鮨一皿、蕎麦一椀、朝日一袋、一切合財で一円四十銭、これで懐はまた秋風落寞、さつぱりしすぎたかな(追記)。
十月十三日[#「十月十三日」に二重傍線] 晴、休養、宿は同前。
とても行乞なんか出来さうもないので、寝ころんで読書する、うれしい一日だつた、のんきな一日だつた。
一日の憂は一日にて足れり――キリストの此言葉はありがたい、今日泊つて食べるだけのゲルトさへあれば(慾には少し飲むだけのゲルトを加へていたゞいて)、それでよいではないか、それで安んじてゐるやうでなければ行乞流浪の旅がつゞけられるものぢやない。
この宿はひろ/″\として安易な気持でゐられるのがよい、電燈の都合がよろしいと申分ないが。
昨日今日すつかり音信の負債を果したので軽い気になつた、ゲルトの負債も返せると大喜びなのだけれど、その方は当分、或は永久に見込みないらしい。
句もなく苦もなかつた、銭もなく慾もなかつた、かういふ一日が時になければやりきれない。
十月十四日[#「十月十四日」に二重傍線] 晴、都城市街行乞、宿は同前。
八時半から三時半まで行乞、この行乞のあさましさを知れ、そこには昨日休んだからといふ考へがある、明日は降るかも知れないといふ心配がある、――こんなことで何が行乞だ、行脚と旅行の目的欄に記したが(宿帳に)、恥づかしくはないか。
どこの庭にも咲いてゐる赤い花、それはサルピ[#「ピ」に「マヽ」の注記]ヤといふのださうな、何とかふさはしい和名がありさうなものだ、花そのものが日本的だから。
同宿の薬屋さん、とう/\アクセントで鮮人といふことが解つた、どんなに内地化したつて鮮人は遂に鮮人だつた、こに[#「こに」に「マヽ」の注記]も民族的問題が提供されてゐる。
例の饒舌僧とまた同宿した、知つたかぶりといふ言葉は彼のために出来たかと思はれるほどだ、人間はいゝけれど舌が長すぎる、下らない本を読んで、しかもそれを覚えすぎてゐる、『知る』といふことの価値が解らなければ宗教は解らない、といつてゐる私自身も知解情量の亜流だが。
都城で、嫌でも眼につくのは、材木と売春婦とである、製材所があれば料理屋がある、木屑とスベタとがうよ/\してゐる、それもよしあし、よろしくあしく、あしくよろしく。
[#ここから2字下げ]
皮膚が荒れてくる旅をつゞけてゐる
すこしばかり買物もして旅の夫婦は
石刻む音のしたしくて石刻む
朝寒に旅焼けの顔をならべて
・片輪同志で仲よい夫婦の旅
・ざくりざくり稲刈るのみの
・秋晴れの砂をふむよりくづれて
鶏《トリ》を叱る声もうそ寒う着いた
いそがしう飯たべて子を負うてまた野良へ
・木葉落ちる声のひととき
・貧乏の子沢山の朝から泣いてゐる
・それでよろしい落葉を掃く
[#ここで字下げ終わり]
十月十五日[#「十月十五日」に二重傍線] 晴、行程四里、有水、山村屋(四〇・中・下)
早く立つつもりだつたけれど、宿の仕度が出来ない、八時すぎてから草鞋を穿く、やつと昨日の朝になつて見つけた草鞋である、まことに尊い草鞋である。
二時で高城、二時間ほど行乞、また二里で有水、もう二里歩むつもりだつたが、何だか腹工合がよくないので、豆腐で一杯ひつかけて山村の閑寂をしんみりヱンヂヨイする。
宿の主人は多少異色がある、子供が十人あつたと話す、話す彼は両足のない躄だ、気の毒なやうな可笑しいやうな、そして呑気な気持で彼をしみ/″\眺めたことだつた。
途上、行乞しつゝ、農村の疲弊を感ぜざるを得なかつた、日本にとつて農村の疲弊ほど恐ろしいものはないと思ふ、豊年で困る、蚕を飼つて損をする――いつたい、そんな事があつていゝものか、あるべきなのか。
今日は強情婆と馬鹿娘とに出くわした、何と強情我慢の婆さんだつたらう、地獄行間違なし、そしてまた、馬鹿娘の馬鹿らしさはどうだ、極楽の入口だつた。
村の運動会(といつても小学校のそれだけれど、村全体が動くのである)は村の年中行事の一つとして、これほど有意義な、そして効果のあるものはなからう。
宿の小娘に下駄を貸してくれといつたら、自分の赤い鼻緒のそれを持つて来た、それを穿いて、私は焼酎飲みに出かけた、何となく寂しかつた。
友のたれかに与へたハガキの中に、――
[#ここから2字下げ]
やうやく海の威嚇と藷焼酎の誘惑とから逃れて、山の中へ来ることが出来ました、秋は海よりも山に、山よりも林に、いち早く深まりつゝあることを感じます、虫の声もいつとなく細くなつて、あるかなきかの風にも蝶々がたゞようてゐます。……
[#ここで字下げ終わり]
物のあはれか、旅のあはれか、人のあはれか、私のあはれか、あはれ、あはれ、あはれというもおろかなりけり。
清酒が飲みたいけれど罎[#「罎」に「マヽ」の注記]詰しかない、此地方では酒といへば焼酎だ、なるほど、焼酎は銭に於ても、また酔ふことに於ても経済だ、同時に何といふうまくないことだらう、焼酎が好きなどゝいふのは――彼がほんたうにさう感じてゐるならば――彼は間違なく変質者だ、私は呼吸せずにしか焼酎は飲めない、清酒は味へるけれど、焼酎は呻る[#「呻る」はママ]外ない(焼酎は無味無臭なのがいゝ、たゞ酔を買ふだけのものだ、藷焼酎でも米焼酎でも、焼酎の臭気なるものを私は好かない)。
相客は一人、何かを行商する老人、無口で無愛想なのが却つてよろしい、彼は彼、私は私で、煩はされることなしに私は私自身のしたい事をしてゐられるから。
湯に入れなかつたのは残念だつた、入浴は、私にとつては趣味である、疲労を医するといふことよりも気分を転換するための手段だ、二銭か三銭かの銭湯に於ける享楽はじつさいありがたいものである。
薩摩日向の家屋は板壁であるのを不思議に思つてゐたが宿の主人の話で、その謎が解けた、旧藩時代、真宗は御法度であるのに、庶民が壁に塗り込んでまで阿弥陀如来を礼拝するので、土壁を禁止したからだと。
十月十六日[#「十月十六日」に二重傍線] 曇、后晴、行程七里、高岡町、梅屋(六〇・中)
暗いうちに起きる、鶏が飛びだして歩く、子供も這ひだしてわめく、それを煙と無智とが彩るのだから、忙しくて五月蠅いことは疑ない。
今日の道はよかつた、――二里歩くと四家《シカ》、十軒ばかり人家がある、そこから山下まで二里の間は少し上つて少し下る、下つてまた上る、秋草が咲きつゞいて、虫が鳴いて、百舌鳥が啼いて、水が流れたり、木の葉が散つたり、のんびりと辿るにうれしい山路だつた、自動車には一台もあはず、時々自転車が通ふばかり、行人もあまり見うけなかつた、しかし、山下から高岡までの三里は自動車の埃と大淀川水電の工事の響とでうるさかつた、せつかくのんびりとした気持が、どうやらいら/\せずにはゐないやうだつた。
今日はめづらしく辨当行李に御飯をちよんびり入れて来た、それを草原で食べたが、前は山、後も山、上は大空、下は河、蝶々がひらりと飛んで来たり、草が箸を動かす手に触れたりして、おいしく食べた。
この宿は大正十五年の行脚の時、泊つたことがあるが、しづかで、きれいで、おちついて読み書きが出来る、殊に此頃は不景気で行商人が少ないため、今夜は私一人がお客さんだ、一室一燈、さつぱりした夜具の中で、故郷の夢のおだやかな一シーンでも見ませう。
『徒歩禅について』といふやうな小論が書けさうだ、徒歩禅か、徒労禅か、有か無か、是か非か。
今夜は水が飲みたいのに飲みにゆくことが出来ないので、水を飲んだ夢ばかり見た、水を飲めないやうに戸締りをした点に於て、此宿は下の下だ!
[#ここから2字下げ]
朝の煙のゆう/\としてまつすぐ
茶の花はわびしい照り曇り
傾いた軒端にも雁来紅を植えて
水音遠くなり近くなつて離れない
・水音といつ
前へ
次へ
全18ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング